【生肉转载】Febri TALK系列——林明美

取材・文/宮 昌太朗


来源:日本深度动画内容网站Febri

采访发布时间:2022年3月7日~11日

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①華やかなキャラクターに魅せられた

『ベルサイユのばら』

『BANANA FISH』や『同級生』など、華やかさと繊細さを兼ね備えたキャラクターデザインも印象的なアニメーター・林明美。そんな彼女のルーツとなったアニメ作品を聞くインタビュー連載の第1回は、幼少期に夢中になったというあの名作について。


「もっと大胆にやっていいんだな」という勇気がもらえる

――今日は林さんのアニメ遍歴を伺おうと思うのですが、子供の頃に見ていて記憶に残っている作品というと何になりますか?

いちばん古い記憶は、幼稚園くらいの頃に見ていた『タイムボカン』シリーズですね。たぶん再放送だったと思うんですけど、その頃はただ見て楽しんでいただけで、「絵がかわいいな」って意識するようになるのは、やっぱり『ベルサイユのばら』とか、あとは『花の子ルンルン』や『魔法少女ララベル』などの魔女っ子シリーズ。『花の子ルンルン』の前にやっていた『魔女っ子メグちゃん』もめちゃくちゃ好きでした。なので、系統からいうと間違いなく荒木(伸吾)さんですね。


――なるほど(笑)。

とはいえ、女の子向け以外を見ていなかったわけじゃなくて、ロボットアニメもいっぱい見ていました。『闘将ダイモス』や『惑星ロボ ダンガードA』、あとは『UFOロボ グレンダイザー』とか。とにかくテレビで放送しているものは何でも見ていた感じでした。


――で、1本目に挙がったのは、先ほども名前が出た『ベルサイユのばら(以下、ベルばら)』。池田理代子原作、長浜忠夫総監督(途中から出﨑統に交代)の名作です。

小学校2年生くらいのときかな。風邪をこじらせて肺炎になって、入院したことがあって、そのときに『ベルばら』の塗り絵を買ってきてもらったんです。たぶん、頼んで買ってもらったんだと思うんですけど。


――微笑ましいエピソードですね。

きっと、すごく惹き込まれて見ていたんでしょうね。お話が面白かったのか、絵に夢中になっていたのか、そこまで自覚はしていなかったですけど、作品として惹かれるものがあって見ていました。あらためて当時を振り返ってみると、マリー・アントワネットのあのビジュアルが好きだったんだと思うんです。女の子は大多数そうだと思うんですけど、ドレス姿のアントワネットをずっと真似して描いていました。あとは『銀河鉄道999』のメーテルも(笑)。


――どちらかというとロマンティックというか、華やかなビジュアルのキャラクターに惹かれていたわけですね。大人になってから、あらためて見る機会はあったのでしょうか?

DVDボックスを買って見直したんですけど、やっぱり面白いんですよ。自分で演出をやるようになって思うことなんですけど、見せ方だったり、ドラマの積み上げ方が飽きないんです。最近のアニメとは全然違うなって。しかも、演出と画がきちんと噛み合っている。子供向けに作った作品だと思うんですけど、大人が今見ても面白いというのは、やっぱりすごいなって思います。


――ストーリーを支えるだけの力強さが画にあるような気がします。

そうですね。たまに深夜、『あしたのジョー』や『エースをねらえ!』をやっていると、つい見ちゃうんです。毎話作画がすごいわけじゃないんですけど、やっぱり画の力が強い。最近は作画も緻密なほうに行きがちなんですけど、大事なところはそこだけじゃないんだなというか。「そんな細かいところは気にしなくていいんだ」って勇気がもらえる(笑)。もっと大胆にやっていいんだな、と。あとたぶん、作る側に「こういうものが作りたい」とか「これが面白いんだ」っていう、根拠とか気持ちが強くあるんじゃないかなと思います。じつは今、『おにいさまへ…』を見直しているんですけど……。

――出﨑監督の作品ですね。

これがやっぱり面白いんですよ。ただ、一気見するのがツラい(笑)。毎回話が濃厚なので、立て続けに2~3話を見ると「あー、お腹いっぱい」って思っちゃいます。


――あはは。当時、そういうアニメの話をする友達は、周囲にいたのでしょうか?

マンガの話をする友達はいましたけど、アニメはそこまで話をした記憶がないですね。アニメの話ができる友達ができたのは、中学校に入ってからです。中学で親しくなった子がアニメやマンガにめちゃくちゃ詳しかったんですよ。彼女にはお姉さんがいたので、そのせいかもしれませんが。「アニメはこういう風に作られている」とか「あの画材はこの店に売っている」とか。私は愛知県出身なんですけど、「名古屋市のここにアニメグッズのショップがある」とか、そういう情報はみんな、その子に教えてもらったんです。


――それは運命的な出会いですね。

その子とは中高が一緒だったんですけど、影響を受けて映画を見るようになったり。でも、いちばん大きかったのはアニメ雑誌の存在を教えてくれたことですね。『アニメージュ』や『アニメディア』『マイアニメ』、あとは『ジ・アニメ』とか。毎月、全部は買えないので、お小遣いでどれにしようか棚の前で悩んで買って。その中でいちばん安かったのが『アニメディア』だったので、『アニメディア』を買うことが多かったです(笑)。


――その気持ちはわかります(笑)。

中学1年生のときに『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』が公開になるんです。アニメ雑誌でも大々的に特集が組まれていて――どの雑誌だったかはおぼえていないんですけど、リン・ミンメイのアップが表紙になっている雑誌があって、それがとにかくかわいかったんですよ。


――アントワネット、メーテル、ミンメイと並べると、なんとなく林さんが惹かれるキャラクターがわかる気が(笑)。

そうですね。『マクロス』のときの美樹本(晴彦)さんの絵もすごく好きで。それで友達と最初に映画館に見に行った映画が『愛・おぼえていますか』。勇気を出して見に行ったら、映画館の中が大きいお兄さんばっかりで(笑)。しかも座席が取れなかったんですけど、どうしても見たくて、立見席のいちばん前に陣取って、座席との間を仕切るバーがあるところに手をついて友達とふたりで2時間立ち見をしたという。それはすごくおぼえています。


②雑誌の記事から妄想を膨らませた

『幻夢戦記レダ』

アニメーター・演出家として活躍する林明美に、そのアニメ遍歴を聞くインタビュー連載。第2回で取り上げるのは、1985年に発売されたOVA『幻夢戦記レダ』。「アニメーター」という存在を初めて意識するようになったという『レダ』をめぐって、存分に語ってもらった。


『レダ』のムック本は、今でも大切にとってあります

――前回、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』の話が出ましたが、友達の影響もあって、中学に入ってからも継続的にアニメを見ていたわけですね。

見ていましたね。その子は美術部に入ったんですけど、その美術部が「美術部」という名前のアニメ研究部みたいな感じだったんですよ(笑)。そこでアニメの話をしたり、情報交換をしたり。


――2本目に選んだのがOVAの『幻夢戦記レダ(以下、レダ)』なんですが、これも中学生のときでしょうか?

そうですね。ただ、当時は見ていないんですよ。というのも、ウチにはビデオデッキがなかったから。


――ああ、なるほど。OVAだから、そう簡単には見られないですよね。

発売前からいろいろなアニメ雑誌でたくさん特集が組まれていたんです。安彦(良和)さんの『アリオン』の公開のときもアニメ雑誌でめちゃくちゃ特集されていたんですね。場面写真、スチール、イラストとかで安彦さんの絵が雑誌にたくさん載るようになって、安彦さんの絵にハマるんですけど……。それと同じくらい『レダ』のキャラクターデザインを手がけていた、いのまたむつみさんのイラストが毎号のように載っていたんです。


――それを見ているうちに『レダ』本編に対する興味がむくむくと。

そうなんです。とはいえ、実際にはなかなか見ることができなくて……。私の中の妄想「My『レダ』」が頭の中で膨らみまくっていました(笑)。その後、OVA全盛期に入って『戦え!!イクサー1』や『メガゾーン23』のような作品がいくつも発売されたと思うんですけど、それもすべて雑誌からの情報だけで。ひたすら版権イラストを模写していたのもその頃ですね。


――どんなアニメなんだろう?と想像しながら(笑)。実際に『レダ』を見たのはいつだったんですか?

高校1年のときですね。高校に受かった記念でビデオデッキを買ってもらって、それで初めて見ることができました。でも、当時はソフトが1万円以上したから、近くのビデオレンタル屋で借りてきて。VHSとベータの両方がそろっているお店だったんですけど、アニメも充実していて、『レダ』がそこにあったんです。1泊500円だったと記憶しています。


――値段も鮮明におぼえているんですね。

2~3年越しにいよいよ本編を見たんですけど……。脳内の「My『レダ』」のほうが面白かった(笑)。たぶん「見たい」という気持ちが高まりすぎたっていうのはあると思うんですけど、絶対面白いだろうと思って見たら「アレ? なんか思っていたのとチガウ……?」って。

――あはは。

本編を見る前に駅前の本屋さんで『レダ』のムック本(幻夢戦記レダ イラスト&原画集 デラックス近代映画版)を買っていたんです。A2判っていう大きなサイズの本で値段も――今でもおぼえているんですけど1,500円。中学生が買うにはけっこういいお値段で。それを買うのにも1時間くらい迷って、お店を出たり入ったりして。


――もう、めちゃくちゃ悩んで。

で、勇気を出して買ったら、1,500円でもおつりがくるくらいよかったんです。原画や修正原画といった、作画監督のいのまたさんの絵がたくさん載っていて。それを先に見ていたのも、よくなかったのかなって思うんですけど(笑)。その本は本当にバラバラになっちゃうくらい繰り返し眺めていましたね。捨てられなくて、今でも家に大切にとってあります。


――初めてアニメーターの仕事を意識したのが、その本だったわけですね。

そうですね。昔のアニメ雑誌はよくアニメーターさんの仕事が特集されていましたし、そこで原画とか修正原画が載っているのをちょこちょこ見てはいたんですけど、作り手として意識したのは『レダ』のムック本だと思います。


――それがきっかけでアニメーターを目指すようになったのでしょうか?

それがそういうわけでもなくて。高校に入ると部活が管弦楽部だったこともあって、絵を描くことからはちょっと離れていました。そのせいで中学のときほど日常的に絵を描かなくなっていたんですけど、高校3年で部活を引退して「どうしようかな」と思っていたときに……アレです……。『聖闘士星矢(以下、星矢)』を見たんですよ。


――アニメ版のですか?

そうです。シリーズの途中からだったんですけど、たまたまテレビをつけたときにオスカルみたいなキャラクターが出ていて……。「これはいったい何!?」と。


――小学校のときのトキメキが戻ってきたわけですね(笑)。たしかに『星矢』のキャラクターデザインは『ベルサイユのばら』と同じ荒木伸吾さんです。

日常的にはアニメを見なくなっていたんですけど、そこから毎週追いかけるようになって。しかももうビデオデッキがあるので、録画して見るわけです(笑)。で、そこでまたアニメに引き戻された感じなんですよ。


――その流れで高校卒業後の進路も決まったのでしょうか?

そうですね。名古屋には代々木アニメーション学院と東京デザイナー学院っていう、アニメ関係の専門学校がふたつあったんですけど、高校3年生の夏休みに両方の見学に行って。で、代々木アニメーション学院の体験入学に行ったら、クイックチェッカーでパラパラアニメを作るっていう講義があったんですね。「ボールが壁にあたって跳ねる」という動きを、お手本をもとに自分で考えて描くんですけど、それが面白かったんですよ。ああ、アニメってこうやって作るんだ!と。そこから本格的にアニメーターになろうかな?と考え始めるようになるんです。


③演出の重要性を痛感させられた

『少女革命ウテナ』

インタビュー連載の第3回は、アニメーターとして活動するようになった林が影響を受けたと語る作品について。幾原邦彦監督を筆頭に当時の気鋭演出家が結集した名作アニメ『少女革命ウテナ』からガイナックスの作品まで。その現場で林が体得したものとは?


『少女革命ウテナ』への参加は大きな転換点になりました

――仕事を始めてから印象的だったタイトルについても聞かせてください。今回、挙がったのは『少女革命ウテナ(以下、ウテナ)』と『彼氏彼女の事情(以下、カレカノ)』を含むガイナックス作品ですね。

『ウテナ』につながる話なんですけど、私は『ウテナ』のずいぶん前に『SLAM DUNK』にも参加していて、出向で東映アニメーションに入っていた時期があるんです。そのときに細田守さんや相澤昌弘さんたちと知り合ったんですね。


――のちに『ウテナ』に合流する方たちですね。

そこで細田さんや当時の東映研修生の方たちの原画を見たんですけど、それがとにかくすごかった! 作風はもちろん、原画の描き方からしてそれまでの自分とは全然違う。パッと見て「レベルが段違い」というのを痛感しました……。その数年後に『ウテナ』のお仕事をいただいたんですけど、レイアウトを意識するようになったのは『ウテナ』の影響がすごく大きいと思います。それまでは原画のときも作画監督のときも、それほどレイアウトを重要視していなかったんです。でも、『ウテナ』のスタッフ陣はみんなレイアウトに対するこだわりが強くて。あとは演出というか、見せ方ですね。これはたぶん出﨑(統)さんにつながるところで――きっと幾原(邦彦)監督も出﨑さんがお好きだと思うんですけど、画面を構成するうえで必要のないものを描かない。見せたいものしか描かないっていうスタイルにすごく衝撃を受けました。


――レイアウトの段階で「何を観客に見せるべきか」が、すでに決まっているわけですね。

そういうことですね。たとえば、BGオンリー(背景のみ)のカットにしても、その一枚だけで持たせられるレイアウトになっている。わかりやすいところで言えば、影絵少女もそう。いわゆる演劇的な演出だと思うんですけど、そういう演出が入ったアニメに参加するのは初めての体験で。とにかく最初は無我夢中でやっていました。


――とりあえず手を動かさなきゃ、と。

今と違って、当時は作画監督をひとりでやるのは当たり前で、3カ月に1本、金銭的な意味合いでも作画監督をこなさなきゃいけない。加えて自分で原画も持っていたので、20~30カットの原画をこなしつつ、という。ただ、コンテの段階でカット内容のカロリーコントロールがしっかりされていたので、やってやれないことはなかったんですけど。……ただ、私は中心スタッフではなかったので、先の展開を知らないわけです。話の予想がまったくつかない。作画監督をやった第7話は、細田さん(橋本カツヨ名義)がコンテを担当されていたんですけど、最後のオチをコンテで読んで「そっちかよ!」って。


――わかります(笑)。

とにかく『ウテナ』でコンテとレイアウト、あとは演出的な見せ方がすごく重要なんだなっていうのを痛感して。私の中では、いちばん大きな転換点になりましたね。

――もうひとつ挙がったのは『カレカノ』を含むガイナックス作品ですね。

『フルーツバスケット』でご一緒した平松(禎史)さんから「もし、次が決まっていないんだったら」と『アベノ橋魔法☆商店街(以下、アベノ)』に誘っていただいたんです。その頃は原画の仕事を中心にやりたいなと思っていた時期で、それで「ガイナックスはどうですか?」と。……ただ、最初は「え? ガイナックスですか……?」という感じでした。徹夜しないと仕事していないって言われるとか、そういう噂を昔、聞いていたので(笑)。以前、長谷川(眞也)さんからも「朝、床で寝ている庵野(秀明)さんをまたいでスタジオに入ったことがある」みたいな話を聞いていたこともあり……。


――あはは。実際にはどうでしたか?

全然大丈夫でした(笑)。当時、私と同年代の今石(洋之)さんや吉成(曜)さん、あとは高村(和宏)さんたちが現場のメインで、圧倒的に男性ばかりでした。私は『フルーツバスケット』のときの平松さんのコンテ&演出がすごく好きで、その流れで『アベノ』も平松さんがコンテ・作画監督を担当する回に入ることになったんです。そのコンテがまた面白くて、そこで学んだことも多かったです。


――平松さんのコンテはどんなところがすごいんでしょう? アニメーターとしての平松さんのすごさというのは、いろいろなところで感じるんですが……。

うーん、難しいですね……。平松さん自身、もともと絵が描ける方なので、コンテの時点でレイアウトがもう決まっているんですよ。だから、パッと見て何がやりたいのかがわかりやすい。あとはやっぱり内容のコントロールがうまいんです。動かさなくていいところは無駄に動かさないし、レイアウトで見せるカットはしっかりレイアウトで見せる。そのメリハリですね。『ウテナ』とはちょっとテイストが違いますけど、共通する部分はあったと思います。


――当時のガイナックスというと、今、名前が挙がった方たちを筆頭に凄腕のアニメーターがそろっていましたよね。

そうですね。当時は無名でも若くてうまい子――錦織(敦史)くんとか柴田(由香)さんなどがいたので、戦々恐々としていました。『アベノ』の平松話数に参加して、人間を描くのが楽しかったので、やっぱり私は芝居を描くのが好きなんだな、とあらためて思いましたね。その後、いくつかガイナックス作品にも参加していますが、メカには興味がないんだなって(笑)。そこから、今の自分のスタイルに近づいていったところはあるんじゃないかなと思います。






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