【生肉转载】Febri TALK系列——吉野弘幸

取材・文/前田 久
来源:日本深度动画内容网站Febri
采访发布时间:2022年5月23日~27日
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①「僕たちのアニメ」と感じた
『超時空要塞マクロス』
数々の人気アニメで脚本を手掛け、またアニメ化もされた『聖痕のクェイサー』をはじめ、マンガ原作者としての顔も持つ吉野弘幸が影響を受けたアニメを語る全3回のインタビュー連載。初回は代表作のひとつ、『マクロスF』につながる歴史的作品の体験を語る!
この作品と出会って、人生で最初に道を踏み誤った
――1作目は『超時空要塞マクロス(以下、マクロス)』ですが、選んだ理由は何でしょう?
吉野 人生でいちばんどハマりした作品ですね。家にビデオデッキが来てから初めて第1話から全話録画して、繰り返し見た作品でした。
――ビデオテープの値段がまだ高い時代ですよね。
吉野 高かったですねぇ。一生懸命買いましたけど、それでも3倍モード録画でした(笑)。作品の向こう側に、初めて「人」を意識した作品だったんですよね。『マクロス』は各話の作監(作画監督)さんによって絵のばらつきがあったので「やっぱり美樹本(晴彦)さんが入ると絵がカッコいいな!」みたいに自然と意識するようになりました。
――それ以前のアニメ体験はどんな感じだったのでしょう?
吉野 1970年生まれなんですが、1974年放送の『宇宙戦艦ヤマト』は見ていなくて、劇場版(1977年)はリアルタイムで見ています。『アニメージュ』の創刊号も買っていました。その後、ガンプラブームにも乗りましたけど、『機動戦士ガンダム』に最初に触れたのはおそらく再放送からで、映画にも行きました。でも、『ヤマト』も『ガンダム』も、少し乗りきれない部分があったんです。後追いでブームになってから乗ったものだったから。『マクロス』は「アニメーション研究同好会」みたいなものに入っていた姉から「すごいアニメが始まるらしいよ」と放送前に情報を聞いて、だから最初からビデオで録って見ようと決めていたんです。そうやって最初から乗れたのも、ハマった理由として大きいと思います。
――もうすでに「名作」「人気作」として世間の評価が固まっているものと、ゼロから見つけた作品だと感覚が違いますよね。
吉野 そうそう。同時代感というか「これが僕たちのアニメなんだ!」という感覚があって、当然『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』も劇場に見に行きましたし、ガンプラ以外のアニメのグッズを初めて買いました。人生のどこで最初に道を踏み誤ったかと考えたら、ここなんですよね(笑)。

――アニメは子供のもの、いつか卒業していくものという意識がまだ強い時代に、深入りするきっかけになった。
吉野 VF-1 バルキリーが破綻なく変形する、しかも「変形をためない」ところもよかったんですよね。それまでのロボットアニメは変形や合体そのものが見せ場だったのが、『マクロス』では戦略にあわせてファイター、ガウォーク、バトロイドの3形態にシームレスに変形する。これって今でもそんなにない表現です。そういうところがそれまでのロボットアニメに不満を抱えていた自分にものすごく突き刺さったんだろうなと。コン・バトラーVのおもちゃで、合体させるとパーツがあまるのが許せない子供でしたから(笑)。
――アニメとおもちゃで同じ変形ができるのは、子供にとっては一大事ですよね。
吉野 そして……これも重要なことですが、ミンメイか未沙かでいうと、僕は未沙派でした(笑)。
――たしかにそこも大事ですね(笑)。子供心に未沙のどんなところが魅力的だったのでしょう?
吉野 ミンメイって、ちょっと浮気な感じで描かれているじゃないですか。やっぱりオタクの素養があったから、美沙みたいに「僕だけを見ていてくれそうな子」が好きだったんでしょうね。あまり分析したことはなかったですが。とはいえ、今、あらためて考えるとミンメイのほうがかわいいかなと思います。……だって未沙ってめちゃくちゃ面倒くさそうじゃん!!(笑)
――重いですよね(笑)。そんな思い入れのあるタイトルのシリーズ作『マクロスF』に参加したときは、どんな気持ちだったのでしょうか?
吉野 その前に『機動戦士ガンダムSEED』の脚本をやっていたので、「自分が育ててもらったものに手をつける」覚悟は出来上がっていました。オリジナルスタッフの河森正治さんが総監督として立たれていたので、それだけで『マクロス』になるのは確実でしたし、僕は『マクロス』が好きな人間として、あえて『マクロス』っぽくないことをしようと考えて参加しました。富野由悠季監督と組んだことのある大河内一楼さんに相談したら、「戦え!」とアドバイスをもらったのも大きかったです。相手は自分よりもずっと上にいる存在で、いろいろな経験をしているので、自分たちみたいな若造はいかに監督の言いなりにならないで抵抗し続けるか、どこまで戦い続けられるかが勝負だ、と。「わかった! 俺も河森さんと戦うよ!」と答えて、少なくともTVシリーズは戦いきれたと思っています。
――来年(2023年)には15周年を迎え、今でも根強いファンがいるタイトルですが、吉野さんにとって『マクロスF』はどんな意味を持つタイトルになっていますか?
吉野 当時、一生懸命VHSのビデオテープを巻き戻しながら見ていた自分に「お前は25年後、バルキリーを描いた河森さんと新しい『マクロス』を作るんだぞ」と伝えたら、本当に驚くでしょうね。河森さんとお仕事を一緒にしてみたい、バルキリーを飛ばしてみたいという漠然と抱いていた夢がかなった作品です。だから終わった今でも、いまだに夢心地というか。しかもシェリルとランカは去年も『劇場短編マクロスF ~時の迷宮~』で映画に出てきて、自分が作ったヒロインたちの中でも抜群に長生きです。ありがたいですね。これはもちろん僕だけの力ではなくて、菅野よう子さんの楽曲だとか、いろいろなものの巡り合わせがよかったおかげです。
②ロボットアニメの教科書
『新世紀エヴァンゲリオン』
『マクロスF』『ギルティクラウン』などの人気作で知られる脚本家・吉野弘幸が影響を受けたアニメを辿る、全3回のインタビュー連載。第2回は、一度離れていたアニメに戻るきっかけになった大ヒット作を語る。もちろん、その影響が色濃く出たデビュー作の話題も……。
自分のキャリアのトリガーになった作品
――2本目は『新世紀エヴァンゲリオン(以下、エヴァ)』です。こちらはどういった理由で選んだのでしょうか?
吉野 アニメに戻ってくるきっかけになった作品です。僕は大学に入ったタイミングでアニメをぱったりと見なくなったんですよ。手品サークルに入って、手品と麻雀にのめり込んだ。同じサークルに初回に名前を出した大河内一楼さんと、のちにカプコンで『逆転裁判』を作る巧舟(たくみしゅう)もいて、当時、大河内さんが富士見書房でバイトをしていたのは知っていたけれども、アニメの話を大学時代にしたことは一度もなかったですね。大学を卒業したあとは出版社に入ったものの女性誌の編集部に配属されたので、二度とアニメとは関わらないだろうと感じていました。子供の頃に僕とアニメの接点を作ってくれた姉も、社会人になって彼氏ができたりするとオタク的素養をまったく失っていたので、「自分もこんな風になるのかな」と。
――90年代だとまだオタク趣味を「卒業」する空気がありましたよね。
吉野 ところが、いろいろあって出版社をあっという間に退職したとき、大学時代にできた唯一のオタクな友達から「吉野氏!」――彼はフィクションに登場するような、知り合いを「○○氏」と呼ぶタイプのオタクだったんですが(笑)――「今、『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメが壮絶にアツいのですよ! これは見なければダメですよ!」と言われまして。会社を辞めて暇だった僕は、素直にそれに従ったわけです。最初に見たのは1996年の1月……第拾七話「四人目の適格者」だったような気がします。とにかく言われた時間にテレビを点けたら、なんだか今までのアニメとは違うものを感じました。『トップをねらえ!』は見ていたので、「あの作品のスタッフたちが作っているんだ」という感覚はあったんですけどね。それで続けて見るようになって、あとで第1話からちゃんと見て、がっつりハマったんです。自分の中のオタク心が久々に沸き立つのを感じて、熱中しました。
――まさに「戻ってきた」。
吉野 ちょうどその頃、姉の友人で僕にとっては高校・大学の先輩にあたる人が『アニメージュ』の編集者をやっていたんです。彼女と話す機会があったときに『エヴァ』の話題を出したら「編集の経験があってアニメも詳しいなら『アニメージュ』の仕事をしない?」と言ってくれて、そこからライターの仕事を始めて、さらに転がっていって、気がついたら脚本家になっていた。そうしたキャリアの第一歩というか、トリガーになってくれた作品でもあります。

――作品の何が深く響いたのでしょう?
吉野 『機動戦士ガンダム』以降、ロボットもののターゲティングする年齢層は上がりましたが、それでもやはり子供を狙いに行きがちだったんです。そんななか、そこを全力で振りきってハイエンド層を狙っていた。衒学(げんがく)的な単語を散りばめて、ロボットものではあるけれども神話ものとしても組み立てられていて、さらにはベッドシーンもある。そもそもプラグスーツがエッチですよね(笑)。
――冷静に眺めるとかなりセクシーな衣装ですよね。
吉野 もちろん、単純にエヴァンゲリオンがロボットアニメの主役機としてカッコいいというのもありました。ただ、これは脚本家になったからこその後付けの目線かもしれませんが、『エヴァ』という作品があそこまでウケた原因、自分にも響いた最大の理由は、中盤の1話完結のロボットものとしての面白さだったように思います。伏線が前半で張ってあって、ピンチがあって、キャラクタードラマがあって、そして伏線を回収する形で逆転する。第拾話の「マグマダイバー」なんて、脚本の教科書に載せたいくらいに綺麗に作られていますよ。そういう1話ごとのエピソードの面白さ、楽しさや、今までのロボットものにはなかった敵の存在の新しさが大事だったんじゃないかなと。……あ、ちなみに僕は、アスカ派でした(笑)。
――質問しようと思っていたら、先にありがとうございます(笑)。やはり『エヴァ』ファンの方にはレイ派かアスカ派かは聞きたくて。
吉野 アスカは登場回のインパクトがすごかったですよね。あと、レイはちょっと付き合うのが大変そうじゃないですか(笑)。オタクの男の子らしく受け身なところがあるので、引っ張ってくれる子のほうが良いなというのもあって、アスカ派でした。……でも、今だとどうだろう? レイを愛でるほうが楽しいのかなぁ。ミサトさんとリツコさんは絶対に嫌だなぁ……怖いので(笑)。
――自身が関わった作品の中で、『エヴァ』からもっとも影響を受けているのはどの作品ですか?
吉野 『GEAR戦士電童(以下、電童)』ですね。いちばん色濃く出ています。
――こう言ってしまっていいのかわかりませんが……やっぱり!
吉野 日本中の電力を集めて敵を撃ったりしているしね!(笑) 『電童』は僕だけではなく、現場全体にそんな空気がありました。最近の作品ではさすがに薄れていると思いたいですが、『電童』に限らず、ロボットものをやるときはどうしても『エヴァ』の呪縛が強いですね。それくらい強烈な内容でした。
③「脚本家」としての原点
『GEAR戦士電童』
『マクロスF』『ストライク・ザ・ブラッド』などで知られる吉野弘幸が影響を受けたアニメを語る全3回のインタビュー。ラストは福田己津央・両澤千晶コンビから多くを学んだ、脚本家デビュー作の思い出を振り返る。
僕は脚本家として、両澤さんの弟子だと思っています
――では、前回の話からの流れで、3本目は『GEAR戦士電童(以下、電童)』です。吉野さんの脚本家デビュー作ですね。
吉野 『アニメージュ』でサンライズ作品の記事を書くことが多くて、そのうちの一本、『星方武侠アウトロースター』の原稿をプロデューサーの古里尚丈さんが気に入って、打ち上げに呼んでくださったのが始まりでした。でも、そもそも脚本家になれるなんて考えたこともなかったんです。脚本のハウツー本も一冊も読んだことがなかったし、書き方の勉強もしたことがなくて、全部実地で見て学びました。『電童』にも最初は世界観設定を作るために呼ばれたんですよ。そうして参加しているうち、脚本開発の段階になって「試しに書いてみる?」と言ってもらえたので「じゃあ、やります」と。『アニメージュ』やアニメ作品のムック本を作るときに資料として見せてもらった脚本と、それまで見てきたアニメの知識だけで無謀にも挑んだわけです。
――初仕事の手応えはいかがでした?
吉野 当然、最初に書いた脚本はひどいものでした(苦笑)。第4話「戦慄の螺旋城」ですけど、正直なところ、僕が書いた原型は一行も残っていません。2本目の「新しい仲間」も、ヒロインのエリスが初登場する回ですが、これはどう見ても(『新世紀エヴァンゲリオン』第八話の)「アスカ、来日」。8話目でドイツから赤毛の天才少女がやってくる話を書いているという……(笑)。
――そこはどういう打ち合わせがあったのですか?
吉野 たしか「新しいヒロインを出そう」という話から始まったはずです。その時点まではベガさんが単独でヒロインだったんですけど、追加キャラクターを出そうと。その時点では「天才少女」という設定だけが決まっていたはずで、設定を固めるタイミングで僕が趣味を綺麗に出しきった(笑)。ただ、真面目なことも考えていて、銀河くんと北斗くん……普通の男の子と脳筋お馬鹿系の男の子の間に立ってバランスを取ってくれるのは、気が強くて頭のいいキャラクターだろうなという計算もありました。
――お話の作りやすさも考えて。
吉野 はい。あと、今にして思うと、シリーズ構成の両澤千晶さんがまさにそんなタイプだったんですよね。当時はまったく意識していませんでしたが、その影響もあったように思います。そうやって第4話と第8話の脚本を書いたものの、あくまでこれは記念受験。やっぱり難しくて、さすがに続けるのは無理かなと思っていました。でも、そう思いつつ書き上げた第10話「電童破壊0秒前」を読んだ総監督の福田己津央さんが、打ち合わせに入る前にすれ違いざまにひと言、「今回、面白かったよ」と褒めてくれたんです。たぶん、ご本人はおぼえていないでしょうけど(笑)。そのひと言で、脚本家の仕事を続けても何とかなるのかな?と思えたんですよね。

――続けていく自信が持てたのは大きいですよね。
吉野 『電童』では他にも貴重な経験をさせてもらえて、結局、脚本陣で企画の立ち上げから最後までずっと参加していたのは僕だけなんです。さまざまな要因で企画が変容していくてんやわんやも含めて、オリジナルアニメの企画に付き合う経験ができたのは、その後の仕事を思うとありがたかったです。『電童』での仕事を評価してもらえたのか、その後、古里さんが率いていたサンライズ第8スタジオの『舞-HiME』に、両澤さんと福田さんには『機動戦士ガンダムSEED(以下、SEED)』に呼んでもらえた。具体的な次の仕事のきっかけになったという意味でも、僕にとって大きな意味を持っている作品です。
――デビュー作というだけではなく、いろいろな意味で「脚本家・吉野弘幸」の原点にあたるタイトルなんですね。
吉野 そうですね。作品づくりの技術的な話だと、福田さんからは「クライシスとカタルシス」の理論を学ばせてもらいました。脚本を書くときは「どこまでピンチ感を盛り上げることができるか」が勝負であって、気持ちいい勝利というのはじつは勝ち方にあるのではなく、そこまでの追い込みっぷりにあるのだ、と。僕の脚本で主人公を追い込みがちなのはこの理論のせいで、『舞-HiME』や『舞-乙HiME』ではそれが遺憾なく発揮されています。『マクロスF』でもシェリル関連の描写はそうかな。そしてもっと広い意味で、僕は脚本家として、両澤さんの弟子なんだと思っています。
――両澤さんは残念なことに、2016年に亡くなっています。吉野さんの目から見た両澤さんの仕事のすごさをあらためて聞きたいです。
吉野 そうですね……。両澤さんは、ト書きを普通の脚本家より長く書かれることが多かったんです。アニメの脚本は大体ペラ(=200字詰め原稿用紙)75枚くらいに収めるものなのですが、『SEED』のときに両澤さんが書いた決定稿には、ペラ90枚くらいのものもありました。それは脚本としてボリュームを収めきれていないところもあるのですが、それくらいひとつの仕事に思いを込めていた。両澤さんはとにかく集中して作業をするんですよね。ある作品に関わると決めたら、別の仕事を入れずにそれだけに集中するし、1話分の脚本を書くときも他のことを考えない。突然、家で心ここにあらずの状態になって、ご家族から「今、コズミック・イラに行ってたでしょ?」と突っ込まれることもよくあったそうです。それくらい作品のことをずっと考えていたからこそ、『SEED』があれだけの大ヒット作になったのでしょう。僕はそこまでのことはなかなかできていませんが、これまで仕事で多くの方と関わらせていただいてきたなかで、そんな彼女の書き様にいちばん影響を受けたと感じています。
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