【生肉转载】Febri TALK系列——会川升

取材・文/前田 久


来源:日本深度动画内容网站Febri

采访发布时间:2022年6月20日~24日

本文仅供学习交流使用,版权归原作者所有,如有问题请及时联系我们以作处理。


①ロボットアニメという

「骨」ができた『マジンガーZ』

キャリアの初期に『冥王計画ゼオライマー』『THE 八犬伝』といった伝説的なOVAの脚本を手がけ、その後もアニメ・特撮を中心に「濃い」作品を送り出してきた脚本家・會川昇。そのルーツにあるアニメをたどる全3回のインタビュー連載、初回はロボットアニメの偉大な源流について。


『マジンガーZ』から始まったものが、その後の人生や仕事につながっている

――1作目のセレクトは『マジンガーZ』です。これはどういった理由で選んだのでしょう?

會川 今回の3作品はどれも、「自分の作品になんらかの形でつながっているもの」というコンセプトで選びました。TVシリーズの『マジンガーZ』に関していえば、自分の中にここから始まった、ひとつの「骨」みたいなものがある気がしているんですよ。

――「骨」ですか。

會川 よく言われるように、1965年前後に生まれた僕たちは「『ウルトラセブン』に間に合わなかった世代」なんです。子供の頃のテレビといえば、スポ根ものと万博ブーム。怪獣ものはたまに再放送されるだけ。そこから1970年の『ウルトラファイト』と、それにともなう『ウルトラセブン』の再放送で、怪獣ものに気持ちが一気に引き戻されて、記事が載っている学年誌を読んだり、怪獣のソフビや図鑑を買ってもらったりしていた。でも、『ウルトラマンA』の中盤以降、市川森一さんがメインライターから外れたあたり(第14話以降、参加したのは第48話と最終話の第52話のみ)から 、あまりノれなくなったんですよ。世間では盛り上がっていたけど、僕の中の怪獣ブームは短かった(笑)。それでも『シルバー仮面』や『ミラーマン』にはわりとハマっていたし、『快傑ライオン丸』は好きだったけれど、『マジンガーZ』が始まったときに、すべての興味がそっちに持っていかれたんです。

――なぜですか?

會川 当時はいろいろな怪獣ものが作られていたけど、作り手からしたら2度目の怪獣ブームなので、ちょっと悩んでいる部分があったんですよ。何か新しいことをやろうとしたり、予算の制約もあったりで、子供の目線からすると正面から自分たちの期待に応えてくれない感じがしていた。そういう目で見ると、アニメであっても『マジンガーZ』のほうが、迷いのない怪獣ものに見えたんです。で、そんな僕を見ていた3つ上の兄が『マジンガーZ』のマンガが連載されていた『週刊少年ジャンプ』を買って来てくれたんです。それ以降、小学4~5年生までは『ジャンプ』を毎号買っていました。それで『マジンガーZ』を契機に、自分の人生のサブカル第1期というか、オタクの予備段階が始まったんです。『ど根性ガエル』『トイレット博士』『東大一直線』を読み、『サーキットの狼』で人気になる前の池沢さとし(現:池沢早人師)の作品に触れ、そして、なんといっても『アストロ球団』。『アストロ球団』は当時、セリフを全部暗唱できるくらいどハマりました。だから『疾風!アイアンリーガー』の脚本を書くときも、読み返すこともなくあのノリで書けたんですよ(笑)。さらに諸星大二郎と星野之宣(ほしのゆきのぶ)。おふたりの手塚賞を取った読み切りも、『暗黒神話』や『ブルーシティー』の連載もすべてリアルタイムで浴びている。つまり、僕に伝奇やSFに至る取っ掛かりを作ってくれたのも、『マジンガーZ』だったんです。

――ジャンルも多彩で、内容もメジャーからマニアックなものまで。そこで一気に触れる作品の幅が広がったわけですね。

會川 さらに言うと、友達の家で『変身忍者 嵐』の石川賢版のコミカライズを読んで「石森章太郎の原作なのに、永井豪みたいな絵だな」と不思議に感じて、そこから石川賢が気になって『週刊少年サンデー』を読むようになり、『ゲッターロボ』も読むようになった。そしてもう少し大人になってから、石川賢版の『魔界転生』をきっかけに、それまで山田風太郎の作品といえば「明治もの」しか興味が持てなかったんだけど、忍法帖だとか、他のジャンルの作品も読むようになり、それがもっと広く「時代もの」に関心を持つきっかけにもなったんです。つまり、自分の中では『マジンガーZ』から始まったものが、その後の人生や仕事に、ずっとつながっている感覚なんですよね。

――まさに「骨」……背骨のように生き方を支えてきたものなんですね。話を戻して、『マジンガーZ』の「アニメ」としての魅力を、もう少し語っていただいてもいいですか?

會川 アニメとしてここがすごい、あれが素晴らしいという部分は、もちろんあります。とくに渡辺宙明(わたなべちゅうめい)さんの音楽は、今聞いてもすごい。ジェットスクランダーをはじめ、新アイテムの投入に絡めたお話の引っ張り方も、当時の子供にとっては楽しいものでした。ここから始まって、のちの作品に引き継がれたものが、本当にたくさんあるんです。多すぎるくらい。そのフォーマットが衰退してから出てきたロボットアニメ……たとえば『装甲騎兵ボトムズ』のような「リアルロボットアニメ」や、『超時空要塞マクロス』のような方向性のロボットアニメが人気を得るようになっても、本編の7割から8割がアクションシーンで構成され、「何か強くて変なものが延々と戦っている」みたいな、『マジンガーZ』からのフォーマットはなくならないと僕は思っていた。だから僕のデビューに近い時期、平野俊貴(当時は平野俊弘名義)さんと最初に立ち上げたOVAの企画が『大魔神我』(『マジンガーZ』のリメイク企画)だったりするわけです。

――それが『破邪大星ダンガイオー』『冥王計画ゼオライマー』といった、平野監督と會川さんがOVAで展開してきた一連のロボットアニメにつながっていく。

會川 他にもその後、石川賢さんの作品をアニメ化させてもらったり、いろいろとありました。怪獣ものから『マジンガーZ』を経て作り上げられたロボットアニメのフォーマットをどう受け継ぐかというのは、ずっと自分の仕事で意識してきた視点かもしれません。ただ、今の子供たちや若い作り手にとっては、『マジンガーZ』から始まったロボットアニメならではのフォーマットはもはや特別なものじゃない。『ボトムズ』や『マクロス』で育った人も、もう大勢いますからね。だから自分が面白いと感じるロボットアニメの面白さを、いまさら若い人たちに押しつけてもいけないな……と最近は反省しているので、今日もこのくらいにしておきます(苦笑)。


②少年主人公ものに

時代の哀愁を重ねた『バビル2世』

『コンクリート・レボルティオ~超人幻想~』など、アニメ・特撮を中心に「濃い」作品を書き続けてきた脚本家・會川昇。そのルーツをたどる全3回のインタビュー連載。第2回で取り上げるのは、横山光輝原作の超能力少年ヒーローもの。同時代の他作品とは違う、その魅力とは?


当時の作り手たちの感情がそのまま乗った作品

――2作目は『バビル2世』です。これはどういった理由で選んだのでしょう?

會川 怪獣もの=ロボットアニメと並んでもうひとつ、自分が好きなタイプの作品のイメージをあらためて振り返ってみたとき、「等身大の、特殊な力を持った男の子が夜の街で戦っている」というものがあったんです。1980年代に菊地秀行さんや夢枕獏さんが開拓した「超伝奇」「スーパー伝奇」と呼ばれたようなもの。少し前のライトノベルで「(現代)学園異能」と呼ばれたようなものですね。自作でいえば、『超神伝説うろつき童子』がまさにこの典型です。それから『UN-GO』もそう言えるかもしれません。あれは坂口安吾の作品を原案にしたアニメを作ると自分で企画を立てておきながら、「ただの『探偵もの』で面白いアニメになるのかな?」と不安を感じて、一度筆が止まってしまったんですよ。そのときプロデューサーの山本幸治さんから「何か主人公に能力を持たせたほうがいいんじゃないか?」と言われて、推理に特殊な力を絡めることにしたんです。そうして能力対決の要素を入れたら、するするっと考えがまとまった。自分の企画にはそうした要素が必要なんだなと、そのときに意識しました。

――『UN-GO』がそう位置づけられるのは面白いです。

會川 で、それだけ好きなものなのに、僕はこのイメージを最初にどこで知ったのだろう?と疑問に思ったんです。まず、子供の頃に好きだった池沢さとし(現:池沢早人師)の『鬼っ子』という作品を思い出したりもしたのだけれど、もっと大きいのはアニメの『バビル2世』じゃないかと思い当たったわけです。「『鉄腕アトム』から始まる一時期の少年主人公ものは、全部そのパターンじゃないか?」と考える人もいるだろうけど、他の作品と『バビル2世』には圧倒的な違いがあって、それは現代の中学生が、現代の街並みの中で警察やテロリストとも戦う話である点ですね。そのリアリティが、その後、自分も含めた作り手たちが、等身大の少年主人公ものをやろうとしたときの発想に影響を与えたと思うんですよ。

――原作マンガではなく、あくまでアニメの影響なんですか?

會川 アニメの『バビル2世』は半分オリジナルの内容で、メインライターは雪室俊一さん。雪室さんはアクションものの仕事をほとんど請けない方で、当時の東映動画(現:東映アニメーション)の作品でそうした傾向の企画は、主に辻真先さんや高久進さんが手がけていました。この作品は例外で、だからこそ雪室さんの個性がよく感じられるんです。最近の若い方には、雪室さんといえば、『サザエさん』で不思議な話を書く方という印象が強いでしょうけど、個性といっても、そういうことじゃないですよ(笑)。主人公の浩一(=バビル2世)がお世話になっていた病院の娘・由美子が、浩一が旅立ったあともレギュラーでずっと出続けるところに、こだわりが感じられるんですよ。ちょっと強引にでも話に登場させるんですけど、雪室さんはおそらく、彼女がどんなに浩一に戻ってきてほしくても、浩一は絶対に戻れない……という展開を書きたかったんじゃないかと思うんです。演出の田宮武さんとも、ちゃんと合意を取って。雪室さんにとって大事だったそこが、僕にとっても重要なんですよね。

――なぜなのでしょう?

會川 僕は1960年代末から70年代初めに放送された子供向けアニメに、その少し前から始まった学生運動が与えた影響をずっと考えてしまっています。だからこの作品でも、どうしても思考がそこに向かってしまうんです。有名な連合赤軍によるあさま山荘事件は1972年2月に起こるけれど、じつは当時は、今思われているほどこの事件の影響は大きくなかったんですよ。それよりも同じ年の5月に起こったテルアビブ空港でのライフル乱射事件と、11月に起きた早稲田大学で学生が拉致されて殺された事件(川口大三郎事件)の影響が大きかった。とくに後者は、当時のマスコミには早稲田出身の人間が多かったので、ノンポリの何の罪もない母校の学生が、学生運動の渦中で殺されたことがすごくショックだったようで、学生運動に対する感情移入というものが一気にマスコミから失われたんです。で、『バビル2世』の敵のヨミというのは、僕からするとそうした一部の狂暴な活動家や殺人もいとわないテロリストなどに対する、子供たちの漠然とした恐怖の具現なんですよ。思想があって、仲間がいて、世界のあちこちにアジトがある怖い人たち。だからヨミの部下はゲリラをカリカチュアしたみたいな恰好をしていて、マシンガンやムチを武器に使う。

――ああ、なるほど!

會川 それに対して、バビル2世はなぜ学生服を着たまま戦うのか? つまり、バビル2世は、実際には存在しなかった「正義の学生運動家」なんですよ。わかりやすく言えば、「あの中にひとりくらい、純粋な悪と戦う正義の学生運動家がいてくれたら、まだ彼らを応援できたかもしれないのに」という、当時の人たちの思い入れの具現だった。少なくとも、田宮さんと雪室さんはそういうイメージで最初に『バビル2世』を作ろうと決めたはず。EDの映像がそういうイメージで作られていますから。その上で、どう実際の作品の内容に感情を乗せていくかを考えていた結果が、ヒロインの由美子とすれ違い続ける描写なのかなと。毎回その描写で哀愁が残ることによって、『バビル2世』は他のヒーローものとは全然違う作品になった。自分たちと地続きの世界で、こうであってほしかった存在を描いた、当時の作り手たちの感情がそのまま乗った作品になったと僕は思うし、そこに同じ作り手として強く共感するわけです。

――深いです。

會川 原作をそのままアニメ化しても、面白いものにはなったでしょう。『マジンガーZ』がやれていたわけだから、一種のゲームとしての敵と味方の攻防だけで子供たちを楽しませることもできたはず。そもそも横山先生の原作は、超能力、三つのしもべ、選ばれた存在と宿命の敵、睡眠教育、バベルの塔などなど、主人公は「チート」そのもので、とても少年読者にとって気持ちがいい。だけど、本当にそれを再現するだけでいいのか? そうした疑問に対するエクスキューズが、アニメの『バビル2世』にはある。今は「そういうエクスキューズはいらない」と答えるお客さんが多いのはわかっています。『鋼の錬金術師』のときも原作を尊重しながら、主人公に常に哀愁を漂わせようとしたのは、今から思うとこの影響がどこかにあったのかも。当然、視聴者の評価は真っぷたつでしたが、でも、原作をそのままアニメ化することが本当に「正しい」のかどうか? 僕の中では、いまだに葛藤しています。


③「普通」のアニメという可能性

『ゴルゴ13 劇場版』

『鋼の錬金術師』をはじめ、「濃い」作風で数々のヒットを飛ばしてきた脚本家・會川昇。そのルーツをたどる全3回のインタビュー連載のラストは、巨匠・出﨑統監督についての思いを、意外な作品を入り口に語る。アニメにとっての「普通」とは何か?


「文学」を作れないことに対するコンプレックスがある

――3本目は出﨑統監督が手がけた『ゴルゴ13 劇場版(以下、ゴルゴ13)』です。出﨑ファンの間でも「この一本」として選ぶ人が少ない印象で、今回タイトルが挙がって驚きました。

會川 今につながる、毎週放送の30分枠の国産TVアニメシリーズが『鉄腕アトム』から始まったこともあり、SFだとかアクションだとか、いわゆるジャンルものとしての要素がない「文学」的な作品を、日本のアニメはほとんど作ってこなかったと僕は思うんです。東映の長編劇場作品でも『安寿と厨子王丸(あんじゅとずしおうまる)』くらいで、あれだって動物がしゃべります。何かそういう特殊な設定を入れないとアニメとして成立しないと思われていたんですよ。1970年代に入るまでは。


――そこで何があったのでしょう?

會川 出﨑さんが『あしたのジョー』を原作そのままでアニメ化して、それが受け入れられたんです。『あしたのジョー』だけがあの時代で異質な作品なんですよ。それ以降、僕の目から見ると、出﨑さんだけが平然と「文学」的な……言い換えれば、あまり好きな言葉ではないですが、「普通」の観客に向けた話をアニメで作り続けていた。『家なき子』も『宝島』も『エースをねらえ!』もそう。『ジャングル黒べえ』だけが例外で『ガンバの冒険』ですらそうですね。他の作り手がやれない「普通」の話を作る。この意味での「文学」を作れないことに対するコンプレックスが、僕にはすごくあるんです。


――いわゆる「名作劇場」もあったのでは?

會川 あれは原作に対してわざと何も手を加えないで作ろうという、作り手の意志が感じられるんですよね。「文学」を作っているのではなくて、あえて「文学」をやろうとしている感じがする、とでもいうか。しかもその作り方は『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』『赤毛のアン』だけ特殊に徹底されていて、他の作品にはもう少しアニメらしい要素があります。作り手の意図と狙いがわかるという意味では『母をたずねて三千里』の脚本は「3回くらい生まれ変われば自分でも書けるんじゃないか?」という気がするんです。でも、『宝島』はどう作ればいいのかいまだにわからない。スティーブンスンの原作から、あれだけのものがどうやったら出てくるのか。「文学」的な話にもかかわらず、アニメとして魅力的で、感情に届いてくる。もちろん、アクションやサスペンスはありますよ。でも、特定のジャンルの作劇に依拠していない。「普通の話をちゃんと面白いアニメにしてしまう人」というのが、僕にとっての出﨑さんのイメージで、それも1話完結ではない、続きもののTVシリーズでそれをやれてしまう。あれは何なんだろう?と。


――たしかに、あらためてうかがうほどに驚異的ですよね……。

會川 そんな出﨑さんの作品の中で『ゴルゴ13』と『Space Adventure コブラ』だけは、我々が理解できる、ジャンルものの要素がある原作をもとにした作品だと言えなくない。でも、そうは言っても巨大ロボットは出ないし、バトルで話を解決するわけでもないし、その上で原作と全然違うものになっているんです。それをみんな批判したし、興業成績だけを見ていろいろと言う人はいたけれども、もしかしたらアニメが目指すべきだったのは、出﨑さんがやろうとしていたルートなんじゃないか。そちらが正しかったんじゃないかなと、僕は今でも思うんです。


――どういうことでしょう?

會川 我々はとにかく、原作ものであれば原作ファンの目線を第一にやってみたり、企画にしてもジャンルものにして、すぐに主人公と何かを戦わせてみたり、あるいは異世界に飛ばしてみたり、一種のフォーマットの中で毎回話を作ろうとする。でも、出﨑さんはそうじゃなくて、普通にお話をやろうとしているんです。1980年前後、『宇宙戦艦ヤマト』があって『機動戦士ガンダム』があって、やがて『超時空要塞マクロス』が生まれようとしていた頃、アニメは子供向けのものだけではなく、もっといろいろなものが作れるのではないかと期待されていた。その頃の出﨑さんの作品がきっちり評価される流れがあったら、アニメが本当の意味で全年齢的なものになって、富野由悠季さんも髙橋良輔さんも、ロボットアニメ以外を作ってくれたのではないか。杉井ギサブローさんの『銀河鉄道の夜』や『紫式部 源氏物語』、『日生ファミリースペシャル』をもっと洗練させたような作品を富野さんや良輔さんが手がけていたかもしれない……。だからOVAという形態にも当初はそういった「普通」 を期待されていたのであって、当時は主流とされなかった『街角のメルヘン』とか『軽井沢シンドローム』がじつは重要で、僕と仲間たちがやっていたジャンルものの再生産が一部で批判されていたのが、今となってはよくわかる。

――もう少し違ったアニメ史の可能性があった。

會川 あの頃、アニメは一気に少年期から青年期へと移行したんです。だけど、その「青年」が「大人」なのではないかと思っていたのは、出﨑さんだけだったのかもしれない。同じ世代のりんたろうさんが『がんばれ元気』を、同じ枠で石黒昇さんが『鉄腕アトム』のリメイクを作ったのとほぼ同時期に、出﨑さんは『あしたのジョー2』を作ったわけですからね。あれは明らかに、意識的にTVアニメを見る層以外の「普通」の人たちに向けて作っていた。そこにアニメのお客さんがいると信じて、大人が見て恥ずかしくない「普通」の作品を作ろうとしていた。そこに我々は何度もトライしつつもうまくいかず、そのうち、お客さんのほうにオタクのまま大人になる人が増えてしまった(笑)。


――まさにそういう「オタクのまま大人」になったひとりですみません……(苦笑)。

會川 ははは。そうやってアニメは何度も同じところに戻ってきてしまうんですよね。アイドルアニメが当たればアイドルアニメの本数が増えて、ジャンルやフォーマットを作って繰り返してしまう。それが一概に悪いとはいいません。もっといえば、作り手も「オタクのまま大人になる人」が大半になって、作るほうも見るほうも変化した結果、「普通」の形も変わったように思います。たとえば、『とらドラ!』にはロボットも異能も登場しない。かと言って競技やアイドルが話の中心になるわけでもなく、つまり、ジャンルもフォーマットもない作品でしょう。それが今の「普通」の観客に届くものになっている。


――少し超常的な要素はありますが、たしかに『とらドラ!』以外にも『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』など、長井龍雪監督、田中将賀さん、岡田麿里さんの3人が揃った一連のアニメ作品は、今の「普通」のお客さんに向けたものになっているのかもしれません。

會川 もちろん、若干の超常要素が必ず入っていて、それが現代的なのかも。他にもライトノベル原作ものに、僕にはそう見える作品があります。『半分の月がのぼる空』だとか『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』だとか。いまやそのほうが主流かもしれない。


――「萌え4コマ」原作ものの中にもそうした作品があるかもしれませんね。

會川 『けいおん!』もそうかもしれないね。そうした作品は、出﨑さんが目指した「普通」とは違う方向性だけど、今の時代の「普通」たりえている印象があります。少なくとも僕の世代の作り手たちが前世紀にできなかったことは、可能になっているんじゃないだろうか。


――新海誠監督の『君の名は。』や『天気の子』もその流れに置けそうですし……。

會川 そうしたものを横目に見ていても、これからは「普通」の話をただアニメにすることが、もっとできてもいいと感じます。それがアニメ的ではないのではないかと不安に思う人には「出﨑さんの作品を見ろ」と伝えたいんです。『ゴルゴ13』のような原作だって、ゴルゴの冷徹なキャラクター像を変えなくても、殺される側のドラマを盛り上げればエモーショナルにできる。遠距離狙撃を近距離狙撃に変えるだけで、サスペンスとして面白くできる。公開当時からかなりしんどかったCGシーンをはじめ、見ていていろいろと言いたくなる部分もありますが、それでも可能性を感じられるんですよね。アニメにはまだまだやれる道がある、と。だから「出﨑さんが手がけたようなアニメを、どうやったら作れるのか?」というのは、僕にも、他の作り手にとっても「与えられた課題」であり続けている気がします。あとこれは余談ですが『ゴルゴ13』の脚本は僕の師匠の長坂秀佳で、出﨑さんだから決して脚本通りに映像化はしていないんですが、長坂脚本のツボはことごとく押さえています。そこもぜひ見てほしい(笑)。それはさておき最近、『けいおん!』の山田尚子さんが『平家物語』をアニメ化したのは、素晴らしい企画だと思いましたね。ああいうものを作る方がもっといるべきだし、そのときにヒントになるのは出﨑さんなのではないのかなと、あらためて感じています。








日文原文链接:

原网站Febri已闭站

日文网页原图: