【生肉转载】Febri TALK系列——长崎行男

取材・文/富田英樹
来源:日本深度动画内容网站Febri
采访发布时间:2022年11月14日~18日
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①主題歌と映像の鮮烈な記憶
『西遊記』
『プリティーリズム・オーロラドリーム』にはじまる『プリティー』シリーズや『ラブライブ!』シリーズなどの音響監督として知られる長崎行男。一方で音楽プロデューサーや脚本家として活動したキャリアも持つ。そんな彼が大きな影響を受けた3つのアニメ作品について語るインタビュー連載。第1回は「音」と「映像」にまつわる世界を目指すきっかけになったという『西遊記』について。
音楽と映像は切っても切れない関係にある
――第1回で取り上げるのは『西遊記』です。1960年に公開された劇場アニメで、監督にあたる「演出」の肩書きで原作者の手塚治虫さんの名前もクレジットされています。
長崎 この作品は子供の頃にリアルタイムで見ていて、まだ小学校にあがる前だったと記憶しています。実家の近所に東映系の映画館があって、当然そこでは東映の作品が上映されているわけです。親が映画好きだったこともあって、よく一緒に連れて行ってもらいました。たしか『水戸黄門』との併映だったと思うのですが、それが『西遊記』との出会いでした。東映動画(現:東映アニメーション)の初期の作品で、まだアニメという言葉もない、「総天然色漫画映画」なんて呼ばれていた時代ですね。それでも「おーれは孫悟空~、孫悟空~」というテーマ曲は今でも歌えるくらい、はっきりと記憶に残っているんです 。
――おぼえやすいというか、たしかに強烈な印象がありますね。
長崎 同じように記憶に残っているテーマ曲としては、翌年公開された『モスラ』の劇中歌「モスラの歌」ですかね。あれも繰り返しが多い歌詞で、曲としてはシンプルなんですけど、強烈な印象を残すものですよね。この当時はディズニーも含めてミュージカル調の作品が多かった。あと、僕らの世代が子供の頃にテレビでよく見ていたのはNHKの人形劇だったんですよ。たとえば、『チロリン村とくるみの木』とか『ひょっこりひょうたん島』などが有名ですが、これらはほとんどミュージカル調だったんです。それが根っこあるのか、僕の中では映像と音楽というのは切っても切れない関係にあるという考えが強くて。これが後々、『ウエスト・サイド物語』を見て衝撃を受けて、映画監督を目指すきっかけにもなっているんですけどね。当時はまだ「オタク」という言葉はなかったけど、「プレオタク」というか、そういう気質があったので、やがて『月刊COM』のようなマンガ雑誌を買い始めて、そこに自分で描いたマンガを投稿するわけだけど、どうも自分は絵が下手だということに気づいて(笑)。マンガ家への夢はそこで潰えてしまいました。
まさしくアニメの原体験だった
――そのあと、マンガから映画の道に興味が出てきたということでしょうか?
長崎 そうですね。中学のときに『ウエスト・サイド物語』を見て、次第に映画監督への興味が出てきたこともあって、高校の頃には映画の世界を目指すようになっていました。大学生になると映画クラブに入って、映画漬けの生活をしていましたね。大学の先輩が千葉真一さんのJAC(※ジャパンアクションクラブ。現在は株式会社ジャパンアクションエンタープライズ)に入社したツテを頼って、僕も千葉さんのそばで脚本や企画書を書いていたんですよ。勉強もせずに映画関係のバイトばっかりしていたものですから、就職時期も逃がしてしまって(笑)。その時期にまだ募集をしていたのがホリプロダクション(現:ホリプロ)とナベプロ(渡辺プロダクション)だったんです。そこでホリプロになんとか潜り込んだわけですけど、社員のままでは映画監督になれそうもないとすぐに気づいた。でも、音楽制作のセクションでは、制作物のレコードジャケットに「Directed by~」と名前が入っているんですね。これが社員の人の名前だったから、ディレクション=監督なら映画も音楽も同じだろうという不純な動機で音楽制作のセクションを希望しました(笑)。
――マンガから映画、映画から音楽へと移っていったんですね。
長崎 ホリプロに入社してくる人はマネージャー志望が多く、僕のように映画監督を目指してやってくる人なんてほとんどいない。だからすぐに音楽制作のADとして採用されて、歌の制作の仕事を2年半くらいやりました。そのあとはワーナー・パイオニアに1年くらいいて、その次がEPICソニー(現:エピックレコードジャパン)、ソニーミュージックと転々としていきました。ソニーミュージックにはソニー・コンピュータエンタテインメントに出向していたときも含めて23年くらい在籍していましたね。それからコナミに移籍したあと、現在の音響監督になったわけですけど、この間の話を始めるとキリがないので割愛します(笑)。
――その経歴の始まりが『西遊記』だったんですね。この作品はその後に見返すことはあったのでしょうか?
長崎 「東映まんがまつり」でも上映していたそうですから、もう1回くらいは見ている気がするんですけど、通算で見たのはその2回じゃないかなと思います。にもかかわらず、冒頭で話したテーマ曲だけでなく、悟空と牛魔王の戦いのシーンなども鮮明におぼえていて、僕の中ではそれだけインパクトのあった作品なのだろうと思いますね。まさしく、アニメの原体験だったと言えるのかもしれません。
②アニメの可能性を見た
『機動戦士ガンダム』のドラマツルギー
音響監督として数々の人気作を手がける長崎行男に聞くアニメ3選。インタビュー連載の第2回は、誰もが知るロボットアニメの金字塔を取り上げる。映画監督志望だった青年時代に受けた衝撃を、のちに富野由悠季監督と出会った際のエピソードとともに振り返る。
「俺たち大人こそ見るべき作品だ」と衝撃を受けた
――第1回の『西遊記』から時代が飛んで、第2回は『機動戦士ガンダム(以下、ガンダム)』の劇場版3部作ですが、TVシリーズは見ていなかったのですか?
長崎 TVシリーズが放送されていたのは僕の大学時代で、その頃、TVアニメはほとんど見ていなかったんです。当時は「テレビまんが」と呼ばれていて「子供が見るもの」というイメージでしたし、映画監督志望の大学生だったこともあって、生意気なわけですよ(笑)。当時、僕がテレビで見ていたのは『傷だらけの天使』とか『必殺仕掛人』などで、深作欣二さんをはじめとする映画監督が撮った実写ドラマに感動していて、『宇宙戦艦ヤマト(以下、ヤマト)』などにも興味が向かなかったんです。だから『ガンダム』も「どうせダメだろう、シャア・アズナブルなんてシャルル・アズナヴールから安易に名前をとりやがって」なんて思っていた(笑)。だからTVシリーズは見ていなかったんですね。ところが劇場版を見たら「これはすごい!」と。この内容は子供が見てもわからないだろうと思ったし、むしろ俺たち大人こそ見るべき作品だと感動したんです。劇場版が公開された頃にはホリプロダクションに入社していましたから、本当に衝撃を受けましたね。
――『ガンダム』のどこが他の作品とは違っていたのでしょうか?
長崎 まずはドラマツルギーがしっかりしていること。先ほどのシャルル・アズナヴール云々のような表面的なことを除けば、その人間ドラマの描写は「テレビまんが」の範疇をはるかに超えた深みがあった。それこそ『仁義なき戦い』などの深作欣二監督作品と同列に並べることができる作品だったと思ったし、もう一度ちゃんとアニメを見よう、と思い直すきっかけにもなったんです。たとえば、『巨神ゴーグ』や『超時空要塞マクロス』、あとは『風の谷のナウシカ』などを見るようになったんですね。『マクロス』なんかは音楽と恋愛ドラマと宇宙戦争がかけ合わさったような内容で、しかもそれを非常に若い人たちが作っていたというので、すごいな、うらやましいなと思っていました。『ガンダム』に話を戻すと、もうひとつのポイントは、さっき言った人間ドラマを支えるためのSF描写がとてもリアルに考えられていたということですね。
突然スタッフを集めて始まった富野監督の演説
――当時のSFアニメだと『宇宙戦艦ヤマト』に影響を受けた人も多いと思いますが、そのあと『ヤマト』にも触れたのでしょうか?
長崎 『ヤマト』に影響を受けたのは音楽ですね。宮川泰先生の楽曲は本当に素晴らしいと思いますし、現在まで影響を受けています。もちろん、サントラも買って聞き込みました。でも、SF描写に関していえば、『ガンダム』とはかなり差がありましたよね。『ガンダム』はスペース・コロニーなども含めて、実際の技術的に可能かどうかは別として、劇中でちゃんと実在するように見せてくれるじゃないですか。僕の中での『ガンダム』と『ヤマト』の違いはそこにあって、それこそがハマるかハマらないかの最大の理由にもなっているんだと思います。
――リアリティに惹かれるのは、長崎さんの当時の実写映画志向によるところも大きかったのでしょうか?
長崎 というよりも、SF小説で培った趣味嗜好の部分かもしれません。たとえば、当時の実写映画だと『2001年宇宙の旅』や『スター・ウォーズ』のような大作がありますが、前者は宇宙空間では無音で、映像として無重力を表現するなど究極的なリアリティを目指した前衛的な映画ですよね。後者は同じSF、同じ宇宙を舞台にしつつも冒険活劇映画です。とはいえ、作品が目指すところやジャンルの違いを加味したうえでも、『スター・ウォーズ』でもそこまでリアリティを無視した描写はしていなかったでしょう。ジェダイにしても無敵の存在ではなかったし。そうしたギミックの差というか、自分の中で許容できるラインとできないラインがあって、それが『ガンダム』と『ヤマト』に対する興味の差になっているのだと思います。もっとも、当時はただのいちファンでしたから、あくまでお客さんのポジションで好き放題に言っていただけなんですけど。
――お仕事で『ガンダム』の影響を感じることはありましたか?
長崎 それでいうと、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のとき、僕はEPICソニーにいてサウンドトラックの制作を担当していたので、収録現場で富野(由悠季)監督にもお会いしたんです。ダビング・スタジオでお会いしたときには、休憩時間に小説の原稿を打っておられました。当時のワープロって液晶画面が1行分しかなかったんですが、それを使って『オーラバトラー戦記』(※TVアニメ『聖戦士ダンバイン』を下敷きに書かれたノベライズ作品)の原稿を書かれていたんですね。それから、サントラのジャケットを加藤直之さんに描いていただいて、その原画を持ってサンライズに行ったら、富野さんがそこにいたスタッフを集めて「いいか、ガンダムっていうのはこう描かなきゃいけないんです!」と演説を始めたのがとても印象に残っています。お会いする前からすごい人だと思っていましたけど、やっぱり本当にすごい人でしたよ(笑)。
③アニメ制作の現場に導いてくれた
『超獣機神ダンクーガ』
インタビュー連載の第3回では、音楽業界で仕事をするなかで、初めてアニメに関わることになった作品が登場。アニメ制作のノウハウを教わり、のちに音響監督として活動するきっかけとなった『超獣機神ダンクーガ』について、作品に参加した経緯から振り返ってもらった。
知り合いからもらったチャンスに飛びついた
――3作目は『超獣機神ダンクーガ(以下、ダンクーガ)』ですが、これは意外なタイトルでした。
長崎 具体的にアニメに関わることになった最初の作品でした。当時、僕はEPICソニーに在籍していて、業界同期の人間がTBS系の音楽出版社である日音という会社にいたんです。彼に「今度TBSでアニメーションをやるんだけど」と声をかけてもらった。通常であればアニメの話はEPICには来ないのですが、知り合いのツテでそういうチャンスがあって、僕は飛びついたわけです。それでEPICの担当者として、主題歌や劇伴の制作という立場で作品に参加することになりました。『ダンクーガ』は旭通(現:ADK)の片岡義朗さんがプロデューサーで、片岡さんに本当にいろいろなことを教えていただきました。
――音響監督ではなく、音楽制作としての参加だったんですね。
長崎 そうです。音楽制作担当は作品の制作開始時に音を確認したら、それ以降は現場に来ないのが普通で、それは今も昔も同じだと思うんですが、僕は好きだから用もないのに毎週アフレコ現場にもダビング現場にも顔を出していた(笑)。そうなると作業が終わったら飲みに行こうということになるし、その流れで役者さんやマネージャー、プロデューサー、音響監督などとも親しくなって、自然とアニメ業界のことにも詳しくなっていきました。『ダンクーガ』のTVシリーズは3クールで打ち切りになってしまったのですが、熱心なファンが多くいてくれたおかげで続編のOVAが制作されて、その際にも声をかけてもらいました。それがきっかけで『吸血鬼ハンターD』や『ガルフォース』といったOVAのヒット作にも関わることになったんです。
――『ダンクーガ』といえばOP主題歌を歌う藤原理恵さんが声優としても出演したり、獣戦機隊(※)がライブを開催したりと、作品の内外にまたがる展開も印象的でした。
長崎 そのあたりは片岡さんがほとんど考えていたんじゃないかな。主題歌を歌う歌手が本編中にキャラクターとして登場するとか、そういうギミックが大好きだったんですよね(笑)。でも、楽曲自体は僕の得意な音楽ジャンルに引き込んで好き勝手にやらせていただいた思い出があります。『ダンクーガ』では奥田誠治総監督にもいろいろと教えていただいて、「実写版の『伊賀のカバ丸』の脚本を書いていたんです」とアピールしたら「じゃあ、今度やる作品の脚本を書きませんか?」と渡されたのが『ドリームハンター麗夢』でした。それからシリーズ3本の脚本を書かせていただき、1本目のギャラでワープロを買い、2本目のギャラで教習所に通い、3本目のギャラで中古の車を買いました(笑)。
※ 作中で主人公の藤原忍たちが所属する部隊名。彼らを演じるキャストが同名の声優ユニットとしても活動した
工程を経ることで作品が変わっていく重要性
――『ダンクーガ』の現場から教わったことで、とくに印象に残っていることは何ですか?
長崎 当初は門外漢に近いから、本当に何もかも勉強させていただくような気持ちで現場にいたんですよ。脚本も読ませてもらうんですけど、あまりピンとこなくて「自分で担当したいと手を挙げたけど、大丈夫かな……」と思いつつ、次に絵コンテを見たら、すごく面白そうになっている。奥田さんたちが脚本を膨らませて絵コンテを描いていたんですけど、それに衝撃を受けて、音楽担当の僕がアフレコやダビングの現場に通い出すことになるんです。音響監督(松浦典良さん)も脚本を読んで劇伴を発注するのですが、その音楽メニューが文学的で、今に至るも参考にさせてもらっています。さまざまな工程を経ることで作品が変わっていく重要性は『ダンクーガ』の現場で教えてもらいました。
――その後、どういう経緯で長崎さんは音響監督になったのでしょうか?
長崎 EPIC時代に音楽部門からニューメディア部門に移り、任天堂やパソコンのゲーム・ソフトを作っていました。そのセクション自体が後に、ソニー・コンピュータエンタテインメントになります。それから10年ほどゲームの仕事をしていたんですけど、コナミが「アニメを作りたい」というので転職したんです。ただ、よくも悪くも自由だったソニーミュージックと比べると、コナミは社風が厳しくて(笑)。コナミを辞めたのが47歳のときだったんですけど、そこで「これからどうやって生きていこうか」と考えたときに、音響監督ならこれまでの経験が活かせそうだし、当時はまだ著名な音響監督が10数人で業界をまわしていた頃でしたから、なんとかなるかもしれない、と考えて青二プロダクションの社長に相談してみたんです。そうしたら「あ、じゃあ仕事を紹介するよ」と言っていただけて。他にも、讀賣テレビの諏訪道彦さんとか、アニプレックスの植田益朗さんとか、昔の仕事でご縁があった方々に助けられて、なんとか音響監督としてやっていけるようになった感じですね。
――音響監督としてのお仕事には、それまでの経験や経歴は影響していますか?
長崎 僕はアニメと平行して実写映画の現場にも関わっていたので、その点はアニメの音響監督として異端かもしれません。とくに森田芳光監督に可愛がってもらって、撮影現場やダビング時の劇伴の使い方なども間近で見せていただきました。音楽のつけ方は実写映画とアニメではかなり異なるので、そこは現在でも意識しています。具体的には画のつなぎ方が違うんですよ。アニメの場合はカット頭ですぐにしゃべり出すことがありますけど、実写でそれをやることはあまりない。ひと息、ふた息程度の差なのですが、生理的なタイミングの違いははっきりとあります。そういう違いが理解できるという意味では恵まれていると思いますね。
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