【生肉转载】Febri TALK系列——石塚敦子

取材・文/宮 昌太朗
来源:日本深度动画内容网站Febri
采访发布时间:2022年2月7日~11日
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①初めて衝撃を受けたアニメ
『風の谷のナウシカ』
『宇宙よりも遠い場所』を筆頭に、話題作を次々と手がけるいしづか監督。最新作『グッバイ、ドン・グリーズ!』の公開を控える監督に、アニメ遍歴を聞くインタビュー連載。その第1回は、誰もが知るあの国民的名作について。
怖いもの見たさでテレビの前から離れられなくなった
――今日は、いしづか監督が影響を受けたアニメ作品について伺おうと思っているのですが、もともと積極的にアニメを見ていたわけではないそうですね。
いしづか じつはそうなんです。唯一、『ドラえもん』だけはアニメとして意識して見ていたんですけど、それも身のまわりにあるコンテンツのひとつという認識で。「誰か人が作っている」という目で見たことがなかったんですよね。アニメというものを、人が作っているものだと意識し始めるのは、それこそ就職活動を始めてから。それまではアニメについて語ったこともおそらくなかったと思います。
――たとえば、テレビで放送されているドラマを見たりとかは……。
いしづか 学生時代までは、そもそもテレビをほとんど見ていなかったんですよ。夕飯のときに、ニュースやバラエティ番組を流し見するくらい。父親や兄は映画が好きだったので、週末、録画していた映画を流しているのを横で見たりはしましたけど、でも友達から「外で遊ぼう」って誘われたら、そっちを優先していましたね。
――あはは。今回、3本選んでいただきましたが、最初に見たのはどの作品でしょうか?
いしづか 最初に衝撃を受けたのは『風の谷のナウシカ(以下、ナウシカ)』。たぶん、小学生だったと思います。先ほど、普段は映画をほとんど見なかったと言いましたけど、『ナウシカ』は金曜ロードショーで何度もかかっていて……。その頃、私は寝るのがやたら早くて、夜の9時にはもう布団に入っていたんです(笑)。宿題をさっさと終わらせて、すぐ寝て、次の朝早く起きたいっていう子供だったんですけど、『ナウシカ』はたまたまテレビで始まったのを見ちゃったんですね。親から「早く寝なさい」と言われながら、でも気になってずっと見てしまう。そういう体験をこのときにして。自分としては、夜更かしをしながら、すごく不思議な世界観のものを見せられた。そういうショックみたいなものがあったんです。
――寝なきゃいけないのに、ついつい目が離せなくなってしまった。
いしづか そうですね。しかも見たのが夜だったこともあって、怖いもの見たさにつながったんです。『ナウシカ』って、子供の目には恐ろしい生き物が描かれていて、森の風景ひとつとっても、すごく怖かったんです。大人になって振り返ってみれば、要するに映画として世界観が確立されていたってことだと思うんですけど、そのときは怖いもの見たさでテレビの前から離れられなくなってしまった。しかも、そのときの体験が、少し年月を経て『月のワルツ』を作っているときによみがえってくるんです。

――『月のワルツ』というのは、いしづか監督が手がけた短編作品ですね(2004年にNHKの番組『みんなのうた』にて放送)。
いしづか 『月のワルツ』の曲を初めて聞いたとき、子供向けの番組なのにこんなに妖艶で大人向けの音楽を使うんだ、と思ったんですね。で、子供のときにこういう音楽を聞いて、怖いもの見たさをくすぐられる映像を見たら、きっと何年経っても思い出すだろうな、と。恐怖心と好奇心は紙一重というか、『月のワルツ』を作ったときにその感覚をあらためて再確認しました。
――普段、自分が生活している日常とは違う世界が映像の中にはある、みたいな。
いしづか そこにひとつの世界が存在していて、そこで命をかけて生きている人たちがいる。しかも、その世界は、今、見返してみても素晴らしい絵で描かれているわけで、妙にリアルに感じてしまった。そこで感じた怖さというのは、年月を経ても強く残っているなあ、と。その感覚は今でも自分の根底にあるのかな、と思います。
――先ほど『月のワルツ』が話題に出ましたが、自分のお仕事に影響を与えているなと思うことはありますか?
いしづか 普段、意識することはないんですけど、やっぱり『ナウシカ』や『天空の城ラピュタ(以下、ラピュタ)』をはじめとする宮崎駿監督、あるいは高畑勲監督の作品って、日本人が最初にポンと思い浮かべるエンターテインメントなんじゃないかなと思うんです。その感覚は自分の中にもいまだに強くあって、何かオリジナルアニメを考えましょうとなったときに、会議で必ず「ラピュタ」というキーワードが出てくる(笑)。それくらい当たり前のものとして、自分の中に存在しているんじゃないかなと思っています。
――それくらい強く刷り込まれている。
いしづか 今回制作した映画『グッバイ、ドン・グリーズ!』の企画会議でも最初の頃、「現代の『ラピュタ』って何だろうね?」って話をしていました。それこそ『宇宙よりも遠い場所』のときもそうでしたし。
――ええっ、そうなんですか! 『宇宙よりも遠い場所』と『ラピュタ』だと、まったくかぶるところがない気がしますが……(笑)。
いしづか これは物語を考えるクリエイターならきっと共感してくれると思うんですけど、外へ外へと広がっていく物語が、最終的にどこを目指すのか。部活ものだったら全国大会かもしれないですけど、そういう胸躍る目的地、あるいは手に入れたいと思う何かですよね。そういう物語上の到達点のことを「ラピュタ」って呼んでいます。『宇宙よりも遠い場所』で言えば、南極が「ラピュタ」(笑)。そういう意味でも、『ナウシカ』や『ラピュタ』は、目指すべきお手本であり続けていると思いますね。
②映像と音のリンクに魅了された
『ファンタジア』
『グッバイ、ドン・グリーズ!』を公開を控えるいしづか監督に聞くインタビュー連載の第2回は、ディズニー映画の大名作をピックアップ。同期する音と映像から生まれるアニメーションならではの面白さ、そして偉大な先人たちから受け継ぐべき「熱」について、じっくりと話を聞いた。
ただの線が動いているだけなのに、キャラクター性を見出してしまう
――2本目は『ファンタジア』(1940年)。ディズニーアニメを代表する一本ですね。
いしづか 見たのは学生の頃です。芸大に入学して、自分で映像を作り始めたんですけど、そうするとやっぱり音も欲しくなる。私は音楽が好きで、ずっとエレクトーンを続けていたこともあって、音楽と映像をうまくマッチさせたいと思っていたときに、教授から「いい作品があるよ」って教えてもらったのが、オリジナルの『ファンタジア』でした。で、見たら「なんじゃこりゃあ!」と(笑)。
――あはは。衝撃を受けた。
いしづか 没入感がすごかったんです。映像も音楽も、どちらも時間を演出する芸術だと思うんですけど、『ファンタジア』には視覚と聴覚が同じタイミングでリンクしていく、そういう心地よさがあって。言い換えると、物語としてのアニメではなくて、アニメーションそのものの凄みを感じたのが『ファンタジア』だったんですね。もちろん、それまで自分が見てきたTVアニメも、映像と音を組み合わせて演出しているという意味では同じものなんですけど、でも『ファンタジア』はたとえ物語の流れがわからなかったとしても、映像と音が共鳴するとこんなにも美しいものになるんだ、というのを突き付けられた感覚があったんです。しかも『ファンタジア』は、第二次世界大戦の最中に作られているわけじゃないですか。
――たしかに。今から約80年前ですね。
いしづか 人間ってすごい、と思ってしまって。戦争をしている真っただなかで、こういうエンターテインメントを作り出してしまう創造力。人間の遊び心とか野心とか探究心とか、いろいろなものが詰まっていて、そのエネルギーに圧倒されました。で、当時はまだビデオだったのかな? 日本で流通しているバージョンにはカットされたパートがあるという話を耳にして、海外版を探して見たんです。それが「サウンドトラック」っていうパートなんですけど……。
――映画のちょうど真ん中くらい、幕間に挿入されているパートですね。オシロスコープみたいな映像の。
いしづか そうそう、それです! あれがじつはいちばん刺さったんですよ。「これが見たいんだ、私は!」って(笑)。音に合わせて、波形が動き続けるだけのアニメーションなんですけど、あの波形にキャラクターを感じたんですよね。ただの線なのに、音に合わせて自分を表現する生き物に見える。それがすごく不思議で。ただの線が動いているだけなのに、そこにキャラクター性を見出してしまう人間の想像力もまたすごいなと。
――鳴っている楽器の種類によって、色が変わったりするんですよね。
いしづか そうなんです。色も変わるし、音の質感にあわせて――ちょっとおどけた音であれば動きもおどけた感じになるし、尖った音であれば尖った動きになる。まるでその線がしゃべっているように聞こえるのが、すごく面白くて。ただの絵にすぎないものが、動きながら音を発するだけで、見ているこちらは生き物として認識してしまう。そこがアニメーションの面白いところなんだなっていうのを実感しました。

――先ほど、大学で映像制作を始めたという話がありましたが、そこから映像と音楽のリンクを意識するようになったのでしょうか?
いしづか 映像と音のリンクについては、もしかすると自分で作り始める前から意識にあった気もします。というのも、先ほどもお話ししたように、私はずっとエレクトーンを弾いていて――演奏するときに頭の中で映像をイメージする癖があったんです。華やかな音楽であれば、何か華やかなイメージを思い浮かべる、みたいな。だから、もともと自分の中に映像と音がリンクした心地よさを求めるところがあったんだろうなとは思うんですけど。
――『ファンタジア』から受けた影響で、いちばん大きかったものは何ですか?
いしづか リズム感やテンポ、流れの強弱といった音楽的な波を、つねに頭の中で描きながら映像を描く習慣はついたと思います。でも、自分の作品を作るときには物語そのものをどう伝えるかという部分を大事にしていて、言葉にも着目しますし、プロットも大切にするし、全体のロジックを気にかける。ただ、それは――誤解を招く言い方かもしれないですけど、お客さんに楽しんでもらうためなんですね。私自身、お客さんとして映画を見るときは、やっぱりエンターテインメントが見たいと思うので、そういう作り方になるんです。
――なるほど。
いしづか ただ、自分が普段、アニメーションを見ているときに、どこを見ているかというと、たぶん表現方法を見ているんです。物語やエンターテインメントを楽しみたいのであれば、アニメ以外にも方法はたくさんあって、マンガでもいいし、実写でもいい。実際、私が普段見ているのはだいたい海外ドラマだったりするんですけど(笑)、インプットするのはあくまでも作り手の情熱だったり表現なんです。で、それを自分の中でしっかりと形にして、エンターテインメントとしてアウトプットする。そういうことなんじゃないかと思うんですよ。
――インプットとアウトプットで、重視している要素がそれぞれ違うんですね。
いしづか 子供の頃から「何かを作りたい」という欲求がずっとあって、おそらく表現するということに興味があったんですよね。だから、アニメにしても、単純に見るのが好きというよりも、やっぱり「アニメを作るのが好き」というふうに思考が働くんです。普段は、見る人にとってわかりやすいエンターテインメントを心がけていたとしても、その根底には「作るのが好き」という部分があるというか。だからこそ、アニメーションを形作っている技術や表現、先人たちの足跡がすごくいい刺激になるんです。
③作り手の遊びに翻弄され続ける
『霧につつまれたハリネズミ』
いしづかあつこ監督に影響を受けたアニメ作品について聞くインタビュー連載。第3回は現代を代表するアニメーション監督のひとり、ユーリー・ノルシュテインの名作について。さらには自身が監督するときの取り組み方についても、じっくりと話を聞いた。
ウソ八百の世界が、ひとつの世界観として完成している
――そして3本目が、ユーリー・ノルシュテインの短編『霧につつまれたハリネズミ』。映画史上に残る名作のひとつですね。
いしづか アニメーションを作っている人で、ユーリー・ノルシュテインの作品を嫌いな人はいないんじゃないかと思います。やっぱりなんといっても、彼の挑戦的な作り方ですよね。アナログの中での工夫の重ね方というか、それは出﨑統監督の作品を見たときにも感じたことなんですけど、演出に必要なものを身のまわりからかき集める。そして、自分がいちばん表現したいと思うものを、徹底的に吟味しながら撮り続けるという姿勢に圧倒されます。
――まさにアニメーションという表現の核がここにある、という感じがしますね。
いしづか しかも『霧につつまれたハリネズミ』は、タイトルにもある「霧」の表現が、すごく美しいんですよね。おそらく曇りガラスを何段も重ねて奥行きを作っているんだと思うんですけど、それが本当に美しい。じつは『グッバイ、ドン・グリーズ!』の中に大きな滝が出てくるシーンがあって、そこでも霧の厚みを表現しようとしたんです。撮影さんと何度もやり取りをしながら、霧をたくさん重ねて画面を作るんですけど、どうしても欲しい感じにならない。デジタル上だとレイヤーを重ねただけなので、やっぱり物理的な距離がないんですよね。だから霧を重ねれば重ねるほど、画面がぼんやりするだけになってしまう。どうして『霧につつまれたハリネズミ』にならないんだ!? あれがやりたいのに!って(笑)。最終的には霧の素材をブラシで描いたり、動きのあるCG素材を混ぜてみたりと、デジタルならではのアプローチをして迫力のある画面にできたのですが、アナログとデジタルの決定的な違いを、すごく感じました。
――作品を見たのは、これも『ファンタジア』と同じく学生時代ですか?
いしづか そうですね。学生時代に勉強しようと思って、いろいろ見た中の一本です。画面を覆っている霧に妙に奥行き感があって、画面もすごく立体感があるのに、動いているのが切り絵みたいなキャラクターで。しかも、その途中で突然、水面だけが実写で出てきたりする。その瞬間にドキッとするんですよね。まさに作り手の遊びに翻弄され続けるというか。その感覚が楽しくて、ハマってしまいました。
――ついつい惹き込まれてしまう魅力がありますよね。
いしづか 加えて、ハリネズミがかわいいですし(笑)。
――ノルシュテインはこれ以外にも、いくつか素晴らしい作品を撮っていますけど、他にお気に入りはありますか?
いしづか ノルシュテイン好きにとってはベタかもしれないですけど、『話の話』とか……。あれも翻弄される感じが『霧につつまれたハリネズミ』と似ていますよね。なんというか、素材と映像が作り出す世界観なんですよ。アニメーションは実写と違って、素材をひとつひとつ、すべて自分の手で描かなきゃいけなくて。言ってしまえば、ウソ八百の世界なんですけど、そのウソ八百の世界が、ひとつの世界観として完成している。そこがすごいと思うんです。

――なるほど。
いしづか あと、これは実際に自分でアニメーションを作っていて思うことなんですけど、自分の頭の中でイメージしていたものが、観客にとって感情移入できる世界観となって提供される。これって、よく考えるとすごいことで。たとえば、友達から昨日見た夢の話を聞かされても、その夢の面白さは見た本人にしかわからないじゃないですか。その「面白さ」を他の人が見て「ああ、なるほど」と思えるところまで作り上げるのって、すごく大変なことですが、アニメーションってじつはそういうことをやっているんですよね。ノルシュテインの作品もそうですけど、本人が思い描いた世界観を観客に確実に伝えるために、具体的にビジュアル化している。そのことがアニメーションの持っているすごさなんだろうと思うし、作り手がやりがいを感じる部分だと思うんです。
――いしづか監督とノルシュテインでは当然、制作している環境も違うわけですけど、共通している部分はあると思いますか?
いしづか 私の場合、普段TVアニメを見ていないこともあって、最初に頭の中で思い浮かべるのはわりと実写的なビジュアルなんですね。だから、それをアニメーションの現場で具体的に絵にしていくと、最終的な完成形は、自分が最初に思い描いていたものとはたいてい違うものになっているんです。ただ、さっきの夢の話とも関連しますが、最初に思い描いていた絵を実現できたからといって、それが面白いかというとはなはだ謎だなとは思っていて……。完成したものが人により伝わるものになるよう、スタッフと一緒にその表現方法をアップデートしていくんです。これもひとつの、作り手としての工夫だと思います。
――ノルシュテインもそうですけど、どんなスタッフが関わっているかによって、左右される部分も大きいのかなとは思います。
いしづか そうですね。私はむしろスタッフに委ねるほうが好きですね。ひとりでやりたくないんですよ。自分で考えたものを自分だけで表現してしまうと、最初から答えがわかっちゃうんですよね。自分で作った料理は食べる前から味がわかっている、みたいなことで。想像していた以上のものにならないのがイヤなんです。最新作の『グッバイ、ドン・グリーズ!』にしても、私ひとりだったら、たぶんこういう画面は描けなかっただろうなと思いますし。結局、作り手って「自分はこんなにできないんだ」という問題にぶつかるものなんですよね。で、「あれもできない、これもできない」ということが、プロフェッショナルに相談するとできたりする。それは集団制作のすごいところなんだなって思います。
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