【生肉转载】Febri TALK系列——吉田健一

取材・文/前田 久
来源:日本深度动画内容网站Febri
采访发布时间:2021年7月26日~30日
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①将来の仕事を意識した
『機動戦士ガンダム』
数々の名作で、肉体を感じさせる魅力的なキャラクターデザインを手がけてきたスーパーアニメーター・吉田健一。そんな吉田が影響を受けたアニメを、全3回(+α)でインタビュー。初回は、今や国民的ロボットアニメとすら称されるあの作品。その「新しさ」は、幼い吉田に何をもたらしたのか。
『ヤマト』よりも、一歩進んだ「リアル」を見た
――1本目に選んだのは『機動戦士ガンダム』です。これはどのような理由で?
吉田 3作品を選ぶのは、なかなか難しいんですよね。本来であればまず、今回は選べなかった『宇宙戦艦ヤマト』からの影響があって、その流れで『ガンダム』に影響を受けるんですが……。
――じつは取材前のメールで「『宇宙戦艦ヤマト』『未来少年コナン』『機動戦士ガンダム』『伝説巨神イデオン』『あしたのジョー2』『母をたずねて三千里』の6作品で、僕の基本は構成されています」とおっしゃっていたのを、連載のレギュレーションに合わせて泣く泣く3本に絞り込んでいただいたんですよね。すみません。ともあれ、『ガンダム』の影響は、どのようなものだったのでしょう?
吉田 『ガンダム』はまず、初めて見たときの印象がとにかく鮮烈でした。第7話の「コアファイター脱出せよ」だったんですが、ガンダムが活躍する話だと思っていたら、弾道軌道に撃ち出されたコア・ファイターでアムロがGに耐えて……みたいな展開がずっと続いて、ガンダムがなかなか出てこない。「このアニメ、何をやってるんだ?」と思いました。
――それまでのほかのロボットアニメとは違うな、と。
吉田 そう。で、気になっていたら、当時『アニメック』というアニメ誌がありましてね。僕は本屋さんでマンガを立ち読みするのが日課だったんですけど、そこで『ガンダム』特集をやっている『アニメック』の存在に気がつくわけです。それでバッと開いたら、マシンガンを構えるザク、逃げまどう群衆、斜めにせり上がったコロニーの大地……そんな本編の絵を集めて構成されたページがあったんです。それを見て直感的に……当時はこんな言葉は使えませんでしたけど、今の自分の言葉でいえば「新しい!」と感じたんです。「こんなの見たことない!」と。

――リアルタイムの衝撃が伝わってきます。
吉田 僕の育った熊本では、東京よりも少し放送が遅れていたし、第1話からちゃんと順番に見たのは再放送だったので、完全なリアルタイム世代とはいえないんですけどね。それでもやはり、その「新しさ」には強く影響されました。『ヤマト』も新しかったんですけど、『ガンダム』はさらに、見るからに新しかった。『ヤマト』はもっと子供のときでしたし、「なんだかリアルなものを感じた」くらいの感覚だったんです。ヤマト発進までの段取りだけでワクワクするとか。僕らの世代はスーパーカーブームが直撃していて、車好きが多いんですけど、『ヤマト』でメカを扱うときの手順は、親父の車の運転席に乗って、ちょっとギアを動かしてみたときの感覚に似ていた。メーターの感じも、当時の車のアナログメーターっぽかったんです。そうした現実の要素が作品に直結しているから、リアルに見えた。宇宙空間を最初に意識したのも、『ヤマト』の影響でしたね。そこから『ガンダム』は、さらに一歩進んだ「リアル」を見せてくれた。たとえば、第1話冒頭のザクの侵入シークエンスは、今見てもすごくよくできていて、何度も見返しては映像を分解して、「何がこんなに面白いんだろう?」と考え続けています。まずアバンタイトルで永井一郎さんのナレーションで世界観が語られて……。
※ここから『機動戦士ガンダム』第1話Aパートの詳細かつとても面白いコメンタリーが30分ほど続きましたが、それは「番外編」として別途掲載します。
吉田 ……というわけで、富野(由悠季、当時は「喜幸」名義)監督もあれ以降、第1話であそこまで世界観をすべて描ききった作品はないと思います。
――『ガンダム』の第1話は、見れば見るほど完璧ですよね。
吉田 異常なんですよ。作り手になってから、僕も何度もTVシリーズにチャレンジしていますけど、とにかく、ひとつのエピソードにあんな情報量は入らない。何か新しい世界を作ったとしても、第1話だけでは説明しきれないんです。それができたのは、『ガンダム』の世界の半分が「現実」だからでしょうね。「現実」と「未来」を半分ずつ織り交ぜているから、説明しなくていい要素がある。もうひとつ大きいのは、『ガンダム』以前に作られてきた、ロボットアニメというジャンルの文脈も使っていることです。視聴者がその文脈で知っていることも、やはり説明しない。そうしたことが可能な、いいタイミングで出てきた作品でもあった。言葉にはできないにしても、そんなことを当時も子供心に感じていて、だから夢中になったんだと思います。
――なるほど。
吉田 さらに、絵がすごくいい。子供の頃から絵が好きだったんですけど、「こういう絵を描きたい」と感じました。『ガンダム』と、あと『未来少年コナン』で。
――ほぼ同時期に、安彦良和さんと宮崎駿さんの絵に惹かれた。
吉田 そうそう。『ガンダム』と『コナン』、それから『ヤマト』の絵は模写しまくりました。そのなかでも『ガンダム』の存在が大きいのは、映画になるときに安彦さんの絵が、ムック本で大量に出回ったせいもあります。そこには線画が掲載されているものもあって、それでアニメには「レイアウト」という作業があって、フレームのなかにどう絵を収めて、動きを作って、アニメの画面を生み出しているのかを知った。つまり、アニメーターという職業がこの世界にあることを知ったんです。で、知った瞬間に「将来はアニメーターになろう」と思いました。だから、影響を受けたアニメを語るなら、『ガンダム』は絶対に外せないです。そこに至るまでに、ほかのいろいろな作品からの影響が混じり合っているとしても。
〈番外編〉『機動戦士ガンダム』
第1話の素晴らしさ
健やかで艷やかなキャラクターを生き生きと動かし続けるスーパーアニメーター・吉田健一。このインタビュー連載は全3回が基本フォーマット。しかしながら、あまりに話が盛り上がってしまったので、『機動戦士ガンダム』第1話の吉田目線からの演出解析部分を「番外編」としてお届けします!!
第1話でここまで世界観を描ききった作品はない
※第1回の該当箇所からの続きでお読みください。
吉田 ……たとえば、第1話冒頭のザクの侵入シークエンスは、今見てもすごくよくできていて、何度も見返しては、映像を分解して「何がこんなに面白いんだろう?」と考え続けています。まず、永井一郎さんのナレーションで世界観が語られますね。「人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、すでに半世紀が過ぎていた……」と。それに重なるように円筒形のコロニーが描かれ、そのなかを映しながら「人々はそこで子を生み、育て、そして……死んでいった」というフレーズがあり、それでビームがバーッと外壁をブチ破る。そして「宇宙世紀0079」だとか、ジオンが独立戦争を起こしたことが語られたあとに、コロニー落としが描かれ、人類が多数死んでしまったこと、終末感のようなものが表現される。これって、じつは「それだけ」なんですよ。じつはとても簡易な説明で、ポンと事実を投げかけているだけ。でも、見ている僕らは、子供であっても、それでわかるんですよ。
――何がでしょうか?
吉田 「そこに人が生活している」ことがわかる。コロニーという場所がこの作品の世界にはあり、そこでは子を産み、育て、死ぬ……つまり、そこで一生が終わる人がいるんだと、なんとなくであっても、感じるんですよ。で、「ガンダム大地に立つ!!」とタイトルが出て、ザクが登場する。それを表現するのが「シュコーシュコー」という呼吸のような音なんですよ。これがね、『ガンダム』の「新しさ」のひとつです。というのも、今見る人はあれがザクという、ロボットだと思って見るのでしょうけど、当時の自分たち子供にとっては、あれが人間かロボットかわからないんですよ。宇宙服にも見えるんです。銃を持った宇宙服姿の人間が、シュノーケリングのような音をさせながら、宇宙空間をやってくるように見えた。安彦良和さんの描くモビルスーツは、かなり人っぽいしぐさをしますしね。存在感が人間っぽい。
――やわらかく動きますよね。
吉田 そんなザクが、ハッチのダイヤルを回して開けるじゃないですか。そのときにね、回しているのとは違う機体が、銃をハッチの方向に構えて備えているんですよ。そうしたひとつひとつの行動が、どこか忍者っぽかったりもしてね。「わ、これは潜入作戦なんだ」と、見ていくうちにだんだんわかってくる。で、ハッチのなかに入ると、アームみたいなものがザクの肩にカコーンと当たって、外れて、ヒューっと飛んで行って、奥の扉に当たって跳ね返る。この描写で、ハッチのなかは無重力なことがわかる。さらにザクが先に進んで、シャッターを半開きにする。そのシャッターごしにのぞくモノアイが、あの目がまた気持ち悪いんですよ! そこで初めて、ザクがひとつ目なことを強く意識する。ひとつ目の宇宙人なのか、と。で、横を向くときに頭を動かさず、モノアイだけが動くのが、また気持ち悪い。
――たしかに、このときのザクは不気味ですね。
吉田 それでコロニーの内側に、ハッチから崖を降りるようにして侵入していく。でも、カットが切り替わると、降下するザクのうしろで地面がせり上がっていくわけですよ。この絵が僕にとっては衝撃で。さっきまで宇宙にいたザクが、円筒の構造物の中に入ると、そこには世界が広がっていて、無重力の世界から重力のある状態へと切り替わる。しかもここまでの描写をつなげて考えると、ハッチがある中心部には重力がなくて、外側に向けて放射状に重力が発生しているわけだから、これは遠心力なんだとわかるわけです。言葉がいっさいなくても、絵だけで伝わる。

――見せ方が細やかですよね。
吉田 で、ここまで描いても、まだザクのスケール感は見せていない。ザクが降り立った瞬間に、効果音の重さと、土が重たく跳ね上がるのと、衝撃をおさえるためにバーニアを吹かす描写が積み重なって、重たいものだとはわかる。で、針葉樹林から鳥が飛び立つカットが挟まり、木の向こうからザクが現れることで、ようやくデカい、巨人だとわかる。
――無駄なところが一切ない。
吉田 そう! で、次にザクの胸元のハッチを針葉樹林ナメで映して、手が上がってきて、その上にようやく人が出てくる。ここで初めて「人が出てきたということは、今まで映っていたのは、ロボットだったのか!」とわかる。さらに、その人間が、双眼鏡を構える。双眼鏡って、当時の子供にとってはリアルなものなんですよ。それを通して、どういう絵が見えるのかをよく知っている。その双眼鏡の目線として、アップになった橋と川という、最初に説明した世界観の延長にある絵をまた見せる。「通勤時間のはずですが、車が1台だけです」みたいな、生活を感じるセリフをオーバーラップさせながらね。住宅街の上を高速で視線が流れるのも、双眼鏡に触れることの多い当時の子供からすると、リアルな描写で。で、その住宅街にしても、手前にせり上がっている。ここでまたコロニー内部の絵を見せているわけですよ。
――繰り返すことで世界観を印象づけているわけですね。
吉田 そうしてザクでやってきた侵入者の目線が、初めて人を捉える。「いました、子供のようです!」と。その子供がフラウ・ボゥで、その次のカットは、アムロの部屋に入っていくフラウを室内からのカメラが捉えている。つまりですね、「ザクがコロニーに潜入する」ということを描きながら、その過程を通じて、いわゆるのぞき見のように、世界を説明している。僕らはザクの目線を通じて『ガンダム』の世界に入っているんです。それがフラウ・ボゥに切り替わった瞬間から、主人公たちの話になっていく。この流れが一連なんですよ。途切れない。だから子供心にも、すんなりと入っていける。
――なるほど。
吉田 さらに重要なのは、『ガンダム』の放送当時は、SFがすごく流行っていた時期なんですよね。その頃、僕たちは「SFは未来を描いている」と頭のどこかで思っていた。『2001年宇宙の旅』を想像していただくと、当時のSFがどういうイメージなのかがわかると思います。当然、『ガンダム』でも未来を描いています。なんだけど……『ガンダム』はそこに現実があることを、それとなく示唆しているんですよね。「未来も自分たちが今いる世界とそう変わらない世界だよ」と。それは「未来がただ希望にあふれているものではない」というのに近いんですけど。もちろん、ことさらに「じつは世界は平和じゃないんだ!」みたいなことが、『ガンダム』のなかで言われるわけではありませんが、自分たちの暮らす、冷戦状態でアメリカとソ連がいつ戦争するかもわからない状態の世界と地続きな未来を、初めて見たような気がしたんです。
――なるほど……。
吉田 さらに、出てくるロボットがまた「不自由」なわけですよ。
――不自由?
吉田 『ガンダム』以前のアニメに出てくるロボットを「自由」と考えたときの、「不自由」です。スペースコロニーという舞台もそうなんですが、何をやるにも制限がつきまとう。ビームライフルのエネルギーがすぐに尽きたり、照準を合わせないとあたらなかったり、当たっても一撃必殺ではなかったり、とにかく『ガンダム』では、ロボットが「不自由」な世界をどんどん描いていくんですよ。
――うっかり強い武器を使うとコロニーに穴が開いて大変なことになるとか、敵を倒しても核融合炉を壊すと問題があるとか。
吉田 そうそう。しかもそれ、全部が第1話に入っている(笑)。富野監督ご自身も、あれ以降、第1話であそこまで世界観を描ききった作品はないと思います。
②『伝説巨神イデオン』は
ある種の暴力的な体験
柔らかな線で、溌剌として艷やかなキャラクターを描き続けてきた名アニメーター・吉田健一。そんな吉田が、これまでの人生で多大な影響を受けたアニメを、全3回(+α)でインタビュー。第2回は、壮大なスケールで「人」の運命を描いた、富野由悠季監督の伝説の一作。瞳こらせよ……。
ただ死ぬだけではなくて、死に至るまでの人生が描かれている
――2本目は『伝説巨神イデオン』。第1回の『機動戦士ガンダム』と同じ富野由悠季監督(当時は「喜幸」名義)の作品ですね。
吉田 先ほどお話したように、僕が『ガンダム』にちゃんと触れたのは再放送からだったので、『ガンダム』と『イデオン』の間に、そんなに時間のラグがなかったんですよ。『ガンダム』が自分のなかですごく盛り上がっている状態のまま、『イデオン』に入っていった。でも、受けた衝撃だけでいうなら、『イデオン』のほうが大きかったかも……。
――そうなんですか。
吉田 「何を見せられているのかな」と思ったんですよ。今にして思えば、ファースト・コンタクトもの、すごく古典的なSF、異質なものと人類の出会いを描いていることはわかる。でも、当時は部活で忙しかったこともあって、ひとつひとつの要素を分解して、理解しながら楽しむような時間的余裕がなかったんです。そんな状態のなか、劇場版が公開されてしまったので、見に行ったんですね。そうしたら……人の生き死にをそのまま見せられたような衝撃があったわけです。自分の手に負えない大きな力に翻弄されながら、人生をまっとうしていった人たちの話じゃないですか。
――はい。
吉田 ああいうものを描いた作品は、僕らの世代では『イデオン』しかないような気がするんですよ。上の世代の方には、ほかにも映画だとか、いろいろな経験があるんでしょうけど。湖川友謙さんの絵も、硬質でよかったですしね。アニメーターとしての目線から見ても、重要な作品です。僕らの世代に、絵の描き方を教えてくれたのは湖川さんな気がします。
――どういうことでしょう?
吉田 湖川さんの絵は「こういう理論で描くと、こうなります」ということを教えてくれる絵なんです。僕は絵が好きなものですから、もっとうまくなりたいと、ずっと考えている。でも、『ガンダム』の安彦良和さんの絵を、いくら真似をしてもうまくなれないんです。上手すぎて、独特なんですよ。いまだに真似していますけど、その独特な上手さは、ロジックとして取り入れられない。雰囲気をつかむしかない。

――感覚的ですよね。線の柔らかさとか。
吉田 ええ。たたずまい的な質感だったりとか、そういうものを自分のなかに取り入れる必要がある。それに対して、湖川さんの絵はロジックがしっかりしていて、わかりやすいんです。物体を立体として捉えて描いていく方法を、湖川さんともうひとり、同時期の大友克洋さんの絵から学んだ感じですね。大友さんのマンガは青年誌に掲載されていたので触れたことはなかったんですけど、『イデオン』とほぼ同時期に『幻魔大戦』のキャラクターデザインでアニメの世界に入ってこられて、その衝撃が大きかった。僕らの世代はアニメーターの層が厚いんですけど、けっこうな数の人が、同じルートをたどったんじゃないかな。
――内容と絵だと、どちらかというと絵の衝撃のほうが大きかったですか?
吉田 そういうわけではないです。見返すうちに、もっと違うものが身体を突き抜けていったといいますか……。『イデオン』と『ガンダム』、それから、あとで話す『母をたずねて三千里』は、僕の内側でなくなってしまうことのないもの、消えない飴玉みたいなものなんです。自分の心のなかにつねにあって、その作品のことを考えるたびに、何度も新しい発見がある。見つけたものは、もしかしたら勝手な妄想かもしれない。意図されていないことを、勝手に感じ取っているのかもしれない。でも、それも含めて、何かを考え続けることのできる作品ですね。
――何がほかの作品と違うのでしょう?
吉田 全部「人」が描かれている作品なんです。自分が好きなアニメは、全部そういうものだったと、時間が経ってから気づいたんですよね。たとえば、出崎統監督の作品もそう。
――最初に挙げた6作品のなかに『あしたのジョー2』が入っていましたね。
吉田 あと『ベルサイユのばら』も好きですね。ほかにも、りん・たろう監督の『銀河鉄道999』もそうです。人の生き死に……ただ死ぬだけではなくて、死に至るまでの人生が、執拗に描かれている。なぜそうした作品になるのか。そこには何かロジックがあって、なかでも『イデオン』のロジックは少し追いかけやすいような気がしています。
――興味深いです。具体的には、どんなポイントがあるのでしょう?
吉田 たとえば、人類とバッフ・クランは、絶対相容れない部分を持っている。それが、双方のメカデザインが根本的に違うことからもわかるんです。イデオンは人型をしていて、バッフ・クランの重機動メカはすべて人型を避けている。それって、絶対的な異質さですよね。その間にある壁を崩したのがヒロインのカララであり、同時に諍いを生んだのもカララ。なんて複雑な描写だろう! これを当時、30代後半とか、40歳ぐらいの人がやっていたというのは、驚愕するしかないですが、異種間戦争のロジックは本編のなかで語られても、今、話したような絶対的な異質さは、まったく言葉にしない。あくまで、僕が絵から読み取っただけ。富野さんの作品はあんなにセリフが多いのに、核心をわかりやすく言葉にはしない。でも、初めて見たときから、直感的に伝わるものはあった。つまり、ある種の暴力的な体験なんです、『イデオン』は。
③奇跡的な作品
『母をたずねて三千里』
生命の輝きを感じさせる、素晴らしい描線と動きで、多くのファンを魅了してきた実力派アニメーター・吉田健一。そんな吉田が深い影響を受けたアニメを語るインタビュー連載も、ついに最終回。ラストを飾るのは、高畑勲・宮崎駿コンビが生み出した名作劇場の傑作。そこには「人」がいる。
登場人物の誰もが、その人生を感じさせてくれる
――最後の作品は『母をたずねて三千里(以下、三千里)』です。高畑勲さん、宮崎駿さんがコンビで手がけた、名作劇場でも傑作といわれるもののひとつですね。
吉田 今回のインタビューでタイトルを挙げてきた、「人」を描いている作品の演出家……富野由悠季さん、出崎統さん、宮崎駿さん、高畑勲さん、それぞれの発言を追いかけると、皆さん、口をそろえて「映画」という言葉を使っています。「映画を作りたかった」と。これって、どういうことなのか? 考え続けてきたんですが、次第にわかってきたことがありました。
――気になります。
吉田 最初は「映画的な画面」のことかと思ったんです。構図をはじめ、映画らしい画面を作ることを問題にしているのかと。でも、そうじゃなかった。あの人たちにとって「映画」というのは、自分とは違う人生を感じるもの……自分と違う人の生き死にを見て、勉強し、自分の生き方にフィードバックするもの。そうしたことができる作品が、あの人たちにとっての「映画」なんじゃないかと気づいたんです。アニメーションでそうした作品を生み出そうとして、あの人たちは実現したのではないか。そして僕らは、上の世代が「映画」から受け取ったのと同じものを、「アニメ」から受け取ることになった。
――『三千里』のどんなところに「映画」らしさ、「人」の存在を感じますか?
吉田 まず、とにかく『三千里』には、主人公のマルコの旅の過程で、いろいろな人物が登場します。そして、その誰もが、生き死にがちゃんとある感じがする。なかにはとても冷徹な人物も出てくるわけですけど、ただの悪人ではなく、「この冷徹な人にも人生があって、こうなった理由がどこかにあるんだろうな」ということが感じ取れる。出てくる人の誰もが、必ずそういう記号を備えているんですね。宮崎さんのレイアウトで、小田部羊一さんがキャラクターをただ立たせるだけで、そのたたずまいから何かがちゃんと感じ取れる。『三千里』はTVシリーズのほぼ全話を通してそれができている、奇跡的な作品な気がします。アニメーターとしての目線で『三千里』を見たときには、この仕事の質の高さは、自分たちの世代では厳しい。一生かかっても、無理な仕事に見えます。どれだけ丁寧に描いても、この仕事にはかなわない。高畑さん、宮崎さんの仕事においても、『アルプスの少女ハイジ(以下、ハイジ)』と『三千里』が双璧でしょう。おふたりが組んだ仕事には『赤毛のアン』もありますが……。

――後半、宮崎さんが外れますものね。
吉田 そうなんです。『赤毛のアン』も魅力的な作品ではありますが、『三千里』と『ハイジ』はやはり、別格のように思えます。富野さんも、安彦さんも、その頃のおふたりの仕事をかなり意識していたのを、お話ししたときに感じました。安彦さんとお話する機会があったとき、「僕はもともとスタジオジブリにいたんです」なんて話をしたら、「僕は高畑さんや宮崎さんと比べて、裏街道にいた人間だから……」とおっしゃって (笑)。
――インタビュー記事でも、近い発言を見かけたことがあります。
吉田 あんなにすごいお仕事をされてきたのに、まだそういうお気持ちがあるのか!と思ってしまいますよね。僕の出自を聞いて、イメージが伝わりやすい表現として、そうした言葉を選んでくださっただけかもしれませんが。
――富野さんは『三千里』の絵コンテを数多く担当していますよね。ご本人の発言や残っている絵コンテを見ると、かなり修正された様子ではありますが。
吉田 ですね。でも、いい回を任されているのもたしかで、みんなでマルコにお金をカンパする回(第40話「かがやくイタリアの星一つ」)や、ロバが死ぬ回(第48話「ロバよ死なないで」)が富野さんでしたね。今話した回もですけど、『三千里』には印象的な絵がある回がいくつもあるんですよね。ブエノス・アイレスに着く直前に、マルコが悪夢にうなされる回(第21話「ラプラタ川は銀の川」)の描写なんて、とても怖かった。そうした印象的な表現のなかには、今にして思えば、名画と呼ばれるような、先行する映画からの影響があるのかもしれません。でも、そういうものを散りばめて我々に見せてくれたことも含めて、いろいろな意味で、非常に勉強しがいのある作品だったなと思います。だから僕にとっては一生、研究に値する。
――お話を聞いていて感じたのですが、アニメに限らず、「古典」とはそういうものですよね。いつも立ち返り、思考を深めることができる存在。
吉田 そうですね。たしかに、いわれてみれば、今回お話した作品は、もはやアニメの「古典」になったのかもしれません。古典とは、いつでも発見があるもの。さらにそこから、別のジャンルについても、ものの見方を教えてくれるもの。『三千里』のような作品を見ていろいろと考えることで、他のジャンルの作品についても、考えながら見ることができるようになった気がします。
――なるほど。
吉田 自分はアニメーター……あくまで絵描きなんですけど、できれば一生に一本でもいいから、そういう肌触りの作品に携わりたいですね。一本でいいから、関わった作品が「映画」になればいいのに。これまで一緒にお仕事をしてきた演出家の皆さんには申しわけないんですけど、今のところ、そこまでたどり着けた作品は……ない気がします。これはきっと、言っても怒られないと思うんです。少なくとも同世代の作り手たちは、みんな、それをどこかで追い求めている気がしますから。……本当に、我々には難しいです。
日文原文链接:
原网站Febri已闭站
日文网页原图:




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