【生肉转载】Febri TALK系列——小仓信也

取材・文/岡本大介
来源:日本深度动画内容网站Febri
采访发布时间:2022年3月14日~18日
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①初めて「設定」を意識した
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』
数々のSF作品にて設定やSFの考証を手がけ、さらには自らデザインすることも多い小倉信也が選ぶ「仕事に影響を与えた」アニメ3選。インタビュー連載の第1回は、メカニックや世界観設定に目覚めた『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』について。
「設定」という“画”を描けば、アニメが作れると思った
――『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち(以下、さらば)』の公開は1978年ですから、小倉さんは当時中学生ですね。
小倉 衝撃のストーリー展開にも驚きましたが、その世界観やSFメカの造形への興味が強かったです。もちろん、74年放送のTVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』から見ていましたが、当時は小学生でしたしね。それが『さらば』の頃になると設定資料が掲載されたムックが登場し、アニメや特撮映画がどう作られているのかが紹介され、あの映像を作るために「設定」という“画”が描かれていることを知りました。
――「設定」に対する興味の芽生えですね。
小倉 子供の頃って親から「絵(マンガ)ばかり描いて!」って怒られませんか?(笑) それが「設定」というアニメなどの映像作りのスタートになる“絵(画)”があることを知って、絵を描く自分を肯定できるようになりました。「絵が描ければ、アニメや映像の仕事に就けるかも?」と将来を思ったものです。
――『さらば』のビジュアルのどんなところがそう思わせたのですか?
小倉 見て、あらためてアニメが“絵”で作られていることに気づくのです。しかも、大量の絵で。当時の映画パンフレットには「使用動画枚数」「総カット数」「爆発回数」とかの数字が載っていたと思います。そして、それらの絵を大勢で手分けして描くためには、設定を物語の分だけ描いて用意する必要があることを『ロマンアルバム』というムックで知るわけです。
――とくに好きなメカニックデザインはありますか?
小倉 宮武一貴(みやたけ かづたか)さんがデザインされた戦艦たちが最高ですね! この時期の宮武さんは『宇宙海賊キャプテンハーロック』のアルカディア号なども手がけていて、いちばん「宇宙戦艦」している頃のデザインだと思います。設定資料集にも三面図や細部の設定、透視図解などが描かれていて、当時はそれらを模写して、どのようにデザインされているのかを分析していた記憶があります。
――映画として印象深いシーンはありますか?
小倉 序盤、地下ドックに入っていたヤマトが海上へ姿を現して、そのまま離水して浮上するシーンです。じつはオリジナル版だと、一瞬カクンと船体が落ちてから持ち直すんですよ。これは演出ではなくセルの撮影順番を間違えたらしいんですけど、あれがいいんですよ(笑)。
――オリジナル版ということは、現在のリマスター版などでは修正されているんですね。
小倉 そうですね。ビデオやレーザーディスク版だとそのシーンが残っていると思います。あの発進シーンって、ギリギリでヤマトに乗船した島大介がカッコよく登場して、緊張している古代進に対して「話はあとだ、俺がやろう」って操舵を代わるじゃないですか。それなのにカクンとなるわけで、そこを島の「慣性制御切替“転(こ)け”」って設定解釈を入れるのが、私や玉盛(順一朗)さんの乙な楽しみ方なんですよ(笑)。なので、あのシーンが修正された際は「なんで直すの? あれが良かったのに」と思いましたね。
――設定資料集をもとに模写していたとのことですが、当時はプラモデルも発売されていましたよね。そちらはいかがでしたか?
小倉 その頃には自分で「どのようにオリジナルの『設定』をデザインするのか」に興味が移っていました。だから既製のメカのプラモデルよりも、自分で図面を引いて、バルサ材という模型製作用の木材を加工して自作していましたね。
――自作ですか? それはすごいですね。
小倉 バルサ材はカッターで切ったり削ったりできるので、子供でも簡単に作れるんですよ。裕福な友達のラジコン飛行機の模型などを参考に「なるほど、こういう構造になっているのか」といろいろ観察して、試行錯誤しながらやっていました。
――その経験は、今の仕事にも生かされていたりするんですか?
小倉 生きていると思います。オガワモデリング時代にはずっと特撮で使う模型を作っていましたし、宮武さんに初めて自分のデザインを見てもらったときも、デザインの稚拙さは別にして「立体としての量感がわかる」という言葉をいただきました。二次元で書く図面と三次元の立体物って、意外と受ける印象が違って難しいんですよ。平面の図面では見映え良さそうに見えても、実際に立体にすると思った以上に痩せて見えたりするので。そこは立体物を作ってきたことが役立ったかなと思います。
――『さらば』で設定に目覚めた小倉さんですが、その後『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』や『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』にSF考証として関わることになりますね。
小倉 作品中でも重要なキーワードになっていますが、やっぱり「縁」のようなものは感じますね。『ヤマト』はSF的な合理性よりもロマンが肝要。アニメ『プラネテス』以降に確立した自分の仕事スタイルの特徴を考えると、「思えば『ヤマト』から遠くに来たもんだなぁ……」というタイミングで、自分の“原点”とも言うべき『ヤマト』の仕事依頼が来る! ひょっとして、コレこそが「ロマン」なのかもしれませんね(笑)。
②作品が内包する鬱屈が自分に響いた
『機動戦士Ζガンダム』
数々のSF作品にて設定やSFの考証を手がけ、さらには自らデザインすることも多い小倉信也が選ぶ「仕事に影響を与えた」アニメ3選。インタビュー連載の第2回は、社会人として強烈な共感をおぼえた『機動戦士Ζガンダム』。
『機動戦士ガンダム』以上に感じた現実との地続き感
――『機動戦士Ζガンダム(以下、Zガンダム)』は1985年の放送です。当時の小倉さんは何をしていましたか?
小倉 フリーのアニメーターですね。第1回でもお話しした通り、中学生時代に『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』を見て、将来は絵を描くことで映像作りの方向へ進みたいと思い、高校卒業後はタツノコアニメ作画技術研究所に入るんです。ここは専門学校とは違って授業料を払う必要がなくて、しかもうまくすればそのままタツノコプロに就職できるというシステムでした。
――お金を払わずにアニメ制作の現場が学べるとは素晴らしいですね。
小倉 まあ、教えてもらうというよりは「盗め」というスタイルですけど(笑)。僕が入った当時は『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』の制作真っ最中で、それはもう圧倒的に活きた作画芝居を描く先輩方がすぐ近くで作業していて、それをこっそりとのぞき見ては感動していました。ただ最終的には研修生まででタツノコの採用枠には入れず、作画スタジオを紹介され、それでフリーの動画マンになったんです。『Ζ(ゼータ)ガンダム』を見たのはちょうどそんなタイミングでした。
――なるほど。挫折というか、ちょっと大変な時期だったんですね。
小倉 そうですね。『Ζガンダム』って、社会や世界に対する不満や鬱憤が充満しているじゃないですか。それが当時の私にも共感できたんですよね(笑)。学生時代に見ていた『機動戦士ガンダム(以下、ガンダム)』とはまったく違う感覚に襲われたんです。もちろん、作風がかなり違いますから、それは当然かもしれませんが。
――社会に出てさまざまな理不尽を経験しているからこそ、社会への不満が切実な問題として感じられたんですね。
小倉 それもあるんですが、むしろ『Ζガンダム』の世界観が『ガンダム』とは決定的に違っていたのが大きいですね。『Ζガンダム』で描かれる世界って、我々の社会と密接にリンクしている感じがあるんです。たとえば、『ガンダム』だとニューヨークのことをニューヤークと呼ぶなど、現実の地名をそのまま使うことはほとんどないのですが、『Ζガンダム』ではサンフランシスコ付近を舞台にゴールデン・ゲート・ブリッジの残骸が描写されていたり、ケネディ宇宙センターがあるケープ・カナベラルが出てきたりと、実在する場所を強く想起させるビジュアルが多くて、現実との地続き感があったんです。それでリアリティのある世界観をより感じた気がしますね。

――言われてみれば、たしかにそうですね。
小倉 それは当時、『ガンダム』を見ていた視聴者の年齢が上がったことを考慮したのかもしれませんし、ロボットや宇宙関連の技術発展によってSF作品にリアリティがより求められるようになってきたためかもしれません。1984年に『2001年宇宙の旅』の続編『2010年』が公開されて、そこでシド・ミードさんデザインのレオーノフ号がお披露目されるなど、ちょうど新しい宇宙開発のイメージが明確になった時代なんです。『ガンダム』と比べて『Ζガンダム』は一見、ビジュアル的に退化しているように感じる部分もあるのですが、それはよりリアルに見えるようメカニックまわりのデザインがリニューアルされているからなんです。「見ているのはアニメだけど、今のあなたと無関係ではない問題が描かれている」と富野監督の演出がシフトしたようで、そこが面白いと感じましたし、そういう世界観が構築されていたからこそ訴求力があったんでしょうね。
――なるほど。とくに好きなメカニックデザインはありますか?
小倉 永野護さんのデザインは、やっぱりスゴいと思います。あれは永野さんじゃないと生まれないデザインだし、賛否両論や好みはあると思いますが、ああいうものを作れるというのはそれだけで尊敬します。あとは『ガンダム』ではほとんど描写されなかった月面都市のインフラも描かれていて、なるほどなと思わされたりもしましたね。
――小倉さんはガンダムに関しても、のちに『機動戦士ガンダムUC(以下、UC)』や『機動戦士ガンダムNT(以下、NT)』で設定考証として参加しますよね。
小倉 『Ζガンダム』で感じた現実と地続きの世界という感覚は、『UC』や『NT』でも大いに役立ちました。『ガンダム』シリーズは作品ごとにガラリとテイストが変わったりもしますけど、宇宙世紀作品の設定考証という立場で言えば、向き合い方はそれほど変わらないんじゃないかと思います。
――時代に合わせてターゲットやジャンルを変えながらも、ベースとなる世界観がしっかりしているために、どの作品も『ガンダム』して見られる気がします。
小倉 そうですね。『ガンダム』はそのときどきの社会情勢に対してまっすぐに向き合っている作品で、だからこそここまで長く愛され続けているんだと思います。その始まりが『Ζガンダム』なんですよね。
――でも、当初、富野由悠季監督は『ガンダム』の続編には消極的だったそうですね。
小倉 そうなんですよね。富野監督からすれば、『ガンダム』を終わらせるつもりで『Ζガンダム』を作ったのに、逆にそれがここまでのコンテンツへと成長するきっかけになったわけですから、これこそ理不尽ですよね (笑)。続く『機動戦士ガンダムΖΖ』も含めて、初期の『ガンダム』シリーズの歴史って、富野監督がいかに『ガンダム』を終わらせようとしたかの歴史でもあるんですよね。私自身がアニメ業界にいたことで、作品を通じてそんな葛藤を感じられたのも、本作を特別に感じる理由かもしれません。
③設定考証としての立ち位置を築いた
『プラネテス』
数々のSF作品にて設定やSFの考証を手がけ、さらには自らデザインすることも多い小倉信也が選ぶ「仕事に影響を与えた」アニメ3選。インタビュー連載の最終回は、自身の代表作でもあり、設定考証という専門職の土台を確立した『プラネテス』について。
設定考証という仕事を初めてやり遂げた
――最後に選んだのは、設定考証やコンセプトデザイン、さらには原画も担当しているアニメ『プラネテス』です。
小倉 独立後に成り行きで「設定考証」という仕事に就いたのですが、その仕事での独自の立ち位置を確立してくれたのが『プラネテス』なので、これは外せません。もちろん、幸村誠先生の原作をベースに作ってはいるのですが、アニメでは設定や世界観にさらなる補強を加えていて、個人的にもやりがいや満足感を感じた作品です。
――アニメではキャラクターやメカニックが増えていますが、それらがアニメーションとして動かせる設計でなくてはいけませんから、かなり大変ですよね。
小倉 そうですね。メインとなる初代のDS-12 TOY BOX(デブリ回収船)からして、「そもそもデブリ回収船とはどういう存在か?」というところから見直していきましたから。しかし、写実的な精密さや機構の複雑さを求めるとアニメ向きではなくなり、なによりそもそも私が手描きでデザインできない(笑)。 まだ手描き作画のアニメでしたしね。幸村先生の原作と宇宙船の外観が異なるのは主にその理由からです。加えて与圧された居住区画ではキャラクターの芝居や動線のスペース(寸法)が最優先なので、そこは演劇の舞台作りそのもの。それをなんとか幸村先生指定の全長50メートルくらいのデザインにまとめるため、幸村先生にも相当協力してもらいました。
――しかも、当時は原作マンガが連載中で未完だったんですよね。
小倉 単行本としては2巻までしか出ていなかったと思います。ですので、たとえば、フォン・ブラウン号(木星往還船)などは、幸村先生に描いていただいたラフ画を共有して仕上げています。タンデム・ミラー型の核融合エンジンを積んでいるということで、実際に当時の論文や研究報告書などを調べ、エンジンのサイズや形状を求めています。そういうところは、いわゆるロボットアニメとは異なるアプローチでデザインしていますね。
――とくに思い入れの強いメカニックはありますか?
小倉 やはり、DS-12 TOY BOXですね。私の完全オリジナルというわけではないですが、なんといっても初めての主役メカですから(笑)。
――取材協力としてJAXA(宇宙航空研究開発機構)もクレジットされていますが、もともとシャトルや宇宙ステーションのようなリアルなメカニックにも造詣が深かったのですか?
小倉 じつはオガワモデリング時代にJEM(Japanese Experiment Module)という宇宙実験区画の展示模型に携わったことがあるんですよ。これはのちに「きぼう」と名付けられてISS(国際宇宙ステーション)に連結される、本物の有人宇宙船の居住区画を使った実験施設なわけです。その経験がとても役に立ったのは間違いないですね。なにしろ実物の設計図を知っているわけですから。当時、JAXAの広報担当の方に「このDS-12は実際にウチで作れます」って言われたこともあります(笑)。他にも、たとえば、モニターに表示される軌道図などもしっかりと計算したうえで下図を描いて、それを基にモニターグラフィックスを作ってもらうなど、こだわれる部分は徹底的にこだわりました。

――その苦労の甲斐もあり、多くの人に受け入れられた作品になりました。
小倉 私も大変でしたけど、アニメーターはもっと大変だったと思います。通常のTVシリーズのスケジュールで、よくぞここまでのクオリティの絵を作ってくれたと感心します。そういう意味では、参加してくださったアニメーターの方々が凄腕ぞろいだったことも、本作の評価が高い要因ですね。とくに吉田健一くんは第1話でかなりのカットを担当してくれて、それ以降の描写の指針を示してくれましたから、彼の功績は大きいと思います。
――作品が高い評価を受けたことについてはどう感じましたか?
小倉 『プラネテス』から学んだのは、手間暇を惜しんで高い評価が得られるような都合の良い道ないということですね。もちろん、お金も人もたくさんつぎ込んだにもかかわらず、売れない作品というのは残念ながら現実にあります。でも、だからと言って、他所(よそ)と並んで無難な作り方をすれば、数多くの作品たちに埋もれるだけなんですよね。
――実際に『プラネテス』は、フィルムのあちこちから滲み出るこだわりが多くのファンの心を打ったのだと思います。
小倉 当時の我々は「今後、20年間は通用するアニメにしよう」という気持ちで作っていましたから。あれから18年ほど経ちましたが、良くも悪くもリアルな宇宙を描いたアニメ作品自体がほとんど制作されなかったため、いまだに独自の立ち位置を保っているような気がします。
――『プラネテス』以降、小倉さんご自身の設定考証の仕事が広く認知されることになりましたね。
小倉 まさに自分の名刺となった作品だと思いますし、設定考証という仕事を初めてやり遂げられて、自信を得ることができました。また、『プラネテス』のつながりで、そのあとすぐに『タクティカルロア』のコンセプトスーパーバイザーをまかされるなど、今に至るまでいろいろなご縁にも恵まれました。本当に感謝しかないですね。
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