【生肉转载】Febri TALK系列——锦织博

取材・文/宮 昌太朗


来源:日本深度动画内容网站Febri

采访发布时间:2022年8月1日~5日

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①アニメの作り方に興味を持った

劇場版『銀河鉄道999』

『とある魔術の禁書目録』シリーズや『アルゴナビス from BanG Dream!』など、数多くの話題作を手がける錦織監督に、影響を受けたアニメ作品について話を聞くインタビュー連載。その第1回は「アニメの制作過程」に興味を抱くきっかけになったという名作について。


「こういう仕事をしている人になりたい」と思った

――1本目は劇場版『銀河鉄道999』ですが、TVシリーズから見ていたのですか?

錦織 はい。TVシリーズが始まったのが小学校の高学年くらいですね。近所の友達が原作のマンガを持っていて、それを読ませてもらったのがきっかけです。劇場版が発表されてから、(原作を連載していた)少年画報社から劇場版『銀河鉄道999』を特集したムックが出たんです。そこにスタッフ編成だったり「こういう新しい作り方をしている」みたいな記事が、いろいろと載っていたんですね。たとえば、大判のセルに動画の線を転写する際はトレスマシンではなくて、ゼロックスのコピー機を使うとキレイに写すことができるとか。あとは東映動画にあるアニメの撮影台の記事とか、そういったメイキングの記事をいろいろと読み漁っていました。


――作品そのものよりも、作り方に興味を持ったわけですね。

錦織 そういう記事を通して知ったアニメの技術にハマって、「こういう仕事をしている人になりたい!」と思ったんです。今も映画のDVDを買って、本編を見ずに特典映像で入っているメイキングだけを見ていたりするので、あまり変わっていないのかもしれないですけど(笑)。


――作品自体の感想は?

錦織 もちろん、素晴らしかったです。公開当時に父親と一緒に劇場版を見に出かけました。サウンドトラックのLPレコードも手に入れましたし、大阪の梅田にアニメポリス・ペロというお店があって、りんたろう監督が描かれたコンテの複製が売られていたんです。ただ、子供にはとても手が出ない値段だったので、代わりになぜかアニメ作画用のタップと動画用紙のセットを買ったんですね(笑)。昔の東映動画のマークがシールで貼られていたタップだったんですが、業務用のしっかりしたものだったので、つい最近まで使っていました。


――めちゃくちゃ物持ちがいいですね(笑)。技術的な関心が先にあって、そこからアニメにハマるというのは、なかなか珍しい気がします。

錦織 はい。その頃は撮影方法みたいなところに注目していて、作画にはそれほど関心がなかったかもしれません。ただ、劇場版2作目の『さよなら銀河鉄道999』が公開されたあとに金田伊功(かなだよしのり)さんの画集(『金田伊功Special』)が発売されたんですよ。そこに鉄郎が銃を撃つシーンの原画が掲載されていて、「これはすごい!」と衝撃を受けました。ほぼ同時期に安彦良和さんや杉野昭夫さんの画集も発売されて。近所にその手の本を揃えている本屋があったので、買えるものはなるべく買うようにしていましたし、買えないものは立ち読みをして。そこからアニメの美術や作画に対して、興味が広がっていきました。

――劇場版をきっかけに、制作過程への興味もどんどん深くなっていった。

錦織 こういう原画を描くと、最終的にはこういうカットになるんだ、とか。そこは今でもあまり変わっていないかもしれないですね。家にあったモノクロのテレビで『未来少年コナン』を見ていたら、終盤に差し掛かった頃に目がクリクリしたキャラクターが目について。それと同じ雰囲気のキャラクターが劇場版『銀河鉄道999』にも出てきて、「あっ、同じだ!」と(笑)。「おやじ、ミルクをくれ」のところとか、独特のとぼけた雰囲気ががそっくりで。作画を担当していたのが友永和秀さんだとわかって、「同じ人が描いているんだ! これは素晴らしいぞ!」と(笑)。


――自分で気づくというのは、経験として大きいですね。

錦織 後々、アニメ雑誌を読むようになって、金田さんと友永さんが友人だという情報を知るんですけど、中学生の頃、『銀河鉄道999』の原作が完結したタイミングで自分の中のアニメへの興味も終息しちゃったんですよ。そこからしばらくの間、アニメから離れていたんですが、高校の美術部の友達がマンガの『風の谷のナウシカ』を買いたいというので、発売日に本屋に連れていかれたんです。で、僕も一緒に買ったんですけど、その絵を見て「あ、これは『ルパン三世 カリオストロの城』とか『未来少年コナン』を描いていた人だ!」と(笑)。


――そこで初めて、宮崎駿の存在を認識したわけですね。

錦織 そうなんです。そこから『アニメージュ』のバックナンバーを古本で集めるようになったんですよ。『銀河鉄道999』にハマっていた頃は、アニメ雑誌ではなくムック経由で情報を集めていたので、『アニメージュ』はまったく通過していなかったんです。なので最新号を買いながらも、古本屋をまわって過去の記事や特集を遡(さかのぼ)って読むようになって。


――当時の『アニメージュ』は、アニメーターや監督にスポットを当てた記事も多かったですよね。

錦織 そうですね。自分の中にいつの間にか蓄積されていた情報が、当時の記事を読むことで、どんどん線としてつながっていく(笑)。その感覚が面白くて、そこからまたアニメに対しての興味がよみがえってきたんです。


――では、それがきっかけになってアニメ業界を目指すことになったのでしょうか?

錦織 いや、その頃はアニメよりも実写映画のほうに興味があったんです。ちょうど角川映画が盛り上がっていた時期で、相米慎二監督や大森一樹監督の大ファンでした。それこそ押井守監督の『うる星やつら オンリー・ユー』の併映が、相米慎二監督の『ションベン・ライダー』だったので「2本を一緒に見られて、お得だな」と思ったり(笑)。当時は同じく相米監督の『台風クラブ』であったり、そういう作品がどんどん公開になっていて、「自分がやりたいことはこっちだ!」と思っていたんです。なので、高校を卒業したあとは一浪して、横浜にある日本映画学校に行こうと考えていたんですよね。


②時間の流れを初めて意識させられた

『タッチ』

インタビュー連載の第2回で取り上げるのは、あだち充原作の名作『タッチ』。「他のアニメ作品とはまったく違う」と錦織監督が語る『タッチ』の魅力とは? アニメ業界に足を踏み入れるまでのエピソードを交えながら、その面白さを語る。


今の自分の仕事につながる「演出」の存在を初めて知った

――高校卒業後、実写映画を目指していたということでしたが、そこからアニメ業界に入るきっかけは何だったのでしょうか?

錦織 近所の公民館でポール・グリモー監督の『やぶにらみの暴君』が無料上映される機会があったんです。たまたま見に行ったんですけど、「これぞ映画だ!」とすごく衝撃を受けまして「アニメで映画をやろう」と決めました。あとから、高畑勲さんがアニメを目指すことになったきっかけも同じ『やぶにらみの暴君』だったと知って恐縮しましたが。


――なるほど。2本目の『タッチ』を見たのは、この頃ですか?

錦織 そうですね。そこから東京デザイナー学院に行くことになるのですが、じつはその前に、専門学校に行くよりはアニメスタジオで働き始めるほうがいいんじゃないかと思っていた時期があって、そのときにテレコム・アニメーションフィルムと亜細亜堂の採用試験を受けているんです。テレコムは友永(和秀)さんがいらっしゃるスタジオで、一方の亜細亜堂は、ちょうどその頃、小林治監督がチーフディレクターを務められた『魔法の天使クリィミーマミ』や『おねがい!サミアどん』を見て、すごく面白かったんです。さらに『おねがい!サミアどん』の放送中に、杉井ギサブロー監督の映画『銀河鉄道の夜』が公開になって、そのムックを読むとどうやらCパートの絵コンテを小林さんが描かれているらしい。それで「この人がいるスタジオを受けよう」と思ったんです。


――そういう理由で、ふたつのスタジオの試験を受けたわけですね。

錦織 はい。それから『タッチ』には亜細亜堂に所属されているアニメーターの後藤真砂子さんが作画監督で参加されていて、その担当回がすごく印象的で。それも亜細亜堂を受けようと思ったきっかけでした。結局、ふたつとも落ちて専門学校に行くことになるんですが(笑)。


――その『タッチ』を見たのは、どういう経緯だったのでしょうか?

錦織 あだち充先生の原作の存在は知っていたのですが、ちゃんと読んだのはアニメを見てからなんですよ。当時、ビデオデッキはすでに持っていたものの、なんでもかんでも録画してチェックするというわけではなかったんです。でも、『タッチ』はずっと追いかけて見ていましたね。見始めたのは、参加しているスタッフや制作会社がきっかけだったんですが、とにかく時間の流れ方が他のアニメとはまったく違う。そこに驚いたんです。

――時間の流れ方ですか?

錦織 たぶん監督の杉井(ギサブロー)さんが、原作のコマの流れだったり、あるいは空気感をアニメで再現しようとしたからだと思うんですが、じわPAN(ゆっくりしたスピードでカメラを左右に動かす演出技法)を使ったり、背景がない真っ白な絵が続いたりする。そういうテンポや間(ま)が独特だったんです。アニメーションというと、ジャンプしたり踊ったりする瞬間を切り取って、行動している時間をつないで作るものという印象があったんですが、『タッチ』は何もない時間、何もしていない時間を絵で表現しようとしていたんです。マンガでそういう表現はずっと以前からいろいろやられていたと思うんですが、アニメの世界で同じことをやっているのが、すごく革新的で。同じ頃に、出﨑統監督の作品や押井守監督の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』にも出会っているんですが、「こういう風に考えて作っているんだ」という部分、いわゆる演出ですよね。今の自分の仕事にもつながっていく「演出」を初めて見つけたのが『タッチ』だったんです。


――そういう意味では、錦織さんの根っこの部分に存在する作品なんですね。

錦織 自分にとっては、劇場版『エースをねらえ!』と『タッチ』の2本は、『銀河鉄道999』にも引けを取らないくらい、特別な位置にある作品です。作品の中で時間をコントロールするという意識を強く感じるんです。その意識は今の自分の仕事の根幹になっています。


――なるほど。そこから専門学校を卒業して、いよいよ本格的にアニメ業界に足を踏み入れることになると思うんですが……。

錦織 そうですね。卒業制作を作っているタイミングで、GAINAXが『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を制作しているという話を耳にするんです。僕は関西出身なので、GAINAXの母体となったDAICON FILMの作品にも触れたことがありましたし、武田康廣さんたちが立ち上げたゼネラルプロダクツの存在も知っていて。その人たちが映画を作ろうとしているというのを聞いて、単純に「これはすごい。ここに行こう」と。それで飛び込みで電話をして、スタジオまで行きました。


――すごい行動力ですね(笑)。

錦織 ただ、そのときにはすでに『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の制作が終わっていたのかな。まだ片づけている最中のGAINAXに行って「演出や監督をやりたいんです」と言ったら、後にGONZOの社長になる村濱(章司)さんから「ウチはみんな監督をやりたいと思っているから、別のところに行ったほうがいいよ」と断られてしまって。ちょうどスタジオにいた庵野(秀明)さんから「『メタルスキンパニック MADOX-01』が完成したばかりだけど、見る?」と言われて、見てきました(笑)。


――それはまたレアな体験ですね!

錦織 当時はまだ、どこのスタジオもそんな感じで、今思うとのどかな時代でしたね。結局、そのときはGAINAXに入ることができなくて――それこそ亜細亜堂にしろ、自分が憧れていたスタジオは全滅で。でも、面白いことに、あとになって亜細亜堂とGAINAXで監督をやらせてもらっているんですよね(笑)。


③同時代の監督たちと出会うきっかけ

『ザ☆ドラえもんズ 怪盗ドラパン謎の挑戦状!』

バラエティ豊かな作品を数多く手がける錦織博監督に、これまでのアニメ遍歴を聞くインタビュー連載。その第3回は、自身が演出として制作に参加した『ザ☆ドラえもんズ』シリーズの一作。その舞台裏とともに、当時のアニメ業界を包んでいた熱気を振り返る。


「いいな」と思った人には自然と会いに行ってしまう

――3本目は錦織さん自身、演出として参加していた米たにヨシトモ監督の映画『ザ☆ドラえもんズ 怪盗ドラパン謎の挑戦状!(以下、怪盗ドラパン)』です。この作品の前に錦織さんは、日本アニメーションで演出の仕事を始めていますね。

錦織 僕としては「世界名作劇場」をやるつもりで日本アニメーションに入ったんですが、なんと『ちびまる子ちゃん』で亜細亜堂の制作協力回で演出助手をやることになって。念願だった亜細亜堂に通うことになりました(笑)。それから、演出になったらいっぱい動かすアニメを作るぞ!と思っていたのに、社長が「東映アニメーションは少ない(動画)枚数で作品を作っている。ウチも2000枚代で作ろう!」と言い出したんです。


――あはは。思惑が外れてしまった。

錦織 そう言われてしまったので、敵情視察のつもりで東映アニメーションの作品をかたっぱしから見てみたんです。『きんぎょ注意報!』が放送されていた頃なんですが、佐藤順一さんや幾原邦彦さんの担当回があって、そこでのギャグの使い方やテンポの作り方が革新的だった。当時の日本アニメーションはあまり冒険を許さないような空気があったんですけど、同じ老舗である東映アニメーションでは、こんな冒険的なことをやってるんだ!と衝撃を受けて。


――後に錦織さんは幾原監督の『少女革命ウテナ(以下、ウテナ)』にも参加していますが、当時から注目していたんですね。

錦織 そうですね。演出家として20数分を構成する、そこに対して自分たちとは違う意識を持っている人がいるんだ、と。そこから外の世界に目が行くようになったんです。それこそ『ちびまる子ちゃん』でご一緒させていただいた佐藤竜雄さんが『赤ずきんチャチャ』に参加していたり、あかほりさとるさんが『NG騎士ラムネ&40』を手がけていたりして、「潮目が変わってきたぞ」みたいな感覚がありました。


――90年代の中盤、錦織さんが『怪盗ドラパン』に参加した頃ですね。

錦織 そんなこともあって、日本アニメーションを退社することにして。僕よりも少し前に日本アニメーションを辞めたプロデューサーの松土(隆二)さんがベガエンタテインメントを設立したので、そこで僕もお手伝いをしていたんです。ベガエンタテインメントは(『ドラえもん』の制作をしていた)シンエイ動画とおつきあいがあったので、その流れで『怪盗ドラパン』に参加することになったという感じですね。


――なるほど、そういう流れだったんですね。

錦織 『ザ☆ドラえもんズ』は、それまでずっと米たにさんが監督をやられていたんですけど、ちょうど米たにさんがサンライズで『勇者王ガオガイガー』を作ることになって、全工程をフォローできないという話で。なので、絵コンテまでは米たにさんがやられて、そこから先は自分が担当するという形になったんです。その後、『ザ☆ドラえもんズ』では短編映画やテレビスペシャルの監督をやらせていただくことになるんですが、『怪盗ドラパン』は現場も楽しくて、作品的にもいいものができたな、という手ごたえがあったんですよね。

――本格的に監督としてキャリアをスタートさせる、そのきっかけにもなった。

錦織 本当は自分が監督した作品を挙げるべきなんでしょうが、そういう意味でも思い出深い作品なんです。しかも『怪盗ドラパン』の仕事でシンエイ動画に行ったことで、すごく出会いが広がったんです。当時は、渡辺歩くんが『ドラえもん』の劇場中編の監督をやっていたり、水島努くんが劇場版『クレヨンしんちゃん』に参加し始めていた頃で。あと、自分もサンライズで『勇者王ガオガイガー』や『サイバーフォーミュラSAGA』に参加したことがきっかけで『星方武侠アウトロースター』を監督していた本郷みつるさんと知り合いました。そして本郷さんが後に『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』などで作画監督を手がける西村博之くん、高倉佳彦さんとスタジオ(めがてんスタジオ)を作ったので、そこに入れてもらうことになったり。まさに『怪盗ドラパン』がきっかけになって、同世代の監督たちと次々と出会うことになったんです。


――そういう意味でも、大きな転機になった作品だったんですね。先ほどちらっと名前が挙がった『ウテナ』も、ちょうどこの頃ですよね?

錦織 そうですね。幾原さんが東映アニメーションを離れて、オリジナル作品を作っているという話は聞いていたのですが、日本アニメーションで一緒だった加藤裕美くんが参加すると知って「幾原さんに会わせろ」と言って、一緒について行ったんです(笑)。僕としては世間話をして帰るつもりだったんですけど、幾原さんから第5話の脚本を渡されて「これ、やらない?」と。


――初対面なのに(笑)。

錦織 ですよね(笑)。当時、現場だったビーパパススタジオのホワイトボードに五十嵐(卓哉)くんの名前が書かれていたんですよね。五十嵐くんは『亜美ちゃんの初恋』(劇場映画『美少女戦士セーラームーンSuperS セーラー9戦士集結!ブラック・ドリーム・ホールの奇跡』と同時上映された短編映画)ですでに初監督をやっていたので、同世代として勝手にライバル視していたんです。その彼が「ここにいるのか!」と(笑)。直後に細田守くんや桜井弘明さんたちとも直接知り合うことになって。そして、その翌年から監督をやることになるのですが、今思い出しても人との出会いに関しては本当にラッキーだったと思いますね。


――こうして振り返ってみると、錦織さんは行動力があってアクティブですよね。「会いたい」と思った人がいると、すぐに会いに行くというか。

錦織 自分は決して人づきあいが広いほうではないと思うんですけど、「いいな」と思うと、自然と身体が動いてしまうんです(笑)。それは監督になった今でも変わりませんね。






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