【生肉转载】Febri TALK系列——佐藤大

取材・文/宮 昌太朗 撮影/須崎祐次
来源:日本深度动画内容网站Febri
采访发布时间:2021年7月19日~23日
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①何度でも自分のもとに帰ってくる
原点的な作品『AKIRA』
『交響詩篇エウレカセブン』を筆頭に、幅広いジャンルで活躍する脚本家・佐藤大が影響を受けたアニメ作品について語る連載インタビュー。第1回は、自分にとって「原点」のような作品と話す『AKIRA』について。
「いつか世界が壊れればいい」という気持ちを、 そのまま体現してくれた
――事前に3本、影響を受けたアニメを挙げていただきましたが、1本目は大友克洋原作・監督の『AKIRA』。1988年に公開された劇場映画ですね。
佐藤 もともと大友さんのマンガが大好きだったんです。追いかけ始めたのは『ショート・ピース』あたりからじゃなかったかな。当時、実家が埼玉にあったんですけど、映画を見るときは新宿か早稲田の二番館まで出かけていたんですよ。ついでに新宿ペペに入っていた本屋とかアニメック(※編注:新宿御苑近くにあったアニメショップ)に寄ると『アップルシード』とか、怪しいマンガがいっぱい置かれているわけです。その中に「絶対に押さえておきたい一冊」みたいな感じで『ショート・ピース』があって。そういう意味で、いちばん影響を受けたのは『気分はもう戦争』かな。とにかく大友さんのマンガは、どれも滅茶苦茶カッコよかったです。
――それまで読んでいたマンガとは、ちょっと違った感覚があった。
佐藤 まさに「映画みたい」とはこういうことだ、というか。マンガを卒業しなくてもいいマンガが来た!みたいな感じだったんですよね。そのあと大友さんは『ヤングマガジン』で『AKIRA』の連載を始めるわけですけど……。なんだろう、やっぱり当時の映画で言うと『ブレードランナー』(リドリー・スコット監督)だったりトビー・フーパー、あとはジョン・カーペンターの『ニューヨーク1997』とかが好きで。ただ、そういうものは外国から来るものだと思っていたんです。
――海の向こうから来るものだ、と。
佐藤 でも、それを日本人が作って、しかも舞台が東京だよ!っていう。そういう感じが『AKIRA』にはありました。加えて当時はアニメブームの真っ只中で、『AKIRA』はその決定版みたいな感じで劇場に見に行ったんです。
――当時、佐藤さんは19歳くらいですよね。もう高校を卒業して……。
佐藤 専門学校生でしたね。とはいえ、学校にはほとんど行っていなくて。あるとき、授業に秋元康さんと堤幸彦さんがいらっしゃったんですけど、僕はおニャン子世代なので当然、秋元さんのことは知っているし、堤さんはすでに『コラーッ!とんねるず』とかで活躍されていて、めちゃくちゃ憧れの的で。それですぐにふたりの下で、放送作家見習いみたいなことを始めていたんです。

――すでに働き始めていたわけですね。
佐藤 とはいえ、まわりは業界人ばっかりだから、話が全然合わないんですよ。そんな中で、唯一話が合ったのが大根(仁)監督。僕が放送作家部に入るのとほぼ同時期に大根さんが演出部に入って、仕事の合間にアニメの話とかエレファントカシマシの話をする、っていう(笑)。そういう状況で『AKIRA』を見たんですけど、歌舞伎町に遊びに行くと――それこそ映画館とかゲームセンターでカツアゲに遭うんですよ。でも、自分の中で『AKIRA』レイヤーを1枚張ると「これは春木屋だから大丈夫」と思える(笑)。そういう意味でも、自分のすごく鬱屈した気持ち、「いつか超能力で世界がぶっ壊れればいいのに」みたいな気持ちを、そのまま体現しているような感覚もあったんです。
――中二病的な鬱屈を肯定してくれるような、そういう感覚もあった。
佐藤 本当に、いろいろな意味で影響を受けているって気がしますね。たとえば『AKIRA』の現場には、のちに一緒にお仕事することになる信本敬子さんが制作事務として参加していて。他にも、僕が脚本家デビューするきっかけになった『永久家族』の森本晃司監督とか、『攻殻機動隊S.A.C.』の神山健治監督もスタッフとして参加しているんです。もちろん、当時はそれを知らずに見ていたわけですけど、のちに知り合う人たちが『AKIRA』の現場にはいて。そういう意味で『AKIRA』は、僕のもとに何度でも帰ってくる作品なんです。
――ある意味、原点的な作品でもある。今のお仕事にも『AKIRA』の影響はあると思いますか?
佐藤 めちゃくちゃあるんじゃないですかね。たとえば、セリフの感じとか……。ヤンキーっぽさっていうんですかね。当時の埼玉といえばヤンキー全盛期で、めちゃくちゃ怖いんですよ。リアル『はいすくーる落書』みたいな世界というか。めちゃくちゃ怖いし、本当にイヤだったんですけど、『AKIRA』はそういうヤンキーをカッコよく描いていて。しかも、のちに渡辺信一郎監督と一緒に仕事をするようになると、作中にヤンキーがいっぱい出てくるようになる(笑)。あれは全部、『AKIRA』の影響です。
――あはは。
佐藤 ヤンキーはすごく動かしやすいんですよ。理由なく動いてくれるから。しかも、筋を通せば仲間になれる。だから本当に金田とか鉄雄とか山形、甲斐君とか、あのあたりの影響だなって思います。「筋を通してカッコいいことを言うヤツ」っていう意味では、のちの『交響詩篇エウレカセブン』に出てくるゲッコーステイトの連中がまさにそうだし、そういう意味でも、自分のキャラクター造形の一端は『AKIRA』に源流があるのかなって思います。

②『重戦機エルガイム』
アニメから卒業できなくなった分岐点
脚本家・佐藤大が影響を受けたアニメについて語る、連載インタビューの第2回。今回は、ファッションセンスに惹きつけられたという『重戦機エルガイム』、そしてオタク街道に突き進んだ高校時代について語る。
スタイリッシュなメカデザインにノックアウトされた高校時代
――2本目は、富野由悠季監督のTVシリーズ『重戦機エルガイム(以下、エルガイム)』。1984年放映ということは……。
佐藤 中学生ですね。『エルガイム』はアニメファンを卒業できなくなった、その原因になった作品です(笑)。というのも当時、アニメってダサいなって思っていたんですよ。
――あはは。
佐藤 アニメと同時並行で、YMOとかも好きになるわけじゃないですか。しかも、当時は『テクノデリック』が出たあとで、ファッション的にもめちゃくちゃカッコいいんですよ。一方のアニメはというと、たしかにブームにはなっていて飽和状態みたいな感じ。ただ、出てくる洋服とかファッションはどれもカッコよくなかったんです。加えて僕自身、思春期に入っているから「モテたい」っていう気持ちも当然ある。あと、その頃って少女マンガを熱心に読んでいたんですよ。雑誌の『LaLa』とかフラワーコミックスとか……。『前略・ミルクハウス』って最高だなって思っていたし、あと日渡早紀とかなかじ有紀とか、出てくるファッションがみんなカッコいい。しかも、そうこうしているうちに、吉田秋生が『BANANA FISH』の連載を始めて「大友克洋か!」みたいな(笑)。
――たしかにどれもファッショナブルですね。
佐藤 そんなこともあって「もうそろそろアニメも卒業かな」と思っていたんです。富野(由悠季)監督の作品は――それこそ富野作品という自覚はないけど『無敵超人ザンボット3』も『無敵鋼人ダイターン3』も見ていたし、『機動戦士ガンダム』以降はずっとリアルタイムで追いかけていました。ファンタジー寄りになった『聖戦士ダンバイン』で「ちょっと趣味と合わないな」と思っていたんですけど……。ちょうどそのタイミングで『エルガイム』が始まっちゃうんですよ。
――「始まっちゃう」なんですね(笑)。
佐藤 キャラクターの着ている洋服がどれもカッコよくて、いわゆるストリートファッションだったんですよね。加えて内容的にも音楽ネタで……。のちにスタッフとして永野護さんが参加していたのを知ることになるんですけど、とにかくロボットがスタイリッシュでカッコよかったんです。
――なるほど。当時のポップカルチャーを踏まえたビジュアルだったのも大きい。
佐藤 当時好きだった『ポッパーズMTV』とか、洋楽、ニューウェイヴっぽい感覚が、作品内に普通に存在していたんです。あらためて考えると、永野さんがこっそり入れ込んだ要素をガチッと受信したっていうか。で、そうこうしているうちに、東映動画でアルバイトしていた友達から「スタジオビーボォーってのがスゴいらしい」みたいな話を聞いて。その流れでアニメーターの北爪宏幸さんのファンクラブに入るんです(笑)。

――ファンクラブですか!?
佐藤 ファンクラブといっても、ファンが勝手に集まって北爪さんが参加している話数を調べて、同人誌にまとめるっていう活動なんですけど(笑)。で、同人誌の内容を北爪さんにも確認してもらうんですけど、そのとき一緒に原画のコピーもさせてもらって掲載したり。振り返ると、おおらかな時代だったなって思いますね。
――あはは。
佐藤 個人的に、北爪さんが描くガウ・ハ・レッシィがいちばんかわいいと思っていたんですけど、のちに『ニュータイプ』についてきたフォウ・ムラサメのポスターを描いたのが北爪さんだったことを知って、「ああ、俺のリビドーがここに……」と(笑)。まあ、初恋の相手がガウ・ハ・レッシィですからね。
――当時はファンと制作現場の距離が今より近かったんですね。
佐藤 その頃、僕も東映動画でアルバイトしていたんですよ。当時は『G.I.ジョー』とか『トランスフォーマー』とか、アメリカとの合作がすごく多い時期で。アメリカと日本でタイムシートの書き方が違うから、アメリカのタイムシートをコピーして日本のタイムシートに合わせて貼り直すっていう――今ならExcelで5秒で終わる仕事を、高校生4人が夏休み中、東映の会議室みたいなところに詰めてやっていたんです(笑)。で、そこのバイトの先輩たちって、やっぱりみんなすさまじいアニメ知識の持ち主ばっかりなんですよ。
――東映動画にバイトに来るくらいだから、それはそうですよね。
佐藤 今だとハラスメントみたいに捉えられがちですけど、当時は自分の知っている知識を人に教えることを是とする、そういう雰囲気があって。しかも、聞くほうも「それ、知らない」って言うのが悔しいからメチャクチャ勉強する、みたいな。そのときの知識自慢は、僕にとってすごく勉強になったんです。
――アニメを巡る熱気というか、渦の一端に触れたという。
佐藤 そうですね。先輩と一緒に『DAICON FILM』のビデオを見て「この庵野(秀明)ってヤツはすげーんだよ」って話したり。東映動画でアルバイトをしていたから、そういう情報がバンバン入ってきて……。まあ、いろいろな意味で『エルガイム』はアニメから卒業できなくなったきっかけの作品なんです。

③幕の内弁当のような魅力がある
『うる星やつら』
インタビュー連載の第3回は『重戦機エルガイム』からさらにさかのぼり、アニメマニアへの入口となった名作『うる星やつら』について。『ドラえもん』の脚本家・佐藤大が、偏愛する『うる星』の魅力をとことん語る。
『うる星』の作り方からは、いまだに影響を受けています
――3本目は『うる星やつら(以下、うる星)』ですが、これは『重戦機エルガイム』よりも前になりますよね。
佐藤 そうですね。『うる星』が本当に最初の入口というか。当時は『宇宙戦艦ヤマト』も『機動戦士ガンダム』も『ルパン三世』も――それこそ空気みたいなモノというか、何か特別なものではなくて、オタクじゃなくてもみんな見るモノだったんです。で、『うる星』もその中のひとつで。
――アニメを先に見た感じですか?
佐藤 いや、『週刊少年サンデー』を読んでいたから、原作が先ですね。当時はちょっとエッチな少年マンガ、みたいなイメージでした。で、第1話の最後、ラムちゃんの水着が取れるシーンが見たくて、アニメを見始めるんです。
――あはは。
佐藤 ただ、そうやって続けて見ているうちに、だんだんと様子がおかしくなっていくんですよ。急に爆撃機とか戦闘機の話になったり、突然、舞台みたいなことをやり出したり。3~4回に1回くらい、頭のおかしいエピソードが入り始める。決定的だったのは第1シーズン後半かな。面堂終太郎のエピソードがあって……。
――第27話「面堂はトラブルとともに!」ですね(笑)。
佐藤 そうそう! そこで、脚本の伊藤和典さんと押井守監督のことを知るわけです。どうやら監督と脚本家というものがいて、この人たちが何かやるとヘンなことが起こるっぽいぞ、と。アニメと並行して『オレたちひょうきん族』みたいなバラエティ番組も大好きだったし、あとYMOはYMOで「スネークマンショー」みたいなアルバム(『増殖』)を出していたんですけど、『うる星』は「アニメでコントみたいなことをやっているぞ」という。
――メタフィクションというか、メタっぽいギャグのノリが濃厚に漂っていますよね。
佐藤 いきなりオチをブン投げて終わって、翌週はまた全然違う話をやるとか。そういうのが好きなんだなって自覚するようになっていくんです。……まあ、今考えるとたぶん、かわいい女の子の水着姿を見るための言いわけだった気がしないでもないんですよ(笑)。ただ、親から「またアンタ、そんなアニメばっかり見て」って言われるのに対して「いや、これ、すごいんだよ」と。そういうエクスキューズが『うる星』にはあって。しかも、それが『(うる星やつら2)ビューティフル・ドリーマー』で大爆発するんですよ。

――1984年に公開された、押井監督の初期の代表作ですね。
佐藤 「ほら、言ってた通りでしょ?」と。とにかく『うる星』には幕の内弁当みたいな感じがあって、作画的にも見どころがたくさんあるし、たとえストーリーが破綻していても、翌週になればリセットされて、また次に面白いことができればいい、みたいな感覚がある。そこがすごくフィットしたんです。それこそ、僕らのあとの世代が『涼宮ハルヒの憂鬱』を見て感じているようなことだったり、あるいは『進撃の巨人』を見ながら、その裏にあるものを勝手に想像しているのに近い感じで、『うる星』の裏には何か、いろいろなものがいっぱい渦巻いているんだな、と。そういう熱量みたいなものを感じていたんですよね。
――押井監督も脚本の伊藤和典さんも20代後半から30代頭。いちばん脂が乗っている時期の仕事ではありますよね。
佐藤 自分と同じ世代の人たちが作っているっていう感覚も強かったですね。あと、こういうものを作るスタッフに対して憧れを抱くようになったのは、間違いなく『うる星』の影響で。もちろん、その前にも『ガンバの冒険』とか『あしたのジョー』みたいな、自分の精神的支柱になった作品はあるんですけど、でも、スタッフに興味を持つようになったのは『うる星』と『重戦機エルガイム』が大きい気がします。
――今でも『うる星』からの影響を感じることってありますか?
佐藤 あります、あります。渡辺信一郎監督の『スペース☆ダンディ』をやっていたときとか、ずっとそういう話ばっかりしていましたね。自分たちが見ていたレジェンドと現役のレジェンドと、これからレジェンドになっていく人たちがいっぱいいて、みんなでアイデアを出して作っていく、みたいな作品でしたから。しかも『うる星』と同じように、どれだけぶっ壊れたエピソードになっても、話数ごとにリセットすればOKっていう。そういう作り方の影響みたいなものは、今でもあると思います。
日文原文链接:
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