【民间汉化】专访《歌声是千层派》原作・山中拓也:「彻底摒弃“人造感”」

来源:日本综合文化与娱乐媒体网站Real Sound
译者:VonXXGhost
采访发布时间:2026年1月4日
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奇迹般的相遇之后,演员们的歌声如今已抵达遥远的高处
――首先,请向尚未接触过《歌声是千层派》的观众介绍一下本作的看点与特色。
山中:虽然过去也有以阿卡贝拉为主题的作品,但《千层派》最大的特点是,角色的扮演者能够在现场实际表演阿卡贝拉。
这一点对于观看动画的观众来说可能比较难以想象。在动画、游戏等二次元内容中表演阿卡贝拉时,如果将每位成员的声部分别录制再通过后期编辑合成,确实可以得到“阿卡贝拉音源”。但《千层派》则是6名成员实际面对面聚在一起,进行实时阿卡贝拉表演,因此能够提供现场的阿卡贝拉体验。尤其是我们有意将现场阿卡贝拉与多重录音的区别融入故事之中,所以这个坚持是必不可少的组成部分。
――如果不是叠加音源而是在现场实现声音的重叠,意味着需要边听同伴的歌声边配合的技术吧。
山中:是的。并不是歌唱得好的人聚在一起就能做好阿卡贝拉,想要擅长阿卡贝拉,只有去实际演唱阿卡贝拉才行。这真的非常困难,但声优们通过每周坚持不懈的练习,甚至达到了能参加《全国阿卡贝拉大联赛》的程度(译注:ハモネプ,富士电视台的一档节目),她们对阿卡贝拉的这份投入,对于《千层派》这个IP而言是独一无二的宝藏。正因为认真对待阿卡贝拉,作为作品的那份认真才能传达出去。我认为,持续保持这份执着,正是身为阿卡贝拉经验者的我身处制作中心位置的意义所在。
――关于这样的《千层派》,山中先生您是从何时起、以何种形式参与到制作中的呢?
山中:最初是源于我制作的游戏《卡利古拉》由波丽佳音动画化的缘分,从那开始建立了友好的关系。我虽然以游戏工作为主,但在构思大量企划的过程中,也会产生“这个或许更适合游戏以外的媒介”的想法。
其中就有一个企划,是基于我大学时代参加阿卡贝拉社团的经验。我人生中参与阿卡贝拉的时期仅限于那段社团时光,但它作为一种难以忘怀的回忆留存下来,我一直想将其转变为自己的什么作品。
最终决定与波丽佳音合作,以“广播剧+声优阿卡贝拉”的形式推进这个企划,直到现在荣幸地得以动画化,整个历程大概就是这样的。最初的企划书其实是在2019年完成的,而我独立是在那前一年,正好是我开始考虑尝试游戏以外企划的时期。(译注:山中 2018年7月从FURYU所属独立为自由人)
――将作品内容与声优们的成长同步呈现的这个想法,是最初就如此计划的吗?
山中:是的。《千层派》想要提供的体验,正是像官方YouTube频道上传的那种声优练习纪录片一样,将现实中的声优们付出的努力、遭遇瓶颈的姿态,与作品内容在一定程度上联动起来。目标是打造一种作品中角色的成长与声优们成长能重叠在一起欣赏的作品。动画中之所以描绘了诸如“音色不合”这类阿卡贝拉的专业话题——这些地方本来或许可以省略——也是出于这个原因。
非常幸运的是,声优们首先当然歌唱实力真的优秀,而且对阿卡贝拉充满热情,职业素养也很高……
说实话,这么说可能有点抱歉,我开始也没料到能做到这么好。她们以本不可能的速度成长着,实力早已超越了剧中的角色们,所以在请她们演绎时,反而需要她们稍微表现出青涩感、降低水平来表演,这真是件非常困难的事。

――除了负责Vocal Percussion的小闰(宫崎闰)役的花井美春小姐外,选拔过程中还有其他印象深刻的故事吗?
山中:花井小姐真的让人惊讶。当然,声优中原本就没有Vocal Percussion经验者,所以这部分某种程度上是一种赌注。赌的是花井小姐天生的节奏感和优秀的听力,以及她多样的才能,但谁都没能预料到她能达到那种水平。我想越是经验者会越是惊讶。这应该是她非同寻常努力的结果。
说到这里,饰演嬉歌(小牧嬉歌)的绫濑未来小姐来参加试音时,才15岁。在试音现场,我觉得没有比她胆子更大的15岁了。她本人或许也会紧张、有压力,但从旁看来,无论是表演还是唱歌都非常从容大方。能让这么一位成员担任中心位置,我认为是《千层派》的一笔巨大财产。
毕竟是自己写剧本,自然会追求符合自己作品风格的表演,我希望尽最大可能减少二次元式的夸张,进行偏自然主义的表演。即使在喜剧场景中,也注意不刻意安排吐槽角色,并执着于让对话节奏接近现实。在这方面,能感觉到自己所遇到的《千层派》的六位声优都非常合拍、并且能理解我的目标。
――确实,尤其是嬉歌,是一个非常有个性说话方式的角色呢。她会毫不客气地接连说出想说的话,或者突然在别人说话时插一句“对不起”。
山中:确实经常听到“不太像动画”的评价,我想这很大程度上也源于我并非在动画领域成长起来的背景。我对动画的模板化或格式化的表现方式不太执着。
稍微有点跑题……这算是我的喜剧论吧,我认为“二次元的搞笑”倾向于享受既有的“桥段”,类似于网络迷因。比如,大家在同一场景、同一时机喊出“巴鲁斯”从而感到快乐(译注:《天空之城》梗),通过共享这种固定桥段来获得安心感。
而我是不太能融入那种调子的人,所以总想尽可能做独立的、“不存在”的桥段。或许是这种习惯,才产生了前所未有的奇妙氛围感吧。以现在的时代来看,这或许也是难以“爆火”的困难尝试。

――不以“是否卖座”为唯一重要标准的立场,是作为游戏创作者的山中先生一以贯之的呢。
山中:真的是坏毛病(笑)。近年来也常听到类似角色仇恨值管理的说法,但我自己也不太在意那些,没有留下记忆。角色们无需在意屏幕另一侧的人类是否喜欢她们,只要有人能喜欢或讨厌她们以自我本色生活的样子,我觉得就行了。
――在第3~4话中,嬉歌和熊仔(熊井弥子)的互动也让人感受到一种非同寻常的说服力。
山中:或许原本可以有更快的进展,找到解决问题的捷径;作为动画、作为故事,也可能可以呈现出更具戏剧性的展开。但是,我认为角色并非为了故事而存在,所以我想优先为角色自身考虑。
总监督佐藤卓哉先生和波丽佳音公司也都秉持着同样的立场,共同追求这一点,所以我深感自己遇到了一个优秀的团队。
从在《卡利古拉》系列中以人心为主题进行描绘时起,我就认为不能轻易地将人的心理问题戏剧化解决。在人类力所能及的范围里、以可理解的速度、以沟通为主体去解决的话,那么那样的展开和结局对于她们而言就是最好的,我是这么觉得的。

――提到了《卡利古拉》,能否谈谈游戏剧本和动画脚本相比有何不同,以及游戏制作经验对动画制作起到积极作用的地方?
山中:不怕误解地说,我觉得游戏剧本更容易做得有趣。玩家按下按钮的体验,或是打倒敌人共同成长的沉浸感,这些交互性的部分能让故事体验增色数倍。
相比之下,动画是一种让观众处于被动接收状态的媒体。要在有限的播放时间内生动地刻画出每个角色的个性,我认为需要极高的技术水平。游戏中增加文本很容易,但动画由于时长限制,单个词语的重要性都大幅提升,这对专注力是种考验。我现在也仍在不断学习中。我会不止步于《千层派》继续向着更多的机会努力。
――正因如此,《千层派》中才充满了无数直击人心的角色发言和互动吧。山中先生自己有没有印象深刻的桥段或台词?
山中:关于这点,嬉歌这个角色,我在写第1话时,是做好了让她被观众彻底讨厌的准备的。她是一个从“无法在社会中顺利生存”作为起点出发的角色,如果她的这种姿态仅仅以“可爱”、“有趣”的评价收场,我认为那就是失败了。
如果不以初见的观众看到嬉歌的样子时,能产生“很难受”、“看着这孩子会高血压”的感受去描写,就无法诚实地面对她“与周围格格不入”的现状,所以将她写成了一个评价两极分化的角色。从这个意义上说,虽然给观众们带来了负担,但我也认为这是大家守候《千层派》这个故事所必需的。即便知道这并非最优化的做法,但我希望能为嬉歌最后是如何成长的留出足够长的助跑距离。

――动画进入中段的第6话,出现了作为前辈乐队般存在的“Parabola”成员,以及“阿卡贝拉部”内部爆发激烈冲突等重大展开。
山中:如果《千层派》是一个以赢得比赛为目标的故事,那么谁代表正义或许也能轻易得出结论。但《千层派》并非那样形式的作品,现实中许多社团活动也并非仅以获胜为目的,甚至有些根本不把战胜什么作为目标。
“阿卡贝拉部”也并非有比赛或什么在等着她们,各自的“目的意识”也没有标准答案。按照作品方向性来展示目的或许是故事创作的常规实现,但现实中不是没有目的的情况更多吗?世上就是有很多没有目的的事情,即便如此也能变成故事,我想毫不回避地描绘出这一点。
――确实,当动画中嬉歌被问到“是为了什么而歌唱”时,我个人也曾期待“这里应该会出现动画式的、直击要害、令人豁然开朗的回答吧”,结果让我愣住了。
山中:是的。将那种暧昧不明的东西巧妙地用语言定义的行为,某种意义上是非常轻松的道路,也让人心情舒畅。但我认为,现实并非如此,就那样描写出来不也挺好吗?
迄今为止作为游戏制作者,虽然未必做到非黑即白的地步,但既然是游戏,总会需要在某些时刻让人感受到那种畅快感。正因如此,我反而更想在另一种媒介中尝试不同的表达方式。
有一位叫今泉力哉的电影导演,我非常喜欢他,今泉导演有一个坚持是“不让主人公成长”。我虽然觉得自己无法贯彻到那种程度……但这句话的背后,我想是源于“人生本非戏剧性之物,也并非像故事那样充满转折展开、获得收获的情况居多,所以不想给观众带来疏离感”的意图。我也希望能在作品结束后,为观众带来一些能够带回现实生活中的感悟或感动。
――虽然社团活动并非只为获胜,但“Parabola”的成员们散发着惊人的气场,实时追看时,让人不禁紧张“接下来会是怎样的展开呢”。
山中:“Parabola”虽然常被介绍为对手乐队,但她们原本就不是能称之为对手级别的人。相对于作为社团活动的“阿卡贝拉部”,“Parabola”已处于专业商业领域,视角已然不同。动画终究是“阿卡贝拉部”的故事,“Parabola”的故事在原作广播剧中展开,有兴趣的观众请务必去听听看。
“阿卡贝拉部”与“Parabola”的结构非常maniac。如果说“阿卡贝拉部”是大家聚在一起进行的传统阿卡贝拉,那么现实中作为与之某种程度分离的音乐文化,存在着为了触达更多人而将多重录音品质钻研到极致的现代阿卡贝拉潮流,而践行这个的就是“Parabola”。
说得太多反而显得多余,我就长话短说:既然难得通过《千层派》接触到阿卡贝拉,我也希望观众能感受到,那种将未经修饰的歌声一次性叠加决胜的阿卡贝拉,与虽以“仅用人声”为魅力但用现代技术解决了其最大弱点、作为专业多重录音音源的阿卡贝拉,究竟有何不同。

――(采访当时)正在热播的《千层派》,山中先生作为原作者,打算如何守候她们的旅程呢?
山中:刚才提到的对嬉歌的反应,或者熊仔的声音在TikTok上被当作笑料等等,我认为这些反应其实是她们在现实中实际承受过的。或许,在逐渐了解她们之后,人们会后悔说过那些话,或者会对揶揄她们的言辞感到愤怒。我觉得这些点是能够紧密联系起来的。我希望能够提供这样的体验。
我再次感受到动画这个媒介的特殊性在于,有很多观众抱着“评价本季所有动画”的眼光来看待。比如制作Tier表。这不是好坏的问题,只是单纯地说有这种特征。游戏某种意义上,付费行为已经仪式化了,因为期待而购买,既然买了多少都会想要认真对待,我觉得这是很大的不同。
动画正因为是免费的,所以很多人抱着“先看看再说”的心态,因此,相较于游戏,能够不带偏爱、以更平等心态接受的观众比例或许更高,这很耐人寻味。在这样的环境中,某种程度上,某种关于如何“获胜”的最优化策略正在被逐渐发现。在这种背景下,自然主义的《千层派》会被如何接受,我感到非常好奇。即便观众只是浅尝辄止地观看后对她们产生焦躁感,只要能让人们享受这种黏稠纠结的情绪体验,或许就恰好体现了自己作品的气质吧。

日文原文
『うたミル』原作・山中拓也に聞く、ゲームシナリオとアニメ脚本の違い 「“作り物っぽさ”を徹底して削ぎ落とした」
文・取材=山本雄太郎、画像=©うたごえはミルフィーユ製作委員会 ©2022 UTAMILU
「アカペラ」をテーマに、女子高校生の青春と日常を、アカペラ初心者の声優陣の成長ととともに描く音楽プロジェクト『うたごえはミルフィーユ』(以下、『うたミル』)。オーディオドラマからスタートした本作のテレビアニメが7月17日~9月18日にかけて放送された(全10話)。
そんな『うたミル』の制作を、ポニーキャニオンとともに企画・原作・シリーズ構成・脚本にいたるまで担当したのは山中拓也氏。“人の心の闇”へと踏み込むジュブナイルRPG「Caligula -カリギュラ-」(以下、「カリギュラ」)シリーズを手掛けたことで知られるゲームクリエイターは、『うたミル』に数々の“アニメらしさ”からかけ離れた試みを盛り込んだと明かす。
『うたミル』はいかにして生まれ、そのハーモニーのなかにはどのような思いが込められていたのか。アニメの見どころやオーディションの裏話、さらにはゲームクリエイターをルーツとする山中氏がアニメに向き合って感じた違いなども含めて、たっぷりと語ってもらった。
奇跡的な巡り合いを経て、キャスト陣の歌声はいまや遙か高みへと
――はじめに、『うたミル』にまだ触れたことがない方に向けて本作の見どころや特色について教えてください。
山中:アカペラを題材とした作品自体は過去にもありましたが、『うたミル』の大きな特徴はキャラクターの演者が実際にライブでアカペラができることです。
これはアニメを観てくださっている方にはなかなか想像しづらい部分なのかなと思いますが、アニメやゲームなどの二次元コンテンツでアカペラをやるとしたときに、メンバーそれぞれのパートを歌声を個別に収録して編集で合わせれば、確かに“アカペラ音源”にはなります。対して『うたミル』は、実際にメンバー6人が対面で揃って生でアカペラをすることができるため、ライブでのアカペラ体験を提供することができます。特に生のアカペラと、多重録音の違いというものを物語に込めようと思っていたので、そこのこだわりは必須のパーツでした。
――音源を重ねるのではなく実際にその場で重ねるとなると、相手の歌声を聴きながらそれに合わせるといった技術も必要となりますよね。
山中:そうなんです。歌が上手な人が集まればアカペラができるわけではなくて、アカペラがうまくなるためにはアカペラをやるしかないので。本当に難しいことなんですが、毎週練習を積み重ねて、それこそ『全国ハモネプ大リーグ(ハモネプ)』に出場できるくらいにキャストの皆がアカペラに打ち込んでくれていることは、『うたミル』というコンテンツにとっての唯一無二の宝になっています。アカペラに本気だからこそ、作品としての本気も伝わるものだと思うので。そこのこだわりを持ち続けることこそ、アカペラ経験者の自分が制作の中心にいる意味だと思っています。
――そんな『うたミル』ですが、山中さんはいつごろからどのような形で制作に携わっていたのでしょうか?
山中:もともと僕が作っていたゲーム「カリギュラ」のアニメ化をポニーキャニオンさんがやってくださっていたご縁で、そこから仲良くさせていただいて。僕はゲームのお仕事が中心だったわけですが、企画をたくさん作っていくなかで「これはゲームではない媒体のほうが相性がいいかも」といったものも生まれるんですよね。
その中のひとつに、僕が大学時代にアカペラサークルをやっていた経験をもとにした企画がありまして。人生においてアカペラをやっていたのはそのサークルに在籍していた期間だけではあったのですが、なんとなく忘れがたい思い出として残っており、何かしら自分の作品にしたいと思っていたんです。
それをオーディオドラマ+声優さんのアカペラという形でやっていく企画としてポニーキャニオンさんと作ることになり、この度ありがたくアニメ化させていただけることになったという経緯でした。本当に最初の企画書は2019年に作っていて、自分が独立したのがその前年ですから、ちょうどゲーム以外の企画も作っていこうと思い始めた時期ですね。
――コンテンツをキャストのみなさんの成長と同時進行で届けていくというアイデアは、当初から想定していたものなのでしょうか?
山中:はい。『うたミル』で提供したい体験とは、まさに公式YouTubeチャンネルでお届けしているようなキャストのみなさんの練習ドキュメンタリーのような、生身のキャストさんの苦労や壁にぶち当たる姿と作品の内容がある程度連動するようなもの。作品のなかでのキャラクターの成長と、キャストの成長を重ね合わせて楽しめるものを目指していました。アニメのなかで「音色が合わない」といったアカペラの専門的なお話――本来ならば省略してもよさそうなところまで描いているのもそのためです。
ものすごく幸運なことに、キャストのみなさんは本当に歌がうまいのは勿論、アカペラに対して情熱を持ってくれているし、プロ意識も高くて……。
本当に、こんなことを言ったら申し訳ないんですけれど、これほどまでにうまくなる予定ではなかったんです。本来ありえない速度で成長していて、作中のキャラクターたちの実力をとうに凌駕してしまっているので、演じてもらう際はちょっと初々しい感じでレベルを落としてやってもらうという、ものすごく難しいことをやってもらっています。
――ボイスパーカッションを担当するウルル(宮崎閏)役の花井美春さんをはじめ、ほかにもオーディションで印象的なエピソードがあれば教えてください。
山中:花井さんは本当に驚きでしたね。もちろん声優さんにボイスパーカッションの経験者がいるわけではないので、一種賭けの部分はありました。花井さんの持ち前のリズム感と耳の良さ、そういった多種多様な才能に賭けたわけですが、あそこまでのレベルになるとは誰も想像していませんでした。経験者ほど驚くと思います。類まれなる努力の結果だと思います。
そこでいうと、ウタ(小牧嬉歌)役の綾瀬未来さんがオーディションに応募してきてくれた当時は、まだ15歳だったんです。あれほど肝が据わった15歳はいないなとオーディションに立ち会って思いましたし、本人的には緊張やプレッシャーはあるのかもしれないですが、傍目から見ていてお芝居も歌も本当に堂々とされていて。そんな方にセンターを務めてもらえたことは、『うたミル』にとっての大きな財産のひとつかなと思います。
やはり自分で脚本を書いている以上は自分の作品らしいお芝居を求めてしまうわけで、極力二次元的な誇張の少ない自然主義なお芝居をやりたいと思っています。コメディー的なシーンでも変にツッコミ役を立てないだとか、現実の会話に近いテンポになるようにこだわって作っています。そういった部分でもうたミルキャストの6人は相性のいい方、そして自分のやりたいことを理解してくれる方と出会えたという感覚があります。
――たしかに、なかでもウタは非常に特徴的なしゃべりかたをするキャラクターですよね。ズバズバと言いたいことを矢継ぎ早に口にしたり、ほかの人がしゃべっているところにいきなり「ごめんなさい」とカットインしたりと。
山中:ちょくちょくアニメっぽくないという感想をいただくことも多いんですが、それは僕がアニメ畑で育ってきていないことも大きいと思います。アニメのテンプレートやフォーマット的な表現にあまりこだわりがないんです。
やや話が逸れますが……これは自分のコメディー論のようなところで、“二次元のお笑い”とは、すでにある“くだり”を楽しむ傾向があると思っていて。ネットミーム的な。たとえば、みんなで同じシーン同じタイミングで「バルス」って言うのが楽しいみたいな、そういったお決まりのくだりを共有することで安心するというように。
僕はそういったノリにいまいち乗り切れない人間だったので、できるだけ独立した「存在しない」くだりがやりたくなっちゃって。そういう手癖から、いままでにないような不思議な空気感が生まれているのかなと。いまの時代的には、“バズり”が生まれにくい難しい試みでもあるとは思いますが。
――売れるかどうかだけが重要ではないというスタンスは、ゲームクリエイターとしての山中さんから一貫しているものなのですね。
山中:本当によくないところです(笑)。キャラクターのヘイトコントロールみたいな話も近年はよく聞きますが、そこもあまり気にした記憶がないです。キャラクターたちが画面の向こう側の人間に好かれるかどうかを彼女たちが気にする必要などないわけで、その子がその子らしく生きている姿を好きになったり嫌いになったりしてくれればいいかなと思っています。
――3~4話にかけての、ウタとクマちゃん(熊井弥子)のやり取りにもただならぬ説得力のようなものを感じました。
山中:もしかしたら問題解決のための最短距離みたいなものを、もっと早く通れる展開もあり得たかもしれないし、アニメとして、物語として劇的な展開にできる可能性もあったかと思います。ただ、そこは物語のためにキャラクターが存在するわけではないと考えているので、キャラクターのためを一番に考えてあげたかったんです。
そういったスタンスを、総監督である佐藤卓哉さんも、ポニーキャニオンさんも一緒に目指してくださったので本当にチームに恵まれたと感じています。
「カリギュラ」シリーズのなかで人の心をテーマに描いていたころから、やはり人の心の問題を安易に劇的に解決するお話を書きたくないという思いがありまして。人間が可能な範囲で、理解できる速度で、コミュニケーションを主体に解決していくとなると、あのような展開と顛末が彼女たちにとって最良だなと思えたというのもありますね。
――「カリギュラ」のお話が出ましたが、ゲームのシナリオとアニメの脚本を比較したときの違いや、ゲーム制作の経験がアニメ制作に活きたポイントなどがあれば教えてください。
山中:誤解を恐れずに言えば、ゲームのシナリオというのはおもしろくしやすいと感じました。プレイヤーがボタンを押す経験であったり、敵を倒してともに成長していく没入感であったりが、インタラクティブであるという部分が物語体験を何倍にも輝かせてくれるんです。
その点、アニメは視聴者が受け身にまわることになる媒体ですし、限られた放送時間の中でそれぞれのキャラクターをその子らしく生き生きと描くということは、ものすごく高い技術が求められるなと思いました。ゲームだとテキストを増やすことは容易ですが、アニメでは尺の関係でひとつのワードあたりの重要性が高まりますから、そこへの集中力は試されましたね。今もなお、いろいろ勉強中ですね。うたミルに限らずたくさん機会をいただけるように頑張ります。
――だからこそ、『うたミル』には心に刺さるキャラクターの発言ややり取りが無数にあったように思います。山中さん自身は、印象的なエピソードやセリフで思い浮かぶものはありますか?
山中:そこでいうと、ウタは1話の段階では視聴者から徹底的に嫌われていいと思って書きました。社会のなかでうまくやっていけないというところからスタートするキャラクターなので、そうした姿が単に「かわいい」「おもしろい」の感想だけで終わってしまったとしたら、それは失敗だなと思っていたので。
初見の方がウタの姿を見て、「キツイな」「この子を見るのがストレスだな」と思えるような描写になっていないと、“周囲とうまくなじめていない”というウタの現状に対して誠実ではないという思いで、好き嫌いが極端にわかれるキャラクターとして書いた。そういう意味で、視聴者のみなさんには負荷をかけることになりましたが、それも『うたミル』という物語を見守っていただくうえでは必要なものだったと思っています。最適化された作りではないことは理解しつつも、ウタが最後にどういう成長をするか、という助走距離を長くとりたい気持ちがありました。
――アニメが中盤に差し掛かる6話では先輩バンド的な立ち位置の「Parabola」の面々が登場したり、「アカペラ部」のなかでも激しい衝突が起こったりと大きな展開を迎えていきましたね。
山中:『うたミル』が大会に勝つことを目指すお話だったら、誰が正義なのかもわかりやすく結論付けられると思います。ただ『うたミル』はそういった形をとっていませんし、現実においても多くの部活は勝つことだけが目的ではなかったり、そもそも何かに勝つこと自体を目的としていなかったりしますよね。
「アカペラ部」もコンクールや何かが待ち受けているわけではないし、各々の目的意識という部分も正解が存在するようなことではない。作品の方向性に沿って目的を示すのはお話づくりのお決まりだと思いますが、でも現実には目的なんてないことのほうが多くないですかと。目的がないことって世の中にたくさんあるよねということを、それでも物語になりえるということを、逃げずに描きたかったんです。
――まさにアニメのなかでウタが「何のために歌っているのか」を問われたときに、個人的に「ここでアニメ的なズバッと腑に落ちる回答が出るものだろう」と期待していたこともあって、呆気にとられました。
山中:そうですね。そういった曖昧なものを言葉巧みに言語化して定義する行いって、ある意味すごく楽な道で、気持ちのいいことだと思うんです。でも、現実はそうじゃないもんなというところを、そのまま描写したっていいじゃないかという思いがあります。
これまではゲーム制作者として、しっかり白黒をつけるまではいかなくとも、ゲームである以上はそういった気持ちよさを感じてもらえる瞬間をつくってきたところがありますから、なおさら違うメディアでは違うことをしたいと思っていましたね。
今泉力哉さんという映画監督さんがいらっしゃって、僕はその方が大好きなのですが、今泉監督は「主人公を成長させない」というこだわりを持っているんです。僕はそこまで徹底できないなとも思ってしまうんですが……そのお言葉の裏側には、やはり人生とは劇的なものではないし、物語のように展開があって何を得るものではないケースが多いから、観た人に疎外感を与えてたくないという意図があるのだと思います。僕も、観終えた後でみなさんが現実に持って帰れる程度の気づきだったり感慨だったりを描いていきたいなと。
――勝つだけが部活ではないというところはありつつも、「Parabola」のメンバーたちは恐ろしいまでの風格を漂わせており、リアルタイムで見守っていた当時は「どのような展開が待ち受けているのだろう」と身構えずにはいられませんでした。
山中:「Parabola」はライバルバンドとして紹介されがちなのですが、そもそもライバルと言えるようなレベルにはいない人たちなんです。部活動としての「アカペラ部」に対して、プロビジネスの域にいる「Parabola」は視座がもう違っていて。アニメはあくまで「アカペラ部」のお話で、「Parabola」のお話は原作のオーディオドラマにて展開していますので、興味のある方はぜひチェックしていただければと思います。
「アカペラ部」と「Parabola」の構造は非常にマニアックでして、「アカペラ部」がみんなで顔を合わせてできる元来のアカペラだとしたら、そこからある種乖離した音楽文化として、より多くの人に届けるために多重録音のクオリティを突き詰めた現代的なアカペラというものが現実の潮流としてあり、それをやるのが「Parabola」なんです。
あまり語るのも野暮なので短めに留めておきますが、出たままの歌声を一発勝負で重ねるアカペラと、「声だけ」という魅力でありつつも最大の弱点を現代技術で解決しているプロフェッショナルな多重録音音源としてのアカペラがどう違うのかというところまで、せっかく『うたミル』を機にアカペラに触れてくださるなら感じてもらいたかったという背景もありました。
――(取材時点では)絶賛放映中の『うたミル』ですが、山中さんは原作者の立場から彼女たちの歩みをどのように見守ろうと考えていますか?
山中:先程話したウタへの反応や、クマちゃんの声がTikTokで笑われていたりとか、そういった反応は実際に現実に彼女たちが受けてきた反応だと思うんです。もしかしたら、彼女たちを知っていけばその言葉を後悔するかもしれないし、彼女たちを揶揄する言葉に怒りを覚えたりするかもしれない。そういうところがしっかりリンクしてくると思うんです。そういった体験をお届けできたらという思いがありますので。
あらためてアニメという媒体が特殊だなと感じたのが、「今期のアニメをすべて評価しよう」という目線を向けているお客さんが多いことでした。Tier表をつけてみたり、ですね。良し悪しの話ではなく、シンプルに特徴的だなと。ゲームはお金を払うことがある意味儀式化していることもあり、期待しているから買うし、買った以上は向き合おうという気持ちが少なからず生まれるのか、そこは大きな違いだなと思いました。
アニメでは無料だからとりあえず観てみようという感覚の方も多くいらっしゃるからこそ、身内びいき的なものがなくフラットに受け取ってもらえる人の比率がゲームよりも高まるのだとすれば、深いなと。そういった環境で、ある種競技的に勝ち方の最適化が見つかりつつある。その中で自然主義のうたミルがどう受け入れられるのかすごく興味深かったです。たとえ表面的に観て彼女たちにもどかしさを感じるだけで終わったとしても、そういったモダモダした気持ちを楽しんでもらえたら自分の作品らしくていいのかなと思います。
译者授权:VonXXGhost
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