采访企划:二爷
采访协力:四弥、茶茶
翻译校对:湟轩
编辑:狼谷卡莲
浅野一二〇,日本知名漫画家。
浅野一二〇的漫画以深度写实主义题材见长,笔触细腻,台词功底卓越,尤其擅长描绘当下时代人们的迷茫与挣扎,由此引发读者的共鸣与思考。浅野一二〇创作了诸多知名漫画,包括《晚安布布》《乐与路》《错位的青春》等,其中多部进行了真人化改编。
本采访由《乐与路》漫画简体中文版引进方新经典动漫部提供协助,妄想文库在此对新经典动漫部表示感谢!
妄想文库:浅野老师,我们是妄想文库,很荣幸今天能采访您。首先,能请您向中国的粉丝们做一个简单的问候吗?
浅野一二〇(以下简称浅野):我是漫画家浅野一二〇。
妄想文库:首先恭喜您《乐与路》中文简体版正式出版!很多中国粉丝都非常喜欢您这部作品,您可以讲一讲创作这部作品的契机是什么吗?创作的过程中有什么令您印象深刻的事情么?
浅野:在写《乐与路》时,我和主人公们一样,都是二十多岁的年纪。当时作为新人漫画家,我只发表过短篇漫画,编辑部要求我考虑连载的故事。我没有什么思路,于是想到与其从零开始创作新故事,不如结合真实体验,让故事更有现实感,这样对读者更有说服力。我把自己和朋友们的人生观、对工作和爱情的看法融入故事中,以此来巩固作品的整体形象。
要说印象最深的事情,我当时和朋友们进行着类似乐队的活动,有一次其中一个成员失恋了,我以与其说是鼓励不如说是调侃他的心情作词作曲,创作了《Solanin》这首歌。后来这首歌的歌词几乎原样用在了作品中。我从没想到那首歌能留存至今。
妄想文库:《乐与路》的连载时间是2005年至2006年,至今已经过去18年了,距离您为新装版撰写后记也过去了7年时间。时隔近20年,您现在是如何看待这部作品的?是否有一些不一样的想法?
浅野: 20年过去,除了我自己年纪增长以外,社会的价值观也变了。特别是《乐与路》是在互联网和智能手机普及之前创作的漫画,我也因为海量的网络信息而变得更加冷漠和麻木。话虽如此,现在回顾《乐与路》,人性的本质并没有太大变化,无论过去还是现在,我都深切地感到自己就是自己。
妄想文库:《乐与路》中的主人公芽衣子以及其他角色有具体的原型吗?
浅野:大部分角色都有原型,都是我的朋友和恋人。比如比利这个角色的原型是我大学时代的朋友,虽然外表不同,但性格一样。我不知道他是否还在做鼓手,但他老家的药店已经停业,现在是一家大型餐饮连锁店的区域经理。
妄想文库:您在《乐与路》的后记中曾经写到,您对种田是没有什么好感的,那您在《乐与路》中最喜欢的角色是谁呢?为什么?
浅野:虽然对每个角色都有感情,但我现在能想到的是,加藤所在的大学轻音社的后辈女性角色鮎川(サバ川)。像我在上一个问题中回答的那样,她是少数没有原型的角色之一,可能当时的我想要这样一个嚣张的后辈吧。
妄想文库:您曾在过去的采访中表示,主人公种田的死是在一开始就决定好的,这让我们很惊讶。当时您是如何构思整个故事的?为何一开始就要决定种田必须死?
浅野:大部分人年轻时的工作结果往往不尽如人意,自己也无法成为有价值的人,是一段很受挫的时期。所以很多时候会沉浸于追求可以短期见效的恋爱中,结果与恋人变成了互相依赖的关系。我想描绘就是在这样的人生的停滞期,因为恋人的死亡而被强迫向前看,最后抱着决心成为社会的一部分的故事,所以种田的死是必然的。
并且我不想像一般的虚构故事那样让死亡突然发生,将其描绘成令人感动或者很有冲击性的桥段。我觉得人死了就是结束,活下来的人也会随着时间的推移对逝者的记忆逐渐淡薄,将其描绘成普通的死亡是我在执笔中重要的要素。
妄想文库:浅野老师您曾为高桥真老师做过助手,参与过《最终兵器彼女》的创作。我们很想知道,参与《最终兵器彼女》这部“世界系”代表作的经历,对您之后的创作有着怎样的影响?
浅野:“世界系”很难被定义,如果以“自我=世界”的价值观来定义“世界系”的话,那么这种作品的流行源于2000年左右的社会现象。不仅限于高桥老师的《最终兵器彼女》,许多相同主题的作品也自然而然地影响了我。但是这种价值观需要将自己和世界统一起来的信念感(思い込み)和妄想力,因此随着互联网的普及,很多东西都变得具体化的现在,“世界系”本身似乎变得令人难以接受了。
妄想文库:看浅野老师作品的时候,剧中角色的情绪可以畅通无阻地传达给读者,让读者感受到他们的生命力。可以请您讲一讲,您在创作中是如何考虑漫画中情感的接受与传达的吗?
浅野:在创作对白时,首先要坦诚面对自己的情感。大前提是承认自己所有非道德性的部分和恶意。在这基础之上仔细观察他人,甚至捕捉他们无法用语言表达的情感,这样才能创造出生动自然的角色。如果角色自然的话,不需要多余的解释,就能通过台词和表情的细微差别表现出相当复杂的情感。
妄想文库:浅野老师在各种场合都表示过,您对作品与时代的关联性非常重视,可以请您讲一讲,您是如何将作品与时代联系在一起的吗?
浅野:基本上是理解当时社会的氛围和主题,并将其融入作品。具体的话,是通过当时的流行语、流行产品、人气明星等来理解世间追求何物,并逆推社会心理。
妄想文库:2005年是日本就职冰河期的末尾,在那段时间里,日本大学毕业生们虽然就职环境相比之前有所改善,但是仍对未来充满迷茫,感受着孤独。这样的社会环境对您创作《乐与路》有着怎样的影响?《乐与路》中的角色身上是否也有着属于那个时代的烙印?
浅野:2000年左右,从形容打零工的人的“自由职业者”一词演变出了“NEET”这样的词,指的是根本不工作的人。21世纪00年代的年轻人不愿意主动就业,并希望看到能得到肯定的内容。但谁也不认为这样的生活能一直持续下去,大家都知道迟早要脚踏实地地生活,却同时在这种尴尬的空虚期中骚动,这种刹那间的微妙(刹那的/せつなてき)气氛反映在了《乐与路》中。
妄想文库:您2021年在法国接受采访时曾说过“正是SNS的出现改变了读者群与作品之间的关系。”,并且您表示读者的需求是随着时代的变化而变化的,而您必须适应这种变化。您可以讲一讲,为了适应这种变化您做了哪些努力吗?
浅野:SNS的普及确实大大改变了作品与读者之间的关系,漫画从“一个人阅读的东西”变成了“大家一起享受的东西”。当然,阅读时还是一个人,但通过SNS分享感想和喜爱的角色,追求共鸣,加速了粉丝之间的互动。这不全是坏事,但这种流行带动流行的结构,导致作品之间的知名度差距加大,小众风格变得更加小众。我属于小众风格的作者之一,尽管在SNS文化中渐渐边缘化,但我仍然努力保持漫画多样性。
妄想文库:中国的漫画行业在现在仍处于发展阶段,有很多新人在不断地加入到这个行业中来,其中曾受您作品影响的也不在少数。作为他们的前辈,可以请您分享一些关于漫画创作的心得吗?
浅野:虽然与上个问题的回答可能有所矛盾,但模仿流行作品或根据流行趋势创作将成为AI的强项。从商业角度看,这完全没问题,但那更多是商业活动而非创作活动。虽说漫画创作最基础的“让读者容易读懂”等技能是必须的,但是那些都是单纯的理论知识,通过学习就能掌握,那么交给AI来处理也无所谓。但所谓作品的性质是创作者的思想。如果视以成为作家或漫画家为目标,那应该重视自己的个性和独特性,创作出只有自己能描绘出的作品世界。
妄想文库:最后,请您再对中国的粉丝们说几句吧!
浅野:我非常荣幸我的作品能被中国的读者所阅读。《乐与路》虽然是近20年前的作品,但我认为它诚实地描绘了年轻人的挣扎和情感吐露,对现代社会依然具有共鸣。无论是正在经历情感磨难的年轻一代,还是回顾过去、回忆自己曾经经历过那样时期的同龄人,我都希望能够被广泛阅读。我将继续创作,希望大家继续支持我。
————日文原文————
妄想文庫:浅野先生こんにちは、妄想文庫です。本日、先生との取材ができてとても光栄です。まずは先生から、中国のファンのみんなさんに対して、簡単なご挨拶をお願いできますか。
浅野:漫画家の浅野いにおです。
妄想文庫:まずは、正式に出版された中国語簡体字版『ソラニン』の成功をお祝い申し上げます!多くの中国のファンはこの作品が大好きです。この作品を作るきっかけは何でしたか?制作過程で印象深い出来事はありましたか?
浅野:『ソラニン』執筆時、僕は主人公達と同世代の20代中頃でした。当時漫画家として駆け出しの新人だった僕は、短編しか漫画を発表できていない状況だったこともあり、編集部から連載用のストーリーを考えるように言われました。アイデアがなかった僕は、ストーリーをゼロから創作するよりは、実体験や実感を交えてリアリティーのある物語にした方が読者に対して説得力があると思い、自分や身の回りの友人達の人生観、仕事や恋愛に対する考え方を物語に盛り込む形で作品の全体像を固めていきました。
印象深い出来事で言えば、当時の僕は友人達とバンドの真似事のようなものをしていたのですが、メンバーの一人が失恋した際に、僕が彼の失恋を励ます、というよりはやや冷やかすような気持ちで作詞作曲した『ソラニン』という曲があり、その曲の歌詞をほぼそのまま作中に使った、という経緯があります。偶然の重なりとはいえ、その時に作った曲が今のいままで残るものになるとは思いもよりませんでした。
妄想文庫:『ソラニン』の連載は2005年から2006年にかけて行われ、既に18年が経過しました。新装版のあとがきを書かれてからも7年が経ちます。ほぼ20年の時間を経て、今、この作品をどのように見ていますか?連載当時と比べて、何か異なる考えを持っていますか?
浅野:20年も経てば、自分が歳をとるのはもちろん、世間の価値観も変わっていきます。特に大きなポイントとして、『ソラニン』はインターネットやスマートフォンが本格的に普及する前に書かれた漫画であるということで、僕自身、膨大なネットの情報を浴びるように受け取った結果、世の中に対する視点も随分冷笑的で擦れたものになりました。とはいえ、いま現在『ソラニン』を振り返っても、人間性の本質はあまり変わらず、今も昔も自分は自分なんだなと痛感します。
妄想文庫:『ソラニン』の主人公芽衣子をはじめ、他のキャラクターに具体的なモデルはいますか?
浅野:そのままイコールというわけではありませんが、一部を除きほとんどのキャラクターにモデルはいます。全て僕の友人達や恋人です。ビリーというキャラのモデルは大学時代の友人なのですが、見た目は違えど性格はそのままです。ドラムを続けているかどうかは知りませんが、実家の薬局は畳み、今は大手飲食チェーン店の地区部長として頑張っているようです。
妄想文庫:『ソラニン』の後記で、先生は種田に対してあまり好きでないと書かれていましたが、同作品の中で最も気に入っているキャラクターは誰ですか?そして、その理由は何ですか?
浅野:それぞれキャラクターに思い入れはあるのですが、今パッと思いついたのは、加藤が所属する大学の軽音サークルの後輩として登場したサバ川という女性です。3の質問で答えたようにこのキャラクターにはモデルがいない一部のキャラクターの一人なんですが、おそらく当時の僕が彼女のような生意気な後輩を欲しがっていたんじゃないでしょうか。
妄想文庫:過去のインタビューで、主人公・種田の死は最初から決められていたとおっしゃっていましたが、これは私たちにとって非常に驚きでした。初めからどのようにして物語全体を構築しましたか?なぜ初めから種田の死を決めていたのですか?
浅野:若い時分というのは、なかなか仕事の結果が出ず、自分が何者にもなれないもどかしい期間だと思います。それが故に短期的に結果が出やすい恋愛などにのめり込んでしまい、結果的に恋人同士が依存関係になってしまうということが多いように思います。そのような人生のモラトリアム期間を、恋人の死によって強制的に断ち切り、半ば強引に足を一歩進ませ社会の一部になる覚悟を持つところまでをストーリーで描きたかったので、種田の死は必然でした。
そして加えると、フィクションでは度々キャラクターの死というものが発生しますが、それを感動やインパクトための演出として描くのではなく、あくまで人は死んだら終わり、死んだ人間は記憶と共に少しずつ薄れて消えていくという、ごくありふれた普通の死として描くというのも執筆の上で大事な要素でした。
妄想文庫:浅野先生、以前高橋真先生のアシスタントとして『最終兵器彼女』の制作に参加されました。その「セカイ系」漫画の代表作への参加が、その後の創作にどのような影響を与えましたか?
浅野:「セカイ系」の定義が難しいのですが、「自分=世界」という価値観で作られた作品を「セカイ系」とよぶならば、そのような作品の流行は2000年前後のムーブメントでした。高橋先生の『最終兵器彼女』に限らず、そのような作品群には自然な流れで僕も影響を受けているとは思います。ただ、その価値観は自分と世界を同一化するという思い込みや妄想力が必要なので、インターネットの普及で多くのものが具体化されてしまった現在では、「セカイ系」自体が受け入れづらいものになってしまったように思います。
妄想文庫:浅野先生の作品を読むと、登場人物の感情が読者にスムーズに伝わり、彼らの生命力を感じることができます。創作中に、漫画での感情の受け取りと伝達をどのように考慮していますか?
浅野:作品でセリフを作る上で、まずは自分の感情に素直になること。自分が持っている非道徳的な部分や悪意も含めて全て認めるというのが大前提になります。その上で人をよく観察し、言葉にならない部分まで他人の感情を掬い上げることで、生生しく自然なキャラクターを作ることができると思っています。キャラクターが自然であれば、くどくど説明はしなくても、セリフと表情のニュアンスでかなり複雑な感情を表現できると考えてます。
妄想文庫:浅野先生は様々な場で、作品と時代の関連性を非常に重視していると述べましたが、どのようにして作品を時代と関連づけていますか?
浅野:基本的にはその時々の社会全体が抱えている雰囲気やテーマを読み取って作品に織り込んでいくという方法になるかと思います。具達的にどのように読み取るかというと、流行語や流行商品、人気タレント等を見ると、世間が何を求めているかがよくわかるので、それらから逆算して世間の心理状態を想定するという流れになります。
妄想文庫:2005年は日本の就職氷河期の終わりといわれて、その時期の日本の大学生たちは、就職環境が以前よりは改善されたものの、未来に対して迷いや孤独を感じていました。このような社会環境は、『ソラニン』の創作にどのような影響を与えましたか?作中のキャラクターには、その時代の状況が投影されていますか?
浅野:アルバイトで生活するフリーターという言葉の進化系で、そもそも働いてもいない人を指す「ニート」という言葉が一般化したのが2000年ごろでした。2000年代の若者はむしろ自ら就職することを拒絶し、そんな自分を肯定してくれるコンテンツを欲していたように思います。しかしながら誰もがそんな生活がいつまでも続くとは考えてはおらず、いつか地に足をつけなければいけないと思いながら、空虚なモラトリアムを空騒ぎするという刹那的な雰囲気が『ソラニン』の作品性に反映されているんだと思います。
妄想文庫:2021年にフランスでのインタビューで、「ソーシャルネットワーキングサービスの出現が、読者層と作品との関係を変えた」とおっしゃっていました。また、読者のニーズは時代とともに変化し、それに適応しなければならないとも述べています。このような変化に適応するために、どのような努力をしていますか?
浅野:SNSの普及で作品と読者の関係性が大きく変わったと思うのは、漫画は「一人で読むもの」から「みんなで楽しむもの」に変化したという部分です。もちろん読むときは一人ですが、その感想や好きなキャラクターを他者と共感し合い、ファン同士でコンテンツを盛り上げていこうとする流れはSNS以前と比較すると大きく加速しました。一概に悪いことではないんですが、流行が流行を呼ぶというその構造は、作品ごとの知名度格差が広がり、マイナーな作風はよりマイナーになっていくはずです。僕はマイナーな作風なので、SNS文化からは脱落しつつある作家の一人なのですが、漫画の多様性を少しでも保持するために、どうにかしがみついていこうと思います。
妄想文庫:中国にも日本漫画影響を受けた漫画の作者がたくさんいて、先生の作品に影響を受けた人も少なくありません。新人の漫画家、これからデビューを目指している中国の漫画家に、漫画家の先輩として「漫画を描く上での心得」を教えていただけませんか?
浅野:10の質問の答えと少し食い違ってしまうかもしれませんが、人気作品の模倣や、流行をリサーチした上での作品作りは今後AIの得意分野になっていくように思われます。商売としてはそれも全く問題ないのですが、それはビジネスであって作家活動ではないように思います。最低限漫画を描く上で読みやすさなどのスキルは必須ですが、それらは全て単なるロジックなので勉強すれば身に付きますし、なんならAIに任せても構いません。しかし作品性というのは描く人の思想です。作家、漫画家を目指すのであれば、やはり自分の個性や独自性を大事にして、自分にしか描けない作品世界の獲得を目標にするべきなのではと思います。
妄想文庫:最後に、中国のファンに向けて何かメッセージをお願いします。
浅野:自分の作品が中国の皆様に読んでいただけていることを大変光栄に思っています。『ソラニン』は20年近く前の作品になりますが、現代にも通づる、若者の葛藤や感情の吐露を正直に描けた作品だと思っています。今まさに感情の坩堝にいる若い世代の方はもちろん、昔の自分を振り返って、自分にもあんな時代があったと想いを馳せる僕と同世代の方まで、幅広く読んでいただけたら嬉しいです。これからも作品作りは続けていきますので、今後も何卒よろしくお願いします。