【生肉转载】Febri TALK系列——井上伸一郎

取材・文/宮 昌太朗 撮影/松本祐亮
①誰に知られることもなく戦うヒーロー像が心に刺さった
『新造人間キャシャーン』
「TVアニメ第一世代」「オタク第一世代」として、アニメや特撮作品の発展とともに歩んできた編集者・プロデューサー、井上伸一郎。その歩みを、影響を受けた作品とともに振り返る連続インタビュー。第1回は自身の人格形成に大きく寄与したという、タツノコプロの名作をめぐって。
家にテレビがやって来た年にTVアニメが始まった
――今回は、井上さんが影響を受けた作品について聞きたいのですが、子供時代に見たもので印象に残っている番組というと、何がありますか?
井上 最初に記憶に残っているのは幼稚園のときですね。1963年に、家に初めてテレビが来て、それで『鉄人28号』のアニメを見ていました。その年の1月から放送していた『鉄腕アトム』ももちろん見ていましたし、あとは同じ年の年末に『エイトマン』が始まって。
――いわゆる「TVアニメ黎明期」ですね。
井上 まさにTVアニメ最初の年ですからね。
――特撮を最初に見たのはいつ頃になるんでしょうか?
井上 先日出した本(『メディアミックスの悪魔 井上伸一郎のおたく文化史』)にも書いたんですが、東宝の『太平洋の翼』が最初に見た特撮映画の記憶です。たぶん、池袋の映画館だったんじゃないかな。戦記モノの作品なんですが、円谷英二さんが特技監督をやっておられて。最初に名前をおぼえた映画人が円谷英二でしたね。自分たちの世代はよく「オタク第一世代」とか「TVアニメ第一世代」と言われるのですが、物心ついたときにTVアニメがスタートしたので、どれも大変インパクトがありました。しかも、私たちが成長するのに応じて、作品がターゲットにする年齢も上がっていくわけで、大変ラッキーな環境ではありました。
――同年代でも、アニメや特撮から離れていく人もいたと思うんですが……。
井上 私は離れなかったんです。アウトドアで遊ぶよりは、どちらかというと家でテレビを見ているか、本を読んでいるか、絵を描いているか、みたいな子供で。小学校の高学年とか中学校に入ったタイミングでアニメを見なくなる人が多いと思うんですけど、私はずーっと見ていました。よく「卒業する」という言い方をしますけど、私自身は卒業しないまま、今に至る感じです。
――事前のアンケートでは『新造人間キャシャーン(以下、キャシャーン)』を1作目に挙げてもらっているのですが、これを見たのはどれくらいの年齢だったんでしょうか?
井上 中学生の頃ですね。若い人にわかっていただくのはなかなか難しいと思うんですが、当時はアニメの情報源が限られていたんです。今みたいにインターネットがあるわけでもないですし。その頃、新番組の情報を手に入れるには新聞のテレビ欄をチェックするくらいしかなかったんです。とはいえ、タツノコプロの作品は『科学忍者隊ガッチャマン』があって、その前にも『紅三四郎』や『マッハGoGoGo』がある。タツノコプロの作品は、第1作目の『宇宙エース』からほぼすべて見ていました。

他人に感謝されたり、褒められたりすることが人生の本質ではない
――『キャシャーン』のどこがそんなに心に刺さったんでしょうか?
井上 やっぱりストーリーでしょうね。富野由悠季(当時は喜幸)さんが演出をやっておられるエピソードがあったりして、心に響く回がとても多かったんです。『キャシャーン』はほとんどが各話完結形式で、いわゆる「股旅モノ」。いろいろな街に行って、敵であるアンドロ軍団と戦うんですが、それぞれの街ごとに戦う理由が用意されているんです。しかし、主人公のキャシャーンこと東鉄也が敵を倒しても、街の人から全然感謝されない。むしろ疎まれることも多いんですね。第14話「キャシャーン無用の街」だと、「お前が来るから戦闘が起こるんだ」みたいなことを言われたりする。
――孤独なアウトロー的な立ち位置ですよね。
井上 いちばん好きなのが、第9話の「戦火に響け協奏曲(コンチェルト)」というエピソードなんですが、アンドロ軍団の侵攻で、市民が街を捨てて逃げていく中でひとりだけ、盲目の少女ピアニストが街に残ってピアノを弾いている。その音色を聞きたくて、人々が街に戻ってくるんです。一方、キャシャーンが何をやっているかというと、少女のコンサートが開かれている野外音楽場の外で、街の人々を守るために、誰に知られることなく戦っているんです。要するに、他人に感謝されたり、褒められることは、人間の生き方にとって決して本質ではない。たとえ誰にも知られなくても、努力をしたり、他人のために働いたりすることが大事なんだ、と。そういう意味で、自分の人格形成に大きな影響を与えたアニメなんです。私は黒子的な仕事である編集者やプロデューサーになりましたが、自分の運命を決定付けたアニメかもしれません。
――『キャシャーン』はSF的な設定がありつつも、ちょっとファンタジックなところがある作品ですね。
井上 そうですね。白鳥のロボット(スワニー)に鉄也の母・みどりの生体データが記録されている、なんて設定はまさにその最もたるものでした。現在では全脳エミュレーションというAIの研究がされていて、ファンタジーの世界が科学で実現される可能性が出てきましたが。敵のブライキング・ボスは西洋のお城に住んでいて、そのあたりにもファンタジー要素がありますね。私が通っている高校が中央線の国分寺駅から歩いて約20分のところにあったんですが、歩いていく途中にタツノコプロがあったんです。なので、学校の帰り道、よくセル画をもらいに遊びに行っていました。
――そんなことがあったんですか!
井上 いつもはほとんど人がいないんですけど、たまたま受付に人がいて、機嫌がよかったりすると、セル画をもらえるんです(笑)。これも今の人にはなかなか信じてもらえないかもしれないんですが、アニメ制作の途中で出てくる中間生成物は、産業廃棄物として捨てなければいけなかったんです。だから、アニメの制作会社はみんな、扱いに困っていたんですね。ただ、自分としては、『キャシャーン』のルナが欲しいのに、『けろっこデメタン』のセル画だったりして(笑)。
――ということは、お気に入りのキャラクターはやはりルナですか?
井上 ええ、キャシャーンは当然好きだったんですが、ヒロインのルナも好きでしたね。
②人生が変わるきっかけそのものだった
『機動戦士ガンダム』
編集者・プロデューサーとして活躍する井上伸一郎に、その歩みを聞く連続インタビュー。第2回は「編集者」への道に踏み出すことになった、名作ロボットアニメとの出会いについて話を聞く。さらにはキャリアの出発点となった雑誌『アニメック』時代の裏話もたっぷり話してもらった。
逃げ出したアムロに当時の自分を重ね合わせた
――中学~高校時代にかけても、相変わらずテレビっ子だったんでしょうか?
井上 そうですね。特撮番組もずっと見ていました。「黄金の1972年」などと言われますが、70年代前半は作品数も多くて、毎日何かしら放送されていた印象があります。さらに高校1年のときに『宇宙戦艦ヤマト』を見て、TVアニメの進化を実感したんです。決して子供向けではなくて――人によっては「あれはSFではない」とおっしゃる方もいると思うんですが、ちゃんとSFをやろうとしている志があった。ヤマトが小惑星をリング状にして防御に使うところとか、理屈をちゃんとつけてやっている感じがあった。ただ、そういう変化を友達に説明しても、なかなかうまく伝わらない(笑)。オタク趣味が合う友達はあまりいなかったですね。
――その後、井上さんは雑誌『アニメック』の編集部に、アルバイトとして入るわけですが、どういう経緯だったんでしょうか?
井上 1980年の春休みのことなんですが、上野の京成百貨店、今は上野マルイがある場所に、『アニメック』がアニメグッズのショップを出していたんです。そこで売り子のアルバイト募集していたのがきっかけです。じつは『アニメック』の本誌には編集アルバイトの募集広告が載っていて、それにも応募していたんですが、もうすでに募集が終わっていて。それで、売り子のアルバイトを始めることになったんです。
――『アニメック』の編集アルバイトに応募したのは、やはりアニメが好きだったからなんでしょうか?
井上 そうです。自分の人生を変えた作品の2本目が『機動戦士ガンダム(以下、ガンダム)』なんですが、『ガンダム』が好きだからこそ、他の媒体に先駆けて『ガンダム』を特集していた『アニメック』を読んでいたんですね。『宇宙戦艦ヤマト』のときに「アニメの流れが変わった」と思ったんですが、『ガンダム』ではそれがさらにもう一段、高みに行ったという感覚がありました。ドラマをちゃんと描こうとしているし、キャラクターもすごく魅力的で。とくに主人公のアムロ・レイは、これまでのアニメには出てこないようなタイプの主人公でした。じつは当時、いろいろなことが重なって、個人的にはちょうど人生の暗黒期だったんです。『ガンダム』は第1話からは見ていなくて、最初に見たのが第17話の「アムロ脱走」。ブライトから「お前はもう必要ない」と言われたアムロが、ガンダムを強奪して逃げ出すという話なんですが、その展開が自分の心境とすごくシンクロした思い出があります。

富野監督と出会って編集者の仕事の楽しさをおぼえた
――しかもそこから雑誌編集者の世界に飛び込んで、人生が大きく変わることになる。
井上 変わっちゃいましたね。実際に編集の仕事を始めたら、これが面白くて。お金も稼げるようになったので、大学も辞めてしまいました。編集の面白さって、やっぱり自分のアイデアが形になることなんです。『アニメック』では編集者が自分で誌面をデザインしていたので、自分の考えたものをそのまま形にできた。しかも媒体で取材をするとなると、普通では会えないような人と会うことができる。あと、これは角川書店の代表取締役時代、現場の編集者に聞かせていたことですが、小説家の方には、普通の人なかなかお会いできないんです。たとえば新聞社の人でさえ、きちんと取材の手続きを踏まないと作家には会うことができない。でも編集者であれば、そんなハードルを飛び越えて、日常的に作家と会って、しかも一緒にモノを作ることができる。それって、ものすごく貴重なことだと自覚すべし、と。『アニメック』時代から通じてそういう経験ができたのは、本当に『ガンダム』のおかげだと思います。
――編集者として仕事を続けていく中で、とくに印象に残った人というと誰になるんでしょうか?
井上 やはり富野由悠季さんの存在は大きかったです。『アニメック』で富野さん担当になって、『聖戦士ダンバイン』以降は富野さんと定期的にお会いしていたんですが、とにかく話が面白いんです。その後、角川書店で『月刊ニュータイプ』を立ち上げてからも、ずっと富野さんの担当でした。最低でも週に1回は事務所にお邪魔して、原稿をいただいたり、インタビューをしたり、雑談したり……。さっきもお話ししたように、それってなかなか普通の人では味わえない体験なわけで、その楽しさをおぼえたというのはあります。
――富野さんとはどういう話をしたんでしょうか?
井上 基本的には時事問題ですね。今、世の中で起きていることに対して、富野さんがどう考えているか。たぶん富野さん自身、話しながら整理しているところがあるんでしょうね。富野さんが今、思っていることを聞き役として聞く、みたいな感じでした。世間的には露悪的な人だと思われているかもしれませんが、あんなに頭のいい人にはなかなか出会えないと思います。いろいろなことを考えられているし、一見、全然違うもの同士を結びつける発想力がすごい。あとから考えると、「あれって富野さんの発明だったな」と思い当たるものがいっぱいあるんですよ。たとえば『機動戦士ガンダムF91』には「バグ」という人間だけに反応する小型の飛翔兵器が出てくるんですが、まさに現代のドローン兵器ですよね。最近になって、その発想力に唸りました。
――先を見抜く力みたいなものがある。
井上 これは80年代後半くらいに聞いたことだったかな。富野さんが「民主主義は行き詰まっている。仮に『間違わない独裁』があるとすれば、いずれそれが求められる」と言うんです。なぜかというと、民主主義は手続きが多すぎる。手続きの煩雑さ、意見を取りまとめることの大変さで、世界中が疲弊している、と。今、アメリカのトランプ政権を支持している人がそうですよね。もちろん間違わない独裁などというものは、現実ではあり得ないのですが、民主主義の停滞と強権政治の台頭を40年近く前にすでに予見していた。そういう意味で、富野さんの演繹的(えんえきてき、ひとつの前提から推論を広げていくこと)な発想、社会を洞察する力は本当にすごいと思わされます。
③劇場アニメへの思いを遂げることができた
『時をかける少女』
雑誌『アニメック』や『月刊ニュータイプ』に携わり、アニメや特撮の第一線を走り続けた編集者・プロデューサー、井上伸一郎への連続インタビュー。その第3回は、製作者として参加した細田守監督の、あの名作について。公開された2006年当時のアニメ映画の状況を振り返りつつ、製作の裏側を聞いた。
「あの細田さんとやれるなんて」とうれしかった
――3本目に挙がったのは、細田守監督の劇場アニメ映画『時をかける少女』。井上さんは角川書店のプロデューサーとして、製作に参加しています。
井上 1983年の大林宣彦監督の実写版も好きでした。それこそマンガ家のゆうきまさみさんとふたりで新宿東映に見に行った帰り、ご飯を食べながら「いかに原田知世が素晴らしいか」を語り合ったりしたんですけど(笑)。それはさておき、2004年の末頃に、新宿の喫茶店でマッドハウスの丸山正雄さんとお会いして、「東映アニメーションを離れた細田さんが『時をかける少女』の映画を作りたがっている。なんとか頼まれてくれないか」と言われたんですね。丸山さんから聞いた話だと、今敏監督が『パプリカ』を手がけることになったタイミングで筒井康隆先生にお会いして、同時に『時をかける少女』の映画化をOKしてもらっていたそうなんですが、少し時間が経っていたので、あらためて私も筒井先生にお会いして、許可をいただきました。そこで「今回のアニメ版は原作通りのストーリーではなくて、次の世代の話なんです」とお伝えしたら、好意的に受け止めていただいて。『デジモンアドベンチャー』やルイ・ヴィトンのプロモーション短編「SUPERFLAT MONOGRAM」などで、細田さんのことは以前から注目していたので「あの細田さんと仕事できるなんて」と、うれしかった記憶があります。
――当時の井上さんは、立場的にはどういうポジションだったんでしょうか。
井上 アニメコミック事業部の部長です。アニメコミック事業部というのは、『月刊ニュータイプ』や『少年エース』『ASUKA』のようなマンガ系の雑誌と、スニーカー文庫、ルビー文庫などのライトノベルからなる部署だったんですが、TVアニメも手がけていたんです。当時は年間10本くらいですね。でも、テレビだけじゃなく、劇場作品もやりたいなと思っていて。じつは角川書店の中には、別に映画を作る部署があったんですが、『時をかける少女』は「アニメコミック事業部でも映画をやりましょう」ということになり、映画の部署にいた劇場の営業担当たちと打ち合わせをして、助け合って製作しています。
――アニメコミック事業部としては、初めて手がけた映画だった。
井上 そうですね。だから『時をかける少女』は自分にとって、仕事の転機になった作品なんです。じつはずっと以前に、東京テアトルさんから声をかけていただいて、大友克洋さんがシナリオの『老人Z』(制作当時はOVA、後に劇場公開)に出資をしているんですが、そのときは途中で私が女性誌に移ってしまったので、完成を見届けることができなかったんです。それが心残りになっていて、「いつか劇場アニメを作りたい」という気持ちがずっとありました。
――ある意味、リベンジでもあった。
井上 当時、劇場アニメを製作するということ自体、大変ハードルの高い時代でした。もちろん、子供向けの定番作品はありましたし、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』でも、監督の庵野秀明さんやキングレコードの大月プロデューサーと向き合っていたのは私だったんですが、映画製作は角川の別の部署がやっていたんです。それに『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』も、『エヴァンゲリオン』も、TVシリーズで人気があるから劇場アニメになったわけで。単発で、いわゆるアニメファンや一般の映画観客をターゲットとしたアニメ映画という存在自体、なかなかなかったんです。

一度できあがっていたシナリオを「全部捨てます」
――アニメ映画が毎週のように公開されている今の状況とは、まったく違いますね。
井上 『時をかける少女』の前にも、『茄子 アンダルシアの夏』のような素晴らしい作品はあったんですが、興行的にも大成功させようと思うと、とてもハードルが高くなる。そこで『時をかける少女』のときは、公開する映画館の館数を絞りました。その代わりにメイン館である新宿テアトルを聖地にしよう、と考えました。当時はまだ立ち見があった時代なので、劇場で満員状態を続けよう、と目標を立てて。
――振り返ってみると、今のアニメ映画の活況がある、その道しるべになったような作品だったのかもしれないと思います。
井上 そうですね。2011年にとあるレポートを見る機会があったんですが、そこには「アニメ映画はダウントレンドだ」と書かれていたんです。あの頃までは、アニメ映画はそうそう当たらないという感じでしたね。新海誠監督も『君の名は。』までは上映館数が少なかったですし。細田監督の作品も『時をかける少女』以降、『サマーウォーズ』や『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』と、だんだん公開館数が増えていくにつれて、観客も増えていきました。
――『時をかける少女』を作っていて、面白かったのはどこですか?
井上 細田さんは最初に上がっていたシナリオを一度、全部捨てているんです。たしか3~4稿あたりまで進んでいたんですが、面白いんだけど、なんとなく話のスケールが小さいな、と思っていて。そうしたらある日、細田さんが「全部捨てます」と言って、イチから作り直すことになりました。完成版をご覧になった方はわかると思いますが、『時をかける少女』は、人生のビジョンが見つからなかった少女・真琴が、それを見つける話なんですね。シナリオを作り直した際に明確な一歩を踏み出すという展開に変わったんです。もちろん、未来から来た少年との出会いと別れがベースにあるんですが、最初のシナリオと完成版ではそこが大きく違う。その変更によって、素敵なストーリーになったと思いました。
――なるほど。最後に、井上さんが執筆した『メディアミックスの悪魔 井上伸一郎のおたく文化史』が最近発売されました。これはどんな本なのでしょうか?
井上 基本的には、私の幼少期から現在に至るまでを書き綴った本です。書き始めてみてわかったんですが、子供の頃に好きだったアニメやマンガを馬鹿にされると、どうして私はこんなにも怒る性格になってしまったのか。そこを突き詰めて考えるというところから始まります(笑)。あとは、久しぶりに編集者らしい仕事をやった本でもありますね。カバーイラストの著作権交渉をしたんですが、権利元である円谷プロとバンダイナムコフィルムワークス、石森プロ、東映の皆さんとのやり取りを、全部自分でやりました。あのカバーイラストは、普通はなかなか実現しない貴重なものです。ここは自慢したいところです(笑)。
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