【生肉转载】Febri TALK系列——古川知宏

取材・文/前田 久


来源:日本深度动画内容网站Febri

采访发布时间:2021年11月15日~19日

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①作家の「様式美」が詰まった

『聖闘士星矢 真紅の少年伝説』

少女☆歌劇 レヴュースタァライトでアニメファンに鮮烈な映像体験をもたらした古川知宏。そのクリエイティブの源泉を探るインタビューの初回は、車田正美原作の大ヒットアニメの劇場版に感じた、監督の「様式美」を語る。


山内さんの『星矢』には様式美が詰まっている

――1作目は『聖闘士星矢 真紅の少年伝説(以下、真紅の少年伝説)』。これは監督にとってどんな意味合いの作品なんですか?

古川 人生で最初にハマったアニメです。幼稚園か小学1年生のときに『聖闘士星矢』のTVアニメが始まって、原作より先にそっちに触れたんですよ。で、激ハマりしていくなかで『真紅の少年伝説』に出会った。たぶん、映画館じゃなく、母親が借りてきてくれたレンタルビデオで見たんだと思います。おそらく劇場版を全部借りてくれたんじゃないかな。でも『聖闘士星矢 神々の熱き戦い』と『真紅の少年伝説』の2作の印象がとにかく強かったんですよね。そのせいで大人になるまで『星矢』の劇場版は2本しかなくて、『真紅の少年伝説』がアニメの『星矢』の総決算として作られたものだと思い込んでいたくらい(笑)。


――インターネット以前だとなかなか調べられませんしね。

古川 で、大学に入ったくらいの頃にネット環境が手に入ったので調べて、「ああ、俺の記憶に残っている『星矢』の劇場版は、山内重保(やまうちしげやす)さんって人が監督したヤツだけなんだ」と驚いたんです。その後、山内さんとは『夢喰いメリー』でお仕事をご一緒して、そのときにはちゃんと『星矢』の劇場の背景美術の話をしましたよ。


――うらやましい。雰囲気のあるいい美術ですよねぇ。

古川 ムクオスタジオの窪田忠雄さん(※美術監督。クレジットは内川文広との連名)の脂が乗っていた時期ですね。美術だけでなく、他の要素もそうなんですけど、山内さんの『星矢』には様式美がとにかく詰まっている。そこがいいんです。『真紅の少年伝説』はまずもう、作品の入りにすべてが詰まっている。冒頭は無音の崩壊シーン……未来予知と、美しい花に囲まれているアテナ(沙織)が白い蝶と戯れているシーンのカットバック。そのイメージの空間に黒い蝶が舞う。この美しい黒い蝶が、崩壊のイメージと重ね合わされているわけですね。そうやって美と死、ふたつのスペクタクルが交互に入れ替わって、でもSEは無音なのがすばらしいんです。子供心にも痺れましたし、大人になってから見ても、もう映画の入りとして完璧すぎる!!!! ……すみません、ちょっと興奮してしまいました(笑)。

――いえいえ、この企画ではそういう語りが聞きたいんです! しかもあのシーンは長いんですよね。だから主役の星矢たちがなかなか登場しない。

古川 そうなんです。しかも星矢たちが登場するまでのシーンで、アベル(※『真紅の少年伝説』のゲスト敵役)と沙織の関係は、設定上は兄妹なんだけど、ふたりを明らかに「男と女」として描いているじゃないですか。僕、そのあと沙織が星矢たちに別れを告げるところで「うわ、女を取られた!」と思ったんですよ。男女のことなんかまだ全然わからない子供だったのに。


――あそこは恋人を寝取られたみたいな雰囲気がありますよね。

古川 そのあとの展開でも、アテナが死んだあと、兄妹なのにアベルは別れの口づけをしたりするわけですよ。「(近親相姦の)タブーをおかしてるじゃん!」と感じて、混乱したのをおぼえています。ああいうのって、多くの大人は「子供にはわからないこと」と思っているのかもしれないけど、わからないなりに子供心にも嫌なものなんですよ。山内さんは明確に「子供だって嫌だろう」とわかったうえで突いてきている感じがあった。しかもギリシャ神話では近親相姦を含めて、とんでもないタブーが連発されるじゃないですか。おそらく、それをエクスキューズにして作品をコントロールしていたんじゃないかと。展開に反対する人がいても「ギリシャ神話がモチーフの作品で、その世界では普通のことなんだからやりましょう」で通していた気がするんです。監督になったら、そうやって設定を使い倒して作品を作っている感じがするところが、ますます好きになりました。東映アニメーションで活躍してきたレベルの高い演出家のみなさんは、さまざまな制約を乗り越えるためのテクニックをそれぞれ持っていて、それが作家性にまでつながっているイメージなんですけど、この作品では山内さんのテクニックが存分に振るわれている気がします。で、もうひとつのポイントが、映画の中で「奪う」という部分を大事にしているところなんです。


――「奪う」?

古川 アベルが沙織を奪うことは、星矢たち、聖闘士たちにとってどういうことなのか? そこがちゃんと描かれている。守るべき対象を奪われたとたんに「神話の時代から戦ってきた聖闘士」から「ただの男の子」に戻っちゃうんですよね。今にして思うことですが、当時、僕より年上の女性たちは、星矢たちをそういう気持ちで見ていたんじゃないか。何かがきっかけですぐに崩れる、美しい、儚い少年たちだな……と。そして、映画の後半では簒奪者と戦うことになるわけですが、沙織を救いに行くことが同時に、星矢たちにとって自分たちが何者であるかの根拠を取り戻しに行く話になっている。つまり、自分自身を取り戻すために戦う少年たちの映画になっていて、これって少年向け作品として健全だと思うんです。アベルと沙織の近親相姦的なエロチックさと、少年たちの健全さが同じ映画内に同居しているから、異常な湿度を持ったフィルムになっているのではないかと思います。


――なるほど……!

古川 また、そんな健全で美しい少年たちがボコボコにされるすばらしいシーンが続くのもフェチい感じなんですよね。そもそも荒木伸吾さんの肢体の描き方がフェチくて、それが顔面から叩きつけられて血がドバーッ!と広がる演出もいい。あと、劇場版ならではのゴージャスな作画がある一方で、TVシリーズで発明された『星矢』ならではの止め絵のスライドによる表現もちゃんとやっている。やっぱりファンはそれが見たいわけですよ。様式美として。そういう制約の中から出てくる研ぎすまされた表現って、今のアニメの現場ではなかなか生まれない。それがしっかり見られるのも、この作品のいいところですね。


②押井守の「演出論」を学んだ

『機動警察パトレイバー the Movie』

『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』でアニメファンの度肝を抜いた古川知宏。そのクリエイティブの源泉を探るインタビューの第2回では、業界屈指のファンを自負し、多大な影響を受けているという押井守監督について。


初めて触れたキャラクター論と「お仕事もの」アニメ

――2作目は『機動警察パトレイバー the Movie』を選んでいますが、これは実質「押井守作品全部」という意味だと。

古川 僕は幾原(邦彦)さんの直弟子だとネットで書かれているし、僕自身もそれを認めてはいます。それから庵野(秀明)さんが好きだってこともインタビューで話していますが、でも、じつはそれよりも先にめちゃくちゃ押井さんの洗礼を受けているので、そのことをこの機会に話しておきたかったんです。『聖闘士星矢』の次にハマったアニメが『機動警察パトレイバー』で、TVシリーズだけじゃなくOVAや映画もひっくるめて追いかけるなかで、明らかに違う濃密さの作品がある。その理由を考えていて「ああ、押井守という人が特別なんだ」と気づいた瞬間があったんです。


――名前を意識したきっかけは何だったんですか?

古川 最初は脚本のクレジットでしたね。そのあと『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』が公開されたときに「押井守」という名前が一気に世間に押し上げられたじゃないですか。それでインタビューや押井さん自身が書いた文章が大量に世に出たとき、「俺たちの押井守が世界で大ヒットか……」みたいな謎の高揚感とともに読みあさりました。今では紙の媒体だけじゃなく、インターネット上にあるものもページ保存して残すレベルで。


――それはスゴい。

古川 そうして触れていた押井さんのアニメの演出論が、自分が演出にあれこれと口を出せるようになったあと……『ユリ熊嵐』の副監督になったあたりで初めて高い解像度で自分なりに理解できたんですよ。それまではあくまで特別な人が言っている特別な言葉だと思っていたんですけど。たとえば、有名な「(アニメの)情報量のコントロール」という話も、それまではオタク的な知識として持っているだけだった。


――庵野さんもする話ですね。

古川 じつは幾原さんも、現場でほぼ同じことを言っていたんです。つまり、レベルの高いアニメーション監督はみんなやっていることなんですよね。僕の解釈としては、自分が実現したい表現に対して、どのマテリアル(素材)を選択するかということなんです。ある現象を映像で表現するときにセリフでやるか、音楽でやるか、3DCGでやるか、背景美術でやるか、作画でやるか。その最適な選択を、押井さんも幾原さんも徹頭徹尾、自作でやりきっているんですよ。ふたりの演出のスタイルは全然違いますけどね。だから僕、幾原邦彦を語るときに、すぐに「テーマ性」みたいな方向に話を持っていく人が多いのは問題だと思っています。「耽美」とかね。「耽美」なんていうのは、結局は『少女革命ウテナ』の印象でしょう。

――耳が痛いです。

古川 絵コンテを描いているとき、幾原さんはとにかくマテリアルを気にしていたんですよ。「脚本のト書きにはキャラクターの動作として書いてあるけど、同じことを美術で表現したほうがいいと思う」みたいな話ばかりしていた。僕はそうした言葉のすべてがカルチャーショックだったんです。幾原邦彦というアニメ監督は、決して余裕があるわけではない制作現場で、マテリアルを常に取捨選択して、そのときの状況でできる最適なフィルムを作り続けてきた人なんだなと。選べるマテリアルに合わせて、自分の中にあるテーマすら変化させてきた。そうして変えたテーマですら、特別な推進力を持ってお客さんの中に入っていくのが幾原さんの作家としての強さなんです。そして、それはアニメ業界で押井さんをはじめとする偉大な先人たちがやってきたことなんですよね。マテリアルの選び方が、その監督の作家性を決めるといってもいい。冷静に考えると当たり前のことなんですが、実際にやりきるのは本当に難しいことなんです。……で、話を『パトレイバー』の劇場版の1作目に戻すと、まず濃厚な特効が入ったセルのスライドで始まるオープニングが、映画の入りとして完璧。『聖闘士星矢 真紅の少年伝説』もそうですけど、僕はそういう映画に弱い(笑)。そして僕はこの映画で「キャラクター論」を初めて映像として見せてもらった感じがしたんですよ。


――どういうことでしょう?

古川 「キャラクターって絵で描く必要がないんだ」ということです。誰かがそのキャラの話をすればいい。つまり『ゴドーを待ちながら』のスタイルがキャラクターを描くときに使えると知った。で、この作品は中学生が大好きな感じの聖書の要素で作品が彩られていて、最後には痛快な崩壊シーンとロボット同士のアクションが置かれている点もいいんですよね。ハイディテールなメカ作画もたまらないです。


――エンタメとしてのバランスがいいですよね。

古川 で、もう少し違う意味合いでも話すと、『パトレイバー』は僕にとって初めて触れた「お仕事もの」なんです。初めて大人の大変さを描いた作品があることを知った。要するに、場所と役割が人に与える影響があって、でもそこにはたまに後藤隊長みたいな人がいる。「正義の味方でありたい」みたいな自分の気持ちと社会通念との間で、大人は常に揺れ動いている。その振れ幅を、「警察」という特殊な環境下でロボットの要素も組み合わせたうえで描ききっているのが『パトレイバー』というシリーズだと僕は思っています。この作品に限らず、じつは押井さんは自分の作品で、特殊な職業の人ばかりを描いているんですよね。「職業好き」なのもあるでしょうけど、押井さんは『うる星やつら』以降、キャラクターの役割によって作劇をしているからでしょう。『うる星やつら』はラムちゃんという宇宙人が作品の中心にいることで、どんな無茶苦茶なことも許される世界観になっている。つまり、ラムちゃんは舞台装置なんですが、それ以降、押井さんは「警察官」以外にも「探偵」「パイロット」みたいな特殊な状況にキャラクターを追い込む。そして、その状況の中で「役割通りに動かなきゃいけない」と思う基本パターンの人間と、そこからズレた思考をする人間をバディとして組ませることで物語を動かす。そうした舞台設定によって、キャラクターの感情の振れ幅が、僕らの想像できる範囲とそれを超える範囲のふたつセットで用意できる。みんなが想像できる部分がちゃんとあることで、ズレている部分が強調されるんですよね。押井さんはそういった仕掛けをいつも意識的にやっていて、これはオリジナル作品を手がける監督にはとても重要なことなんです。だから僕、今言ったようなことを踏まえて、いつもオリジナル作品の企画会議で言うことがあるんですよ。


――何ですか?

古川 「アニメのオリジナル企画を作るときには『お客さんの楽しみ方をどう設計するか』をまず考えるべき」ということですね。押井さんや幾原さんがこれまでやってきたのって、そういうことだと僕は理解しています。楽しみ方の工夫を、監督がプロデュースレベルから意識して作る。自作を例にするなら「舞台をやるといっているけど、その要素をどうアニメとつなげるの?」とか「Twitterの実況文化や同時性を楽しんでもらうにはどうしたらいいのか?」とか。それは監督がプロデュースを意識しないとダメなんですよ。なぜかというと、映像にするのは脚本家でもプロデューサーでもなくて、実際に絵コンテを描く監督だから。絵コンテで広げられる要素をどうやって脚本段階、企画段階から仕込むか。監督がそこまで考えて動くことが「オリジナルアニメを作ること」なのかなと。見たこともないような凄まじいイメージボードを描いて、どんでん返しのエピソードを考えて、あとは作画をがんばればスゴいオリジナルアニメは「納品」はできます。ですが「楽しんで見てもらえるか」は別だと学びました。


③絵コンテの力に気づいた

『ふたりはプリキュア』

『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の古川知宏にクリエイティブの源泉を尋ねるインタビュー連載。最終回は、五十嵐卓哉が演出を手がけた『ふたりはプリキュア』屈指の名エピソードから受け取った、多大な影響を熱く語る……!!


「演出」とはどういう仕事なのかを見せてもらえた

――最後の作品は『ふたりはプリキュア(以下、プリキュア)』の第8話です。

古川 伝説の話数ですよね。大学を卒業したあとでブラブラしていたときに「アニメの仕事をしよう」と思って、その流れで東映のアニメを見直してみようと思ったんです。いいタイミングで朝に新しいアニメが始まると聞いて『プリキュア』を見始めたんですけど、最初は気を抜いて見ていたんですね。「絵柄がちょっと懐かしい感じだな」とか「これは女の子が本当にパンチやキックをするアニメなんだ」とか。僕、女性の姉妹がいなかったので、『美少女戦士セーラームーン』をちゃんと見ていなかったんです。それもあってか、そんな程度の感想しか持てなかったんですけど、毎週ボーっと見続けていたら第8話で突然、特別な話数が始まったように見えたんですよ。


――どんなふうに特別だったんですか?

古川 見やすくて、キャラクターの感情がすっと入ってきたんです。それまでの7話は、こういっては失礼かもしれないけど、話の筋しか入ってこなかったのに。第8話は五十嵐(卓哉)さんが演出した話数ですけど、漠然とアニメの演出か監督になりたいと感じていた自分に、「演出」とはどういう仕事なのかを画面の向こう側からちゃんと見せてもらえた感じがしたんですよね。それまでは庵野さんにしても、幾原さんにしても、押井さんにしても、作っている人が画面の向こう側にいることは察知できても、その仕事としての具体的な手際は想像もできなかった。何か作家の持つ霊験あらたかな力でどうにかなっていると無意識に考えていたんですよね(笑)。でも、『プリキュア』の第8話を見て、明確に何か具体的な仕事が存在していると感じた。職業としてのアニメーション演出家が行う手つきや行為を明確に意識したんです。……さて、そうしてこの『プリキュア』の第8話を見た僕が、最初にやったことは何だと思いますか? 当ててください!


――ええっ、クイズ!? ……全カットをビデオプリンタでプリントアウトでもしたんですか?

古川 違います。正解は「録画したビデオを一時停止ながら、1カットずつ絵コンテを起こした」です。当時は絵コンテの知識もあやふやで、それを調べながらだったこともあって、1週間ぐらいかかったかな。しかし、不思議だったのが、近い時期に見て、やっぱりすごいと感じた細田守さんの『デジモンアドベンチャー』の演出担当回は絵コンテに起こしたいとは思わなかったんですよ。細田さんの作品は大好きだし、絵コンテ本も全部買っているんですけど、何かが違う。うまく言えないけど……五十嵐さんの『プリキュア』の第8話って、あくまで『プリキュア』というシリーズの枠の中に収めているんですよね。細田さんの『デジモン』は、はみ出ちゃっていた。

――『デジモン』にしろ『おジャ魔女どれみ』にしろ、細田さんの担当した回はすばらしいですけど、シリーズ共通のテイストから外れた「細田守のフィルム」なんですよね。

古川 そうなんです。それはすばらしいことなんですけど……僕の基準では、それは映画なら許されるものなんですよ。だから『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』は大好き。『聖闘士星矢 真紅の少年伝説』の話ともつながりますけど、映画は監督の作家性を出していいけど、TVシリーズではあくまでシリーズの中でのイチ話数であるべきだと僕は考えているんだと思います。五十嵐さんの『プリキュア』の第8話がいいのは、その意味で作品に奉仕しているところなんですよね。個人的な勝手な意見ですが、あの第8話がなかったら『プリキュア』は10年以上続くシリーズになっていなかったでしょう。五十嵐さんの演出のいいところって清潔感があるというか、我があるのに我を出しすぎないところなんですよね。作品から一歩引いた佇まいがすばらしい。作っている作品は必ず「五十嵐卓哉のフィルム」になっているのに見やすい。これ、とても大事だと思います。「え? 古川、お前が言うの?」って感じる人も多そうだけど(笑)。


――ははは。

古川 あとは……絵コンテを起こしたときに、段取りを排除していることに気づいたんです。たとえば、キャラクターがインしてくる(※その場所に現れる)シーンなんだけど、入ってくるところの絵はないんだな、とか。なぎさがほのかとの関係を修復しようとして、学校でほのかに話しかけるところがわかりやすいですね。「雪城さん、一緒にお弁当でも」「ごめんなさい、これから生徒会の打ち合わせで……」みたいなすれ違うやりとりをふたりが繰り返す。そのどれも、完全な同ポジ(同ポジション)ではないけど、セルの位置と真横からのノンパースのカメラは同じで、その繰り返しでポン、ポン、ポン……とテンポよく進んで、あっという間に放課後になる。何気なく見てしまうけど、これは脚本にどう書かれていたのか。これだけスピード感を持って、作中の時間をポーンと飛ばす。そのコントロールを誰がやるのか? 脚本なのか、五十嵐さんがすごいのか。僕が初めて映像から絵コンテを起こした……つまり、「アニメを設計する行為をトレスした」ことで出した答えは、これは明確な意思を持って、絵コンテでコントロールするからできることだと描いてみたことでわかったんですよね。だから「説明的にインしてくる」みたいな半端なことはやらない。絵コンテを描くとは、どうやって必要な要素だけを抜き出して、いらない要素を排除するか。段取りを排除して、キャラクターの感情にスピード感とテンポをいかに持たせるか。そのための工夫が濃縮されている話数だと思ったわけです。


――なるほど。

古川 この話数との出会いがきっかけで『プリキュア』をその後も見続けたのはもちろん、『セーラームーン』を200話全部見直したりもしました。東映アニメーションに回帰したんですよね。それまでは「これからのアニメはProduction I.Gしかねぇ!」みたいな感じだったんですけど。ちょうど『イノセンス』の公開前後だったので、ああいうものに憧れがあった。


――手描きアニメのハイクオリティ路線の極地ですね。

古川 そんな自分に1年間を通してアニメを作り続けることのすごみや、アニメの持つ「幅」みたいなものを教えてくれたのが東映アニメで、そのきっかけは『プリキュア』の第8話だった。『プリキュア』というシリーズ、とくに『ふたりはプリキュア』のファーストシーズンは僕にとって特別な、本当に大切な作品です。だから大塚隆史さんが監督した『プリキュアオールスターズDX3』でキュアブラックをアニメーターとして描けたとき、「もう原画マンは引退でいいや」と思って。もともと監督になりたくて業界に入ったので、演出の仕事にシフトしていったんですよ。それくらい、自分にとって大きい存在です。






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