【生肉转载】Febri TALK系列——黑田洋介

取材・文/宮 昌太朗


来源:日本深度动画内容网站Febri

采访发布时间:2021年10月18日~22日

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①メカの魅力に惹きつけられた

『宇宙戦艦ヤマト』

『僕のヒーローアカデミア』をはじめ、数多くの人気作に参加する黒田洋介。プラモデルやオモチャに夢中だった少年が、いかにして脚本家になったのか――そのアニメ遍歴を聞く連載インタビュー。第1回は、アニメブームを巻き起こした伝説の名作について。


当時、メカコレクションはほぼ全部買っていました

――今日は黒田さんのアニメ遍歴を伺おうと思うのですが、その前に黒田さんが脚本家を目指すようになったきっかけみたいなところを教えてください。

黒田 脚本家になったのは、本当に偶然なんです。当時、編集プロダクションでアニメ雑誌の記事やゲームの攻略本の原稿を書いていたんですけど、その流れでゲームのシナリオを書く機会に恵まれまして。それから、何本かゲームのシナリオを書かせてもらったんですけど、そのなかに藤島康介先生原作の『ああっ女神さまっ』のパソコン版ゲームがあったんです。それを作っていたのがAICスピリッツさん――アニメスタジオのAICさんのゲーム部門でした。で、『ああっ女神さまっ』の仕事が終わったあとに肩を叩かれて「アニメの脚本家が足りないから、やらない?」と。


――それがスタートだったんですね!

黒田 アニメの脚本に興味はありましたし、一度書いてみて、「使いモノにならん」と言われたら尻尾巻いて逃げればいいや、くらいに考えてお仕事を受けました。僕は「映像作家や脚本家になりたい」と思って、この業界に飛び込んだわけじゃないんです。だから、今回選ばせていただいた作品も、単純に子供の頃に好きだったアニメですし、脚本家志望の人にとっては何の参考にもならないインタビューになると思います(笑)。


――いえいえ!(笑)

黒田 僕は子供の頃からプラモデルとオモチャが大好きだったので、どれだけその作品に関するオモチャを買ったか。あとはビデオデッキのなかった時代に、どれだけテレビに紙を押しつけて、画面の絵を模写をしたか。そういう情熱の量みたいなところで、好きな作品を選ばせていただきました。アニメを作るにあたってタメになるようなことは、まったく言えないと思うんですけど、「こんなヤツでもクリエイターになれるよ」という希望にはなるんじゃないかと思います(笑)。


――あはは。そもそも子供の頃から、アニメや特撮番組を見ていたのでしょうか?

黒田 そうですね。僕には4つ年上の兄がいたので、幼稚園の頃から家に『週刊少年ジャンプ』が置いてありました。だから、アニメやマンガ、特撮に触れるのは、すごく早かった気がします。とはいえ、当時はまだテレビが一家に一台の時代ですから、チャンネルの主導権は兄が握っていて、僕は兄が見ている番組を一緒に見ている感じ。今回、1本目に挙げた『宇宙戦艦ヤマト(以下、ヤマト)』も、その流れで見た作品でした。

――当時は何歳くらいだったのでしょう?

黒田 たぶん、6~7歳の頃だったと思います。おぼろげな記憶なんですけど、裏番組が『アルプスの少女ハイジ』で、僕は当然『ハイジ』が見たかったんです。でも、先ほども話した通り、チャンネルの主導権は兄が握っているので、サッと『ヤマト』に変えられる(笑)。それで第1話からずっと見ていて、戦闘シーンがすごいとかの記憶はあるんですけど、話はちんぷんかんぷんでした(笑)。よくおぼえているのは第4話、ヤマトがワープするシーンで、森雪が裸になる場面を見て「わぁ、エッチだ!」と。そこのインパクトはめちゃくちゃ強かったです(笑)。


――あはは。

黒田 ただ、そのときは本当にそれくらいしか印象がなくて。本格的にハマったのはその翌年以降、再放送のときですね。やっぱりプラモデルが出ると欲しくなるんですよ。本放送のときはプラモデルが3種類あるかないかだったと思うんですけど、再放送で人気が出て、劇場版が公開するとバーッといろいろなプラモデルが出始めて。当時、100円のメカコレクションが出ていたんですけど、それをほぼ網羅するくらい買って、片っ端から作っていました。まだ子供だったので、塗装といっても、油性マジックで艦底を赤く塗るくらいしかできなかったですけど、でもそれをお風呂に持ち込んで発進シーンを再現したり。今でもプラモデルを買ってしまうくらいなので、当時のヤマト体験は相当、鮮烈だったんじゃないかなって思いますね。


――ということは、キャラクターよりもメカにハマったという。

黒田 そうですね。『マジンガーZ』で言えば、兜甲児よりもマジンガーZ、『仮面ライダー』でもライダーよりオートバイのほうに気持ちがいくタイプだったので(笑)。だからまず、メカが好きだったんですよね。後に『スターウォーズ』やスーパーカーブームなんかもあって、当然のようにハマりました(笑)。メカが好きなのは本当に単純に「強いな、速いな、カッコいいな」という部分が大きかったのですが、『ヤマト』のメカニックはそれ以上に魅力的だったんですよ。なかでも好きだったのは、やっぱりコスモタイガーⅡの複座型。飛行機の背面のところにパルスレーザーがついている戦闘機なんですけど、すごく好きでした。大きいヤツを作って、小さいヤツもいっぱい作って――というか、ひとつ100円なので、5つくらい作って編隊飛行させていました。


――『ヤマト』の前からメカへの興味があったのでしょうか?

黒田 そうですね。それもやっぱり兄の影響なのかなと思います。兄がプラモデルを作っているのを見て、じゃあ僕も……みたいな。兄が大きい飛行機のプラモデルだったら、僕は100円くらいの小さいロボダッチみたいなものを買ってもらって、隣りで作って遊んでいる、みたいな感じでした。


――『ヤマト』は劇場映画と並行してTVシリーズも制作されましたが、そのあともずっと追いかけていたんですか?

黒田 そうですね。『完結編』まではがっつりリアルタイムで追いかけていましたし、TVシリーズはもちろん、スペシャル番組も見て、劇場公開前に深夜ラジオで特番をやっていたらカセットテープで録音して、とか(笑)。いわゆるオタク的な活動はひと通りやっていましたね。


②『機動戦士ガンダム』で加速した

ロボットやミリタリーへの興味

連載インタビューの第2回で取り上げるのは、当時、世間的に大ブームを巻き起こしていたアニメ『機動戦士ガンダム』。出版業界の裏側を知るきっかけになったという、この作品との出会い、そして当時の状況を振り返る。


ガンプラ・ブームがなければ、業界に入ることはなかったかも

――2本目に挙げたのは『機動戦士ガンダム(以下、ガンダム)』。これは、何歳のときに見ていた作品でしょうか?

黒田 小学校5年生のときに本放送が始まったと思います。おぼろげな記憶なんですけど、兄から「実際にあるようなライフルを使うロボットアニメがあるんだよ」と聞いて「なんだそれは!?」と思って見始めました。ただ、初めて見た回が「イセリナ、恋のあと」(第11話)で……。なんか話がジメジメしていて「ロボットがあんまり活躍せんなあ」って、ちょっと肩透かしを食らった感じが記憶に残っています(笑)。ただ、オープニングがめちゃくちゃカッコよかったので、次の週から見続けるようになって。そうするとストーリーも理解できるようになってきて、そこからは最後までガーッとハマった感じでした。


――『ガンダム』以前にもロボットアニメは放送されていましたけど、そちらは見ていたのでしょうか?

黒田 もちろん、見ていましたし、プラモデルも買っていました。ただ、僕はたぶんミリタリーものが好きなんですよ。巨大ロボットが出てきて合体して……というより、メカや兵器に機能性やリアルさが備わっているものが好きで。そもそも車や電車、飛行機なんかが好きだったので、やっぱりスペック的なものだったり、デザインにリアリティを感じさせてくれる作品が好きだったんだと思います。『宇宙戦艦ヤマト』や『ガンダム』はもちろん、そのあとの『超時空要塞マクロス』とか、ある程度SF的なバックボーンが練られた作品が好みだったんだな、と。今、振り返るとそう思います。


――そういう意味では一貫している。

黒田 そうですね……。メカに歴史背景を感じられるものが好きでしたね。ワンオフよりも量産機が好き、というか。『ヤマト』には試作型の戦艦もあれば、量産型の戦艦もあって、ああいう考え方はすごく理にかなっていたなと思います。


――それでいうと『ガンダム』でも、主人公機のガンダムより量産型のほうに心を惹かれたり……。

黒田 いや、そこはやっぱりまだ子供なので、アムロ・レイが乗っているガンダムがいちばん好きでした(笑)。とにかく強くなっていくじゃないですか。圧倒的に強くなっていく過程をワクワクして見ていました。しかも、アムロがニュータイプとして覚醒すると、今度はガンダムの性能が彼の能力に追いつかなくなる。あの設定がすごく好きで、その時点で僕のなかでは、ガンダムよりアムロが上にいっちゃうんです。「ガンダム、カッコいい」から「アムロ、カッコいい!」に変わる(笑)。だから最終回でガンダムの首がもげてしまっても、「しょうがない! アムロが生きてるんだからいい!」と。そんな考えで見ていましたね(笑)。

――あとプラモデル好きとしては、やっぱりガンプラ・ブームも忘れられないと思うんですが……。

黒田 そうですね。再放送で『ガンダム』ブームが起きて、そこからどんどんバンダイさんが新製品のプラモデルを投入して。劇場版3部作が終わる頃まで、僕のなかでは途切れることなくガンプラ・ブームでした(笑)。新製品が出たら片っ端から買う、という。しかも当時よく行っていたプラモデル屋さんで、プロモデラーの方と会うんです。小橋法彦さんと藤川政秀さんという方なんですけど、ホビージャパンから出ていた『HOW TO BUILD GUNDAM』という特別増刊号の表紙を飾ったフルハッチ・オープンのガンダムの作例だったり、あとは『ホビージャパン』で初めてガンダムをジムに改造したりした方たちなんですけど。


――いわゆる有名モデラーですね。

黒田 そうです。その方たちと知り合ったことで、ガンプラ好きがさらに加速していきました。ずうずうしい子供だったので、小橋さんのお宅にお邪魔してプラモ・テクニックを教えてもらったり、プラモ制作の手伝いをしたり。……で、話は脱線するんですけど、小橋さんの手伝いをするようになって中学2年生のときですね。「このプラモの作例を届けておいて」と言われて、秋田書店におつかいに行くんです。そのときに編集部を見学させてもらったり――秋田書店にはマンガの編集部もあるので、マンガの生原稿を見せてもらったり、あとは「この映画、見たかったら行っておいでよ」と試写状をもらったり。


――今ではちょっと考えられないくらい、おおらかな時代ですね。

黒田 そうですね。とにかく、すべてが新鮮で、オタクとしてはめちゃくちゃありがたい経験をさせてもらいました。ガンプラ・ブームがなければプロモデラーさんに会うこともなかったでしょうし、出版社に行ったり、撮影に立ち会うこともなかったでしょうし。雑誌の作り方とか原稿の書き方とか、そういうことを学んだのも、あのときだった気がします。


――今のお話を聞いていると、ちょっと『ガンダムビルドファイターズ』っぽいものを感じますね(笑)。

黒田 たしかに……。『ビルドファイターズ』に関しては、まったく苦労せずに書けました。『ガンダム』やガンプラの資料をひっくり返す必要もないし、確認するとしても新しいプラモデルの設計図をチェックするくらいで。あとは脳内知識をフル・バーストさせながらガーッと脚本を書いていくだけ(笑)。それ以外にも、作品で描いているプラモデルを作る楽しみとか、できあがっていく過程の喜びとか、あと新しい武器をノートに書いてみたりっていうのは、もう完全に自分の実体験ですね。「そりゃやるでしょ、普通」「新しい武器は作るでしょ」「改造した機体に、自分スペック設定するでしょ」みたいな……。本当にそれくらいの気分で書いていました。


③脚本家として生きていく

自信を与えてくれた『TRIGUN』

脚本家・黒田洋介が偏愛するアニメ作品を語る連載インタビュー。その第3回は、自身のキャリアで大きなターニングポイントになったという『TRIGUN(以下、トライガン)』。海外での人気も高いこの作品は、いかにして生み出されたのか。たっぷりと聞いた。


「『トライガン』の脚本を書いたのはお前か」と海外の人に言われる

――3本目は、キャリアのターニングポイントになった作品ということで『トライガン』を挙げていますが、『トライガン』はキャリアの比較的初期の作品ですね。

黒田 そうですね。まだ20代だったので、デビューしてから4年目くらいでしょうか。それまでコメディや恋愛ものを書くことが多かったので、「カッコいいアクションを書きたい!」という欲求が溜まっていたんです。で、あるときOVA作品の打ち上げの席でプロデューサーの人に「カッコいいアニメがやりたいんですよぉ!」って酒を飲みながら話していたんですね(笑)。当時、ジョン・ウーが好きだったので、銃をガバガバ撃ちまくるようなアニメをやりたかったんです。カッコいい男のアクションで魅せて、女の子はあんまり出なくていいから男気あふれるドラマを作りたい……って、そういうテンションでした。で、そこで「『トライガン』みたいなのがやりたい!」と大声で力説したら、話を聞いてくれていたプロデューサーが、じつは『トライガン』のアニメの企画をちょうど動かしていたんです。


――ええっ! それはまたすごい偶然ですね。

黒田 それで「やらせてやるよ」と、プロデューサーが言ってくれて(笑)。それまで何度か仕事をご一緒していたので、僕の力量をある程度わかって言ってくださったのかな、と思うんですけれども。大好きだった内藤泰弘先生のアニメに関わりたいと思ったこと、そしてできればひとりでシリーズを書き切りたいと思ったのが、大きなきっかけです。ただ、当時、原作がアニメの7話分ほどしかなくて、残りはオリジナルストーリーで展開しなくちゃいけなかったんですが……。


――けっこうな分量ですね。

黒田 ただ、幸いなことに内藤先生からは「マンガはマンガ、アニメはアニメ。アニメはアニメで作品として完結させてくれ」と。「原作では生きているキャラクターも、アニメ版では死んでしまうかもしれません」と言ったら、「それでもかまわない」とおっしゃっていただけたんです。じゃあ、本当に「終わらせる気で書こう」と思って、しかもある程度はやり切ることができた。前回もお話ししたように、僕は本当にイージーに脚本家になって、それまで誰かから褒められたこともないし、ましてや賞を獲ったわけでもない。だから脚本家としての自信なんてまるでなかったんですけど、監督の西村聡さんやキャラクターデザインの吉松孝博さんとがっつり組んでやらせていただいて、結果的に人気も出て。すごく自信になったし、「俺、脚本家としてやっていけるぞ」と、心から思えた作品でした。

――まさしくターニングポイントになったのが『トライガン』だったわけですね。先ほど、ひとりで全話書き切りたかったという話が出ましたが、それはどうしてでしょうか?

黒田 たしかに相当難しいとは思ったんです。オリジナル部分はとくにそうですね。ただ、西村さんもTVシリーズの監督は初めてでしたし、他の脚本家さんを入れたら、逆にスケジュールが大変なことになるんじゃないかな、と。あともちろん、他の誰にも書かせたくないというエゴイスティックな気持ちもあったと思います。ヘンな言い方になってしまいますけど、他の人が書いた脚本を読んで、キャラクターのテンションが違うと「ちがーう!」と言って、上から書き直したくなってしまう。であれば、自分で書いたほうが早いだろう、と。僕が睡眠時間を削ればイライラすることもない――と、前向きなんだか後ろ向きなんだかわからない考えに至ったんです(笑)。あと、オリジナルエピソードが多かったので、途中で軌道修正しなければならないことも多かったんですよ。それこそ何稿も書き直したので、ひとりでやってよかったなと思っています。


――参加しているスタッフを見ると、今、第一線で活躍している方がたくさん参加していますよね。

黒田 それに関連して印象に残っていることがあって、(制作スタジオの)マッドハウスで打ち合わせをしていたとき、演出と作画で参加されていた大橋誉志光さんから「この現場はマッドハウスの三軍だから」と言われたんです(笑)。一軍は劇場で、二軍は人気原作&夕方放送枠のTVシリーズ、「ここは三軍だから」と。「じゃあ、『名門!第三野球部』のように一軍を超えてやりましょう!」みたいな、わけのわからないことを言ったんですけど……(笑)。でも、あの頃はみんなペーペーで――僕の印象だと『トライガン』がスタッフのその後のステップアップにつながったんじゃないか、と思います。『トライガン』という作品が、僕たちをワンランク上に引き上げてくれたんじゃないかな、って。


――たしかに、そういう若い勢いにあふれた作品だったなと思います。

黒田 海外の人から「『トライガン』の脚本を書いていたのはお前か」って、たまに言われるんですよ。今だとさすがに「『僕のヒーローアカデミア』を書いているのか」って言われることのほうが多いんですけど(笑)、でも、それまでは本当に「『トライガン』を書いた男」みたいな感じでした。ちょっと話は横道に逸れますけど、映画監督のロバート・ゼメキス氏が来日したときに『トライガン』のレーザーディスクを全話買って帰ったっていう話をプロデューサーから聞いたんです(笑)。「ああ、俺が書いたアニメ作品を、ハリウッドの監督が見ているんだ」と思って、すごくうれしかったですね。


――そういう意味でも思い出深いし、黒田さんのキャリアのなかでも大切な位置を占める作品になったわけですね。

黒田 そうですね。その次の『無限のリヴァイアス』に誘われたときも、プロデューサーから「『トライガン』を見て、あなたの脚本に興味を持ちました」と言われましたし、やっぱり『トライガン』が、その後の自分の行き先を示してくれたんだなと思います。……まあ、今は逆にラブコメの仕事を振られることがほとんどないなって、ちょっとしょんぼりしているんですけど(笑)。


――あはは。デビューは美少女ものだったのに(笑)。

黒田 というか、美少女ものの企画がきても全部、内容が重たいんですよ。ものすごいバトルとか、ものすごいガンアクションとか(笑)。肩の力を抜いて楽しむ美少女コメディとか、恋愛ものとかの依頼がないかなあ……って、寂しく感じたりしています(笑)。






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